四、遺志(31)
ロウは辺りに人がいないことを確かめてから、二人へと歩み寄る。
「ロウ、どうしてここに?」
「や、お前らと別れて直ぐにあの騒ぎだろ?
もしかしてと思って戻ってきたんだが――」
二人の顔を交互に見遣り、彼はちいさく息を落とす。
それから、
――ばさっ!
ラグナとブラックに布を投げつけると、手で顔を隠す仕草をした。
「……これ以上騒がれるとめんどくせぇからな」
顔を隠せ――ということらしい。
ブラックは、すまない――と申し訳なさそうに告げ、ラグナと顔を見合わせる。
二人がその布を頭巾のようにして被るのを確かめれば、くい、と来し方を顎で示しロウは歩を進めた。
「この街に宿屋は一軒しかねぇらしい。
とりあえず俺が部屋をとる。お前ら、俺たちが戻るまで部屋から出るなよ?」
宿屋に空き部屋を尋ねると、幸いにも大部屋を借りることができた。
西陽が窓から振り注ぎ、部屋を焦がす頃合。
ラグナ、ブラック、ロウ、そしてジャスティンにカトレア。大部屋に一同が揃った。
旅人を受け容れる宿屋の多くは、一階で食堂を営んでいる。
この宿屋もまた、二階が客室であることに変わりはない。が、一階にはテーブルと椅子が幾つか並んでいるだけで、営業をしている様子は見られなかった。
侯爵が市民に重税を課し続けた結果、今では宿屋を営むのが精一杯――否、それすらも儘ならないのだという。
「ここの侯爵、話を聞けば聞くほど頭にくるぜ」
夕食用に買ったパンと干し肉、水をそれぞれに配りながら、ロウは溜息をついた。
噂に依れば。
ポルゴ侯爵は領民に重税を課すだけでは飽き足らず、山賊を雇い他所の領地まで荒らしているのだという。
そして、領民から搾りとった税や、山賊が略奪した品々は――上位貴族たちへと収め、爵位の上進をしているという話だ。
「ンで。今はイーダ家に取り入ろうとしてるって話だ。
魂胆見え見えだぜ」
「イーダ家はテセウス王の長子、ジーク王子の母君の家ですものね……。
当然といえば当然、かしら」
ジャスティンの溜息が重く床におちる。
がじ、と干し肉を噛み切ると、ロウは忌々しげに吐き捨てた。
「だいたい、ここの紋章からして気にいらねぇっ!」
「紋章?」
眉を潜めるブラックに、ジャスティンは肯く。
「二〇年くらい前らしいんだけどね。
ここが先代から現ポルゴ候に引き継がれたとき、紋章を今のものに変えたそうなのよ」
「なんか、色々変な噂はあったわよねぇ。あたしには関係ないけど」
その横では、カトレアがリンゴを齧りながら、しんそこ興味なさそうに呟く。
「けっ!黒いグリフォンなんて、野心丸出しの紋章を掲げる領主なんてろくなもんじゃねぇぜ」
「…………、え」
ロウの声が室内に響くと同時、ブラックの意識がぐらついた。
――黒い……グリフォン。
…… どくん。
「母さん――」
「それから。……これをレイチェル様に」
掌に、硬く冷たい感触。
覗き込むと、勲章には黒いグリフォンの紋が刻まれていた。
「これを見せれば、レイチェル様なら判ってくれると思うわ」
…… どくん。
ともすれば朦朧たる記憶へ飛んで行きそうになる意識。
その針を巻き戻したのは、ジャスティンの声だった。
「どうして、『黒いグリフォン』が『野心丸出しの紋章』になるの?」
「ああ?……あのなぁ、グリフォンってのは本来、王族が使う紋章なんだぜ?」
王族が好んで用いる紋章として代表的な象徴といえば、鷲、獅子、そして――グリフォン。
「つまり、そのグリフォンを黒く塗るってのは――
『誰にも染まらない、属さない独自の国家を築く』って意志の表れだろ」
「成程ねぇ」
「実際、ポルゴ侯の行動を見ていると……あながち否定もできないな」
沈痛そうに下唇を噛み、重い溜息をつくラグナ。
「野心家の侯爵と下衆な伯爵。最悪の取り合わせだぜ」
「……昼間の一件もある。
早めに仕掛けないと、拙いかもしれないな」
侯爵の耳に『漆黒の聖騎士』の噂が流れれば、面倒なことになる。
ラグナの言葉に、全員が肯いた。
「けど、町中で一回名前を呼んだだけなんでしょ?
