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漆黒の聖騎士  作者: 鷹峰
四、遺志
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25/39

四、遺志(26)

 その晩。

 ――『僕』はまた、あの夢を見た。




 ――……ちゃ。


「にいちゃ?……にいちゃっ!」


 あどけない声に、はっとして『僕』は振り返る。

 こちらを見上げてくるのは――二、三歳くらいだろうか。幼い少女だ。

 目が合うと、その円らな瞳はにっこりと満面の笑みを象った。

 少女のちいさな手が『僕』の手を握り、ぐいと引っ張ってくる。

 次の瞬間、その手にひかれ数歩前へ進み出たのは――

 一二、三歳くらいの、少年だった。

 短く切り揃えた黒髪に、動きやすそうな白い服と藍い外套を羽織っている。

 少年はちょっと困ったような顔をして、少女の頭を撫でた。

 

「兄さーんっ!ティーニっ!」

 遠くから近づく人影に、少女はぱあっと表情を輝かせる。

「にいちゃ!にいちゃ!!」

 息を切らし駆け寄ってきたのは、小柄な金髪の少年だった。

 少女はぴょんぴょんと飛び跳ねて、彼を出迎える。

「ティーニ、転んだら危ないから飛び跳ねるなって!」

「にいちゃ、にいちゃ♪」

「もぅ、人の話聞いてるのかぁ?」

 頭を抱える彼の、しかし口元は笑っていた。

「あははは。ティーニはお前に懐いてるからな。

 それで、どうかしたのか?」

「あ、うん。父さんが兄さんを探してたよ!」

 思い出したようにぱちんと手を合わせ、金髪の少年はそう告げる。

「父さんが?」

「いまは仕事場の方に行っちゃったけどね。

 ティーニは僕が見てるから、行っておいでよ!」

 彼はしゃがんで少女に目の高さを合わせると、その両手で彼女を抱え上げた。

「ああ、わかった。

 ――頼むな、『お兄ちゃん』」

「……っ!

 うんっ!任せてよ!!」

 胸を張り、誇らしげに頷くその姿に、知らず笑みがこぼれた。


 それはとても懐かしくて、じんわりと、胸が温かくなる。

 あの黒髪の少年が――『僕』なのだろうか。


 ところが。

 ざわり、ざわり――と、温かな感覚を徐々に蝕むものがあった。

 コノママデハ、イケナイ。

 はやく、はやく――急き立てるよう、何かが心を揺さぶって離さない。

 きゅ、と。

 息苦しさを覚え、胸元を握り締める。

 黒髪の少年は足を止め、周囲を見回していた。


 その次の、刹那。

 周囲に景色がひろがり、

 同時に、

 遠くから――その景色をつんざくような、叫び声が聞こえた。

「山賊だぁぁぁぁぁぁっっっ!!!

 みんな、早く……はやく逃げるんだっ!」

 誰かの声。次いで、幾つも悲鳴が轟く。

 逸る鼓動と共に速度を増す足は、しかし逃げ惑う村人とは逆行していた。

 いつの間にか、

 『僕』の視界は、黒髪の少年と重なる。

 ただひたすらに、地を蹴って、蹴って、蹴飛ばして、

 どれだけ走っただろうか。

 目まぐるしい速さで通り抜けていった景色は、速度を緩め……やがて、停止する。

 そこに映ったものは、

 数名の山賊と戦う、男性の姿だった。

 先程の少年によく似た、金色の髪。両手剣を握り、山賊の斧を防いでいる。

 が、彼は何故かとても戦いにくそうに見えた。

 感じた違和感が『僕』のものなのか、それともこの少年のものなのか。

 判別できず混乱していると、男性は辛うじて山賊を退けたようだった。

「――父さん……ッッ!!」

 僅か、揺らぐ、少年よりずっと大きな体躯。

 少年――いや、『僕』は慌てて駆け寄り、じっと彼を見据えた。

「おお、無事だったか!」

「俺は大丈夫……それより、なんで剣で戦ってるの!?

 斧はどうしたのさ!!」

 その声に、『僕』の違和感は氷解する。

 ああ、そうだ。

 彼の動きは、剣を扱う者の動きではなかったのだ。

「あ?ははは……ちっと、斧はいま鍛冶屋にあってな」

「もう!何やってるんだよ!!

 …………ッ!?とう……さん……怪我、してる……の?」

 腹部に朱い染みが滲むのを見咎め、『僕』は青ざめる。

 男性――父は、口の端に笑みを浮かべ、

「はっ、こんなもん掠り傷だ。

 それより、お前は早く家に戻れ。母さんたちが心配だ」

「嫌だッッッ!!!

 山賊が襲ってきたんだろ!?俺だって戦えるよ!!」

 真っ直ぐに睨み返す『僕』を、父の怒声が一蹴した。

「馬鹿野郎ッッッッ!!!!

 戦場も知らねぇガキが、生意気言ってんじゃねぇッッ!!」

 思わずぎゅっと目を瞑り肩を震わせ、それから、おずおずと目を開く。

「ッ!?……とう、さん……」

「――……、男にはな。

 例え命と引き換えにしても、やんなきゃならねぇコトってのがあるんだ」

 ――名前を。

 呼ばれたような、気がする。

 なのに、その部分だけ靄がかかったように聞き取れなかった。

「判んないよ!!

