四、遺志(30)
レドフリック伯爵領を発ち、ラグナ一行はポルゴ侯爵領へ足を踏み入れる。
領主館のある街まで辿り着く頃には、一週間が経過していた。
馬車で逃亡したレドフリック伯に大きく遅れを取ったかとも思われたが、伯爵は追手を恐れてか、はたまた民衆の暴動を恐れてか、大きな街道を避けて進んだようで。
幸いにも、ラグナたちが大きく出遅れることはなかった。
「やっと着いたか」
「ああ。噂では、伯爵は昨日、ポルゴ侯爵の館に入ったらしい」
人目を憚り、小声で話すロウとラグナ。
ロウは街中へと歩を進め、ぐるり様子を見回す。
「道理で街の連中が暗い顔してるワケだ。
宴だなんだで色々持ってかれたクチだな」
「貴族は派手好きが多いからねー」
「だが、その資金や食べ物は民たちの涙と血の結晶だ」
肩を竦めるジャスティンの後ろで、ふっとブラックが溜息をつく。
僅かな沈黙がおち、それから。ロウがぽつりと口を開いた。
「貴族って……何なんだろうな」
「え?」
振り向いたラグナは、彼の虚ろな眼差しにぶつかり、ことばを失う。
「貴族ってのはよ。俺たちから見たらすげー優雅な暮らしをしてるだろ?」
「え、ええ……」
かつ、と靴音。ジャスティンも向き直り、ロウの顔を覗き込んだ。
「けどよ。それって俺達『平民』がいないと成り立たねぇじゃねぇか。
だが、奴らは俺達を奴隷か家畜みたいに扱いやがる」
そこで。
再び、場が静まり返った。
街の喧騒が遠く、ざわざわと耳に届く。そんな中、青年は言葉を続けた。
「……俺たちは。
どんなクソ野郎が領主でも、どんな重税課せられても、そこで生きていかなきゃなんねぇ」
そこでロウは一度、言葉を切り――ふと空を仰ぐ。
今にも降り出しそうな、そんな灰色の斑模様が彼の視界を支配していた。
「俺たちって……何なんだろうな……?」
青年の問いに、ジャスティンとラグナは顔を見合わせる。
解答も、かけることのできる言葉もなく、答えあぐねていた二人の後ろから、
「『国民』は――、国の宝、だ」
そう、答えるものがあった。
思わず一同が振り返る。盲目の青年は、なおも続けた。
「そして民に害を成す領主は、ただの害虫だ」
「……はっ、っつーことは何か?俺らは害虫駆除係ってトコか?」
一瞬面食らったような顔をしたが、片目を瞑って頷き、ブラックの肩をばしばしと叩くロウ。
そして、
「成程な。面白ぇじゃねぇか。じゃぁ、トコトン害虫とやらを潰してやろうぜ」
な?――と。
歯を見せて笑い、いつもの悪戯小僧のような視線を皆へと向ける。
頼もしい物言いに、彼らはこくんと頷いた。
「それにしても、さっきのブラックちゃん。
まるで騎士様みたいだったわよねぇ」
両手を胸の前で組み、熱い視線をブラックへ注ぐジャスティン。
「え?そ、そうですか??
……あ、すみません。なんだか口をついて出てしまって」
我に還り口をおさえたブラックは、かし、と極まり悪そうに頬を掻く。
それを眺めていたロウ、大きく伸びをしてから、
「ンなことより、情報を集めようぜ」
と言って、強引に話を仕切り直す。
彼はちらとブラックを一瞥し、傍らのラグナに顎をしゃくってみせた。
「アンタは、ブラックを連れて宿屋を見つけておいてくれねぇか?
そんな恰好で剣なんか持って聞き込みなんて、目立つだろ?」
「……う。た、確かに……」
「お前も大人しく宿屋行けよ。
目が見えねぇ奴に聞き込みなんざできるかっつーの」
けっ、とそっぽを向くロウを愉しそうに眺め、ジャスティンが茶々を入れる。
「素直じゃないわねぇ。
素直に、具合悪いんだから休めって言えばいいのに。可愛いわねぇ♪」
「うっせ!そんなんじゃねぇよ!」
慌てて噛み付くロウ。ブラックははふ、と息をついて相手の言葉を呑んだ。
「ふぅ……。ロウ、今回は従うよ。
これ以上、迷惑はかけられないからな」
「へっ、最初っからそうやって素直にしてりゃいいんだよっ」
ロウはべーっと舌を出してみせると、カトレアたちの方へ向き直る。
「さ、アンタとオカマ野郎は食料とかの補充ついでに聞き込みだ、頼んだぜ」
「『アンタ』じゃなくて『カトレア』。いい加減覚えなさいよ!」
賑やかな話し声を伴い、三人の姿は徐々に遠ざかっていった。
ロウの気遣いに感謝しながらも、やれやれと苦笑するブラック。
「さて、これからどうします?ラグナさん」
そうだな――と返そうとするラグナの声を、別の声が遮った。
「ラグナだって――!?」
市民だろうか。『ラグナ』という単語を聞きとがめ、二人へ駆け寄ってくる人影があった。
彼は二人を凝視すると、ラグナを指差し――
そして。
「ラグナ……!漆黒の聖騎士ラグナ=フレイシスだッッ!!」
歓喜の声は、辺り一面に響する。
聞きつけた市民たちは一斉に振り向き、口々にラグナの名を唱え、二人のもとへ集まりだした。
「拙いな。騒ぎになったら侯爵たちが何をするか……」
「――ッ、すみません……迂闊でした」
「いや。とにかくいまは、この人たちを落ち着かせよう」
周囲を見回し、ラグナは人だかりの中へ進んでいく。
「皆さん、待って下さい!俺たちの話を――」
「天の助けだ!英雄が俺たちを救ってくれるぞ!!!」
「やっと……やっと、この苦しい生活から解放されるんだ!!!」
ラグナは必死で呼びかけるものの、熱狂した人々の耳には入らない。
ラグナ、ラグナ、ラグナ――。
誰ともなく始まったラグナコールは徐々に勢いを増し、二人の焦燥も増していく。
「く――、これでは収集をつけるのは難しいかも知れないな」
「これ以上騒ぎが大きくなっては危険です。一旦逃げましょう!」
ブラックはラグナの手を引き、人垣の比較的薄い場所から人だかりを擦り抜け、走り出す。
狭い小路を縫うように進み、二人は人通りのない裏路地へと逃げ込んだ。
「……ふう。これでは、宿どころではないな」
「面目ありません……」
「いや、気にしないでくれ。……仕方ないさ」
路地の隙間から覗く空に表情を険しくして、どうしたものか思案を巡らせるラグナ。
そんな中、近づいてくる足音に二人は身構える。
「やっぱ、ここにいたか」
ひょこ、と。
角から顔を出し、片手を挙げるのは彼らのよく知った顔だった。
「…………、ロウ」
極まり悪そうに相手の名を呟けば、ブラックは沈痛そうに髪をくしゃりと掻きむしったのだった。