なんでまた、あんな大騒ぎになってんのよ」
「だよなぁ。『ラグナ』なんて名前……一時期、生まれてくる殆どの男子につけられた、なんて言われてる名前だぜ?」
怪訝そうなカトレアの言葉を受け、ロウも肩をすくめる。
「……それだけ、ここの人々は苦しめられているんじゃないかな。
どんなちいさな可能性でも、縋らずにいられない程」
「ええ。いくら国民の希望とはいえ、行方不明になってしまったウェルティクス様は、王子という雲の上の存在。
多くの民にとっては、自分たちの為に山賊と戦い各地を奔走してくれた漆黒の聖騎士ラグナや紫電の剣士クラリスの方が、耳に馴染む存在なのかも――」
そこまで言いかけて。ジャスティンはぽむ、と手を打つ。
「そういえば、面白い噂を聞いたわ!」
「噂ぁ?」
「いったいどんな噂ですか?」
そしてにっこりと微笑み、人差し指をおっ立ててこう続けた。
「王宮から姿を消した第二王子――ティフォン王子が、なんと生きてるらしいのよ!」
「ええっ!?」
「……ぶっ!
げほっげほっ……ぁンだって……!?」
身体を乗り出し、ジャスティンに詰め寄るラグナ。
その傍らで、ロウは飲んでいた水が気管にでも入ったのかげほごほと咽せていた。
「もう、二人とも驚き過ぎよ。
……あくまで噂なんだけどね。なんでも、ティフォン王子を探している旅のシスターがいるらしいわ」
「旅のシスター?」
首を傾げるブラック。ジャスティンは皆の反応に気をよくしたのか、ますます語調を強める。
「で、これも噂なんだけど。
高貴そうな身なりだったから、王宮お抱えのシスターなんじゃないかーって話よ」
それでそれで――と、だんだん前のめりになりながら噂話を披露するジャスティン。
麗人の独断場を遮ったのは、
「けっ!今さらそんな王子が出て来たってどうしょうもねぇだろ」
「……ロウ?」
不機嫌そうなロウの声だった。
思わずその顔を覗き込むブラック。ほかの面々も、訝しがるようにロウを注視した。
「そもそも。そのティフォンって王子は、テセウス王を毒殺しようとしたって話じゃねぇか」
「まぁ……たしかに、そういう話になってるけど……」
がんっ!!!
目一杯机を蹴飛ばし、三白眼の青年はその瞳を更に鋭くした。
「国民の前には一度も姿を現さねぇし、どんな奴か判ったもんじゃねぇぜッ」
「ロウさん、それは言い過ぎじゃ……」
「言い過ぎなもんかッ!テメェが王様になりてぇからって父親殺そうとするなんて最低だろうがッッッ!!
そんな奴、どっかでくたばってりゃい――」
がごぉぉぉんっっっっ!!!!
けたたましい音。同時に、ブラックがテーブル代わりとしていた椅子の残骸が、ごろんと床を転がっている。
椅子の、残骸。
四つの足はばらばらに砕け散り、背もたれの部分などは壁に減り込んでいた。
全員が絶句し、その視線はブラックへ集中する。
「……お……お、い…………?」
全力で這うようにして後退るロウ。がこんと背中が壁にぶつかる音が、乾いた声を掻き消した。
「……すまないが、話題を変えてくれないかな。
何故だか判らないけど、すごく腹立たしいんだ……」
「…………わ……わりぃ、……ッ」
盲目の青年が放つ怒気は、いたく静かで、研ぎ澄まされた玲瓏な刃物によく似ていた。
ロウは引き攣った表情のまま、こくこくと首が折れそうな程激しく頷く。
「ふぅん。
ブラックって大人しそうに見えるけど、やるコト結構大胆っていうか突拍子ないわねぇ」
「そうねぇ。でも、そういうところも……す・て・き・よ♪」
「だぁぁッ!!!
あいつは、キレっと手が付けられねぇ程怖ぇんだよ……ッ!」
呑気なカトレアやジャスティンの言葉に、ロウは涙目で訴える。
そんな中。
僅か苦笑を湛えながらも、ラグナは再び場を仕切り直した。
「さて、話を戻すけど。
侯爵の所に攻め入るなら、今夜しかないと思うんだ」
「そうですね。昼間の件が侯爵の耳に入れば、警戒を強化するのは間違いないでしょうから」
「ただでさえ伯爵が逃げ込んでる状況だっていうのに、これ以上警備を厳重にされたら敵わないわ」
「……あ、ああ。だな」
五人はそれぞれ、一度顔を見合わせ。
それから、
「では、今夜。
――ポルゴ侯爵の館へ攻め入ろう!」
立ち上がり、勇ましく右手を掲げるラグナ。
その拳に、よっつ、重なるものがあった。
空は仄暗い群青に色を染め上げ――何かを予感するよう、地平線近くだけが紅く揺らめいていた。