四、遺志(29)
パニッシャーの根城に戻ったラゼルを出迎えたのは、突進してきた大きな荷物だった。
「いま戻ったでー……!?」
腰の高さにどんっ、と衝撃。
「うわっ!……あ、ラゼル兄ちゃん」
パニッシャーの若頭であるディックが、包帯やシーツをちいさな両手に抱え持っている。
小柄な体格にこれだけ持っていては、前方不注意で人にぶつかっても仕方ないだろう。
「なんや坊、ぎょーさん荷物持って」
「あ……うん、…………その、」
それを尋ねられれば、ディックは心なしか俯き、言い淀んでしまう。
暫くそうしていたものの。首を傾げ怪訝そうに凝視する相手の視線に、観念したようにこう答えた。
「えっと……その……
セリオさんが……えっと怪我しちゃ――てッ!?」
「なんやとぉぉぉぉぉぉッッッ!!?」
どんっ!!!
次の刹那、少年が抱えていた大荷物が宙を舞い、床へ叩きつけられる。
ラゼルはそのちいさな両肩をがっと掴と、そのまま容赦なく揺さぶった。
「あうあうあうあうあ」
「ホンマなんか坊!
ああもうこうしちゃおれんわセリオ何処やセリオぉぉぉぉぉッッ!!」
任務ですら見られない程の敏速さで、身を翻すラゼル。
「セリオさんは自室ぅ〜…………きゅう。」
解放されたディックは、そのまま目を回してその場にぱたりと倒れた。
……合掌。
どたどたどたどたどたばたんッッ!!!
けたたましい音が近づいてきたかと思えば、乱暴に扉が開け放たれる。
「セリオ傷は浅いで!気ぃしっかり――ぶへっ」
「やかましい」
闖入者――ラゼルの顔面に、投げつけられた枕が直撃する。
部屋のベッドに収まっていたのは、黒いローブを纏った小柄な少女だった。
その傍らには、壁に背を預けた銀髪の若者が静かに佇んでいる。
「なんや、セリオ。ピンピンしとるやないか。坊も大袈裟やのぅ」
「テメェが勝手に騒いでただけだろ。いつものことだ」
律儀に枕を拾いあげ、ラゼルはベットから動かないセリオに近寄る。
ローブの下に血の滲んだ包帯が痛々しく巻きつけられているのを見咎め、ぴくりと彼の眉が動く。
「怪我したのはホンマみたいやな。お前でもドジ踏むんやな」
「……けッ」
ぷいと顔を背けるセリオ。
遣り取りを眺めていた銀髪の若者が、くすくすと笑みをこぼす。
「あはは、仲良しさんだなぁ」
「……まて、クリス。何処が仲良しだどこが」
セリオは冗談じゃねぇ、と言いたげに頭を抱える。一方、どうして?と小首を傾げるクリス。
「いや〜、セリオは娘みたいなもんやしなぁ」
「誰が娘だ」
にやにやと相好を崩すラゼルに、またもセリオのツッコミが飛んだ。
クリスは微笑ましく二人を見ていたが、とん、と壁から背を離す。
「さて、水を汲んでくるよ」
告げてドアノブに手をかける彼女の背中に、ラゼルはひらりと手を挙げる。
「おお、頼むわ!騒いで喉渇いてもうた」
「……そのまま干乾びとけ」
両手で耳を塞ぐ仕草をしながら、黒衣の少女は沈痛そうに吐き捨てた。
クリスの足音が届かなくなった頃合。
「――今回は、随分時間がかかったな。ひと月も何してやがった?」
はふ、とちいさく嘆息し、ついとラゼルを見遣るセリオ。
ラゼルは困ったように眉をヘの字に曲げ、椅子を一脚手繰り寄せるとベッドの傍に腰かけた。
「せやなぁ……寄り道しまっくたとはいえ、収穫なしっちゅうなっさけない結果やわ」
「……………………」
沈黙が走る。
その重みに耐え切れず、ラゼルはおずおずと口を開く。
「……………………。
頼むさかい、無言で『無能』って訴えるんやめてんか」
「まだ何も言ってねぇだろうが」
「…………もお、ええわ。
そもそも『クリス』なんて名前、何処にでも溢れとるし。フォーレーン出身ってだけやと霞を掴むのと同じや。
銀髪なんぞ珍しいから、何かしら捕まると思うとったんやけどなー……」
「で、今度は言い訳か」
「ともかく!
