四、遺志(28)
街の中央、一際小高い位置に佇む立派な洋館。
レドフリック伯爵の暮らす領主館へ辿りついた一行は、周囲を見回すと顔を見合わせた。
「ここだな……んぁ?門番とかいねぇのか?」
訝しむロウの言葉に、ラグナが傍らで頷く。
「確かにおかしいな……。幾ら伯爵に逆らう者がないとはいえ、門番くらいは配置するはずだ」
「そうね。それに……妙に静かだし……」
二人を交互に見遣ってから、門の向こうに聳える薄暗い館に視線を戻し。ジャスティンも声を潜める。
兵の姿ひとつ見当たらない。門はおろか、室内にも灯りひとつない領主館。
それは、あまりにも違和感のある光景だった。
そのとき。
困惑していた三人の背中越し、聞き覚えのある声が届いた。
「この前の兄さんたちやないか。こないなトコで何してん?」
振り向けば、人影がひとつ歩み寄ってくる。街の中心地だというのに灯りがことごとく消えており、姿は薄っすらと浮かび上がるのみだ。
「その喋り方と声は……ラッド、さん?」
首を傾げるラグナ。覚えのある名を、ぽつりと呼んだ。
「髭ねぇけど、あの時の行商人みたいだな。
……お前こそ、こんなトコで何してんだ?」
首を捻るロウに、ラッドと呼ばれた男は癖のついた青い髪をくしゃ、と掻いて人懐こく笑う。
「伯爵はんに品を買うて貰お思てな。髭は剃らな印象悪いさかい」
「そういうもんかぁ?」
「しかし、こんな時間に営業をしていた訳ではないでしょう?」
月も既に沈んだ頃合。お世辞にも、謁見が赦される時間ではあるまい。
空を仰ぐラグナに、男は顎をしゃくって館を示す。
「俺が伯爵んトコに通されたんは夕方や。
今夜は館に世話になる話になっとったんやけど……」
「……けど?」
続きを促すよう、鸚鵡返しにそう呟くジャスティン。
男は三人にずい、と顔を近づけ、
「出たんや」
――え、と。ジャスティンは思わず漏らす。心なしか、声が一段低かったかもしれない。
「出た……って、お、おい……
ま、まままさか幽霊とか言わねぇよなッ!?」
「ロ、ロウさん……!へ、変なこと言わないでくださいよッ」
「……はぁ。二人とも、腰が引けてるわよ?」
坊やたち、そういうの苦手なのね?――と。
にっこりと釘を刺す麗人に、思わずロウが詰め寄る。
「なッ――、ンなわきゃねぇだろ!?」
ムキになる彼の姿が可笑しかったのか、ジャスティンはどうかしらー、と、ますます調子づく。
「アホ、こないなときに怪談なんぞするかい。
出たいうたら――アレしかないやろ」
寂しげにそこにある館に、再び男は向き直る。一歩、二歩、歩み寄って――
それから。
「パニッシャーの粛清が下ったんや。
俺は、混乱に乗じて逃げおおせたんやけど」
ひょい、と。肩を竦めてそれだけ告げる男。
「パニッシャーですって?」
「『国境なき義賊』パニッシャーが……現れたのか。
そうか、神は……ここの民を見放してはいなかったんだ」
目を輝かせるジャスティン、一方で祈るように顔の前で十字を切るラグナ。
しかし、相手からの返答は彼らの期待に沿うものではなかった。
「いや。伯爵は上手いこと逃げよったみたいやで。
隣の領土を治めとるポルゴ侯爵んトコに泣きつきよったみたいやけど、戻ってくるのも時間の問題とちゃう?」
落胆する二人を横目に、成程と頷くロウ。
「あー……そういや、レドフリック伯爵はポルゴ候の腰巾着だったな」
「伯爵がポルゴ候を頼ったとなれば……。候爵の部下を連れて戻ってくる可能性もあるな。
それでは元の木阿弥だ。それに――候自身もあまりいい噂を聞かない」
ラグナは沈痛な面持ちでひとつ唸り、それからロウとジャスティンに向き直った。
そして彼が口を開こうとした矢先、
「っしゃ、候爵の所に乗り込んでみるか」
「…………、え?」
台詞をまるごとロウに奪われたかたちとなり、きょとんとして青年は瞬きを繰り返す。
「どうせ放っておけねぇだろ?」
「あ、……ああ」
に、と。琥珀色をした髪の間から悪戯じみた瞳が輝く。
「じゃぁ決まりだ!早朝にココを発とうぜ。
多少は睡眠をとっとかねぇと戦いに響くしよ」
そんな青年の言葉を、何処か頼もしく聞いて。
ラグナとジャスティンは互いを見合わせ、首肯する。
「さよか。兄さんたちは、候爵んトコいくんやな」
そんな三人の様子を眺め、納得したように男はふっと息をついた。
「ああ。……で、あんたはどうする?」
「もし、ラッドさんも力を貸してくれるなら、有難いが……」
一歩歩み寄り、相手を真摯な瞳で見据えるラグナ。
しかし、男はゆるりと首を横に振った。
「すまんな。一緒には行けんわ。
俺も――行かなあかん場所があるよってな」
告げて、彼はそのまま三人に背を向ける。
「そう。それじゃあ仕方ないわね」
「辛い戦場になる……無理強いはできないさ」
さく、さく、と。
男の軽い足音が鳴る度、暗がりの中にその輪郭が溶けてゆく。
「だな。ま、情報助かったぜ。さんきゅー」
大きく手を挙げ、遠ざかる相手に声を届かせるロウ。
「いやいや、大したことやあらへんて。
ほな、生きとったら――またな」
ひらり。
一度だけ、手を挙げて。
そのまま、彼が振り向くことはなかった。
ひたり。
三人の姿が完全に届かなくなった街外れで、一度、足を止め。
男――パニッシャーは『四天』がひとり、ラゼルは途方に暮れて溜息をついた。
(そろそろ一度、アジトにも戻らんとあかんし。
クリスっちゅうたか……あの新入りのことは結局掴めへんかったけど。ま、しゃーないわな)
脳裏に浮かぶのは、涼しげな銀色の髪。
はふ、と。
もう一度だけ溜息を残し、ラゼルは再び――闇にその身を投げた。