 父さんも母さんも、命は何よりも大切だって言ってたじゃないか!」

「ああ、大事だ。だから、俺は身体を張るんだよ。

 ――大切な家族の為に、な」

 誇らしげに笑う、その声は、表情は。

 真夏の太陽のように眩しくて、

 なのに、

 何故だか、胸を締めつけられるようで。

「…………ッ、」

「お前にもあるだろう?守るべきものが」

 ずっと高い位置にあった父の碧い双眸が、『僕』の目の前にある。

「母さんもきっと戦ってる。けどな、敵の数も多い。

 弟や妹は……誰が守るんだ?」

「それは、…………」

「判ったならさっさと行け。ここは、父ちゃんに任せてよ」

 ぽん、と、頭に乗せられた大きくて肉刺だらけの手。

 その温度を感じながら――

 これが最後なのだと、『僕』は理解した。

 ――父さんは、死ぬまで戦い続ける。

 覚悟を決めた者を止めるだけの力も言葉も、幼すぎる『僕』にはなくて。

「……イヤ、だからね。

 絶対――ゼッタイ、死んだりしたら嫌だからねっっ!!!」

 叶わない願いなのだと、きっと知っていた。

 それでも。

 そうであったとしても。

 早く行けと促す大きな背中に、『僕』は、叫ばずにはいられなかったんだ。


 滲む景色を抜けて、一軒の家の前で立ち止まる。

 が、扉が壊されているのを見れば、腰の剣を引き抜き、中へと飛び込んだ。

「……母さん!?」

 ふらり、背中を預けていた壁を離れ、黒髪の女性が覚束ない足取りで近づいてくる。

「!……貴方も無事だったのね、よかった」

 その壁にはべったりと、血の痕が残されていた。

「な、……かあさ、ん……?

 ……そんな、どうし……て、」

「大丈夫。そんなに深い傷ではないわ」

 母さん――そう、幼い『僕』が呼んだ女性は、奥の部屋へ続く扉を顎で指し示す。

「奥に二人がいるわ。

 はやく……行ってあげて!ティーニが――」

「ティーニが!?」

 あどけない笑顔が脳裏に過ぎり、消える。

「急いで、二人を連れて裏口から逃げなさい」

「え……母さんは!?

 母さんだって、酷い怪我じゃないか!」

 彼女はゆっくりと、首を横に振る。

「私には、まだやるべきことがあります。

 村にまだ人が残っているかもしれないのに、治療など受けている暇はありません」

「母さん――」

「それから。……これをレイチェル様に」

 なおも縋る『僕』の声は、金属音に遮られる。

 掌に、硬く冷たい感触。

 覗き込むと、勲章には黒いグリフォンの紋が刻まれていた。

「これ、は……?」

「これを見せれば、レイチェル様なら判ってくれると思うわ」

 『僕』の指を折り畳むようにして。母はそれを、無理矢理握らせる。

「……………………」

 ざわり。

 不愉快な感覚が、胸の中で蠢く。

「さぁ、行きなさい」

「……母さん……――ッ」

「……、あの子たちを――お願いね」

 ああ、まただ。

 その唇が、『僕』の名前を紡いでいると判るのに。

 そこだけが、いつも聞き取れない。

 彼等がつけてくれたその名前が、何なのかすら判らない。

 ここにいるのは――誰なのか、その問いに答えるものはない。

 しゃがみ込んで『僕』の顔を覗き込む母は、穏やかな笑みを湛えていた。

 託された、その、信頼を。どうして裏切ることなどできるだろう。

 ついさっき感じたもどかしさと同じ。

 駄々を捏ねることもできなければ、状況を変える言葉も力もまだ持っていない、宙ぶらりんの状態。

 一度、下唇を噛んで。

 そして。

 『僕』は顔を上げると、なんとか笑みをつくってみせた。

「……だい、じょうぶだよ。

 任せてよ!……俺に、まかせて……よ」

 口が乾ききっていて、言葉が掠れる。

 胸を叩いてみせる手には、爪が深く食い込んでいた。

 足枷を嵌められたように重い足を、運び、弟妹の待つ奥の部屋へと向かう。

 ――「ありがとう」、と。

 背中越しに、母の最後の声を聞いた。


 重い足取りはやがて、弟妹の待つ部屋に『僕』を運ぶ。

 カーテンで閉めきられた薄暗い部屋に、時折すすり泣くような声が響く。


 ――知っている。

 ――『僕』は、この場面を……知っている。


 震える足。一歩ずつ、歩を進める先に、

 人影らしきものが薄っすらと浮かび上がった。

 蹲っている人影は、金髪の少年。

 彼は、大事そうに幼い少女――ティーニを抱え、声を殺して泣いていた。


 『僕』は息苦しさの中、拒む足を一歩ずつ少年へと運ぶ。

 軋ませていた歯が、知らずかたかたと震えだした。


 生気のない肌。力なくしな垂れた腕。

 そして……そこに伝う、赤銅色の雫。


 ――「……許さない……っ……絶対に、あいつ等を許さないッッ!!!」


 『僕』は、少年へと手を伸ばし――




 ぱしん。

 しかしその手を取ったのは、少年ではなかった。


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