変な噂もあらんかったし、信用しても平気やろ」
パニッシャーで一、二を争う諜報能力を持つ『策士』を、セリオの言葉は遠慮なくざくざくと突き刺してくる。
一方、クリスと常に行動を共にしていたセリオは、その素性に見当がついていた――否、確信を得ていた。
――フォーレーン有数の剣士である、王国騎士クラリス=トラスフォード。
現在、公には反逆罪で処刑されたとされている人物だ。
クリスの真っ直ぐな人柄を見続けてきたセリオには、その身に何が起こったのかは、容易に想像できた。
恐らく、国政の有力者――若しくは第一王子あたりに直訴でもして、嵌められたのだろう、と。
であれば、本来の『パニッシャー』としての理念に害為す存在ではない。セリオはそう思っていた。
しかしながら。
それはラゼルに告げることなく、ああ、とだけ短く返す。
「まぁ、元気そうやし安心したわ。今は、しっかり休んで傷治すんやぞ!」
「……けッ」
満足そうにラゼルは立ち上がり、扉を潜っていった。
「クリス。ちょい聞きたいんやけど」
廊下を歩いていたクリスを、ちょいちょい、とラゼルが手招く。
彼女は一度首を傾げたのち、やや考えてから水の入った杯を差し出した。
「え?あ、はい水」
「おおきに!……って、水やのうて!」
元気よく杯を受け取ってから、はたと我に還って掌を反転させるラゼル。
「え??」
(あー、あかん。調子狂うわー……。
こいつ、ある意味ファング以上なんとちゃうか……?)
ぱちくり。瞬きを繰り返すクリスに調子を狂わされたようで、彼は青い髪をがしがし掻きむしった。
「セリオの怪我なんやけど、一体どないしたんや?」
くいと顎をしゃくり、セリオのいる部屋を示す。その様子にああ、とクリスは頷く。
「前回のガンドロフ伯暗殺任務で……マーティンという傭兵と一戦交えてね」
「傭兵ぃ?そんなんに後れをとるようなアイツやないやろ」
懐疑的な物言い。無理もないだろう。パニッシャーの四天がひとり、『悪魔』の二つ名を持つセリオが――いち傭兵に負傷させられるとは考えにくかった。
続く言葉を待つラゼルに、クリスはふと天井を仰ぎ、それから、
「傭兵も腕は立つようであったけど――」
「……?」
「傭兵が口にした『ヴァレフォール伯爵家』という言葉に、セリオが平静を失ってしまてね。
突然のことで、僕もフォローしきれなかった。すまない」
「なん、やと……!?」
驚きに目を見開くラゼル。
(『ヴァレフォール』……セリオの生家を知っとる傭兵か……)
苦虫を噛み潰し、なんとか言葉を次ぐ。
ノルンの名門貴族で、国王とも懇意にしている家柄でもあったヴァレフォール伯爵家。伯爵がかなりの強硬派であった為、巷での評判もまっぷたつに二分される。
「成程の。それでキレて暴走して、怪我したっちゅーワケか……
で、その傭兵は?」
「セリオの魔法で倒したとは思うけど、生死は確認できなかった。
周囲も騒がしくなっていたし、宴の時間が近づいていたからね。撤退を優先したよ」
「せやな、ええ判断や。
はぁー……セリオには生家の話は禁句やからなぁ」
「……やはり、そうか」
視線を床へ落とす。
ヴァレフォールという単語を耳にしたときのセリオの姿は、あまりに危うく――いまにも壊れてしまいそうに見えた。
恐らく何かあるのだろうとは、思っていたけれど。
自分にも……思い当たる節がないわけでもない。だから、クリスはそれ以上尋ねることはしなかった。
「せや。
ホンマ、クリスと組ませといて正解やったな。おおきに」
彼女がいなければ、セリオの心は壊れかけていたかも知れない。それくらい、あの少女が脆いことをラゼルは知っていた。
なればこそ。
彼はクリスに、心から感謝の意思を伝えた。
「いや、僕はなにも。
……それより、ラゼル」
「ん?なんや?」
じ、と。紫水晶の双眸が、男を見据える。何事かと思わず向き直るラゼル。
「ずっと線目だと思ってたけど、ちゃんと瞳もあったんだね」
がくっ。
「当たり前やろ!!!おどれ、俺は何かの化物かいな!」
力一杯ツッコミを入れる彼の大声が、セリオの部屋にまで届いたことは言うまでもない。