三、紅蘭の舞姫(23)
耳を済ましていたロウは、ふとあることに気づく。
「……今、女の悲鳴もしなかったか?」
ブラックは感覚を鋭くして、駆ける足音を追う。
がしゃがしゃと金属音と共に届く重い足音とは別に、軽い足音がひとつ、交じっていた。
恐らくは――子供か、女性。
「今の情勢を考えると、見て見ぬふりもできないかな」
「ったりめぇだ!」
ロウはベットから勢いよく飛び出し、壁に立てかけてあった細長い布袋に手を伸ばす。
「あ……ふ。ちょっと、二人ともどうしたの?
夜更かしは美容の大敵よぉ?」
「ん?……どうかしたのか?得物なんか持って」
俄かに部屋が騒がしくなったため、二人も目を覚ましたようだ。
「あ、わり。起こしちまったか」
「あれだけ大声を出せば……まあいい。
外で、女性が男たちに追われているようなんだ」
青年の台詞に、ラグナとジャスティンの表情が一変する。
二人は慌てて外套を羽織った。ラグナは枕元の剣を手に取り、扉へと足を速める。
「ま、……ひと暴れすりゃ、案外いい気分転換になるかもな」
乱暴に肩を叩き、廊下へと消えていくロウ。
「――、すまない……ロウ」
その背中をぼんやりと眺め、呟いた言葉は――親友のもとへ、届いただろうか。
石畳を跳ねる軽い足音が、夜の静寂を彩る。
(どこの世界にもいるのね、ああいう命知らず……)
高速で流れていたランプの灯りが、ふとその速度を緩めた。
「……………………っ」
なんとはなしに、踊り娘は振り向く。
――「早よ行き。ここは俺が何とかするさかい」
見ず知らずの男が、笑いながら言ってのけた言葉。
「〜〜っ!自分から火に飛び込むバカが悪いのよっ!!」
過ぎった憂慮を振り払うよう、ぶんぶんと頭を振った。
――そうよ、あたしには関係ないわ。あたしには、……
と。
彼女の思考は、物々しい声に中断を余儀なくされる。
「さぁ、もう逃げ場はねぇぜ!」
がしゃん、と金属が耳障りに啼く。
少女は――袋小路に追い詰められていた。
「…………っ、」
しまった、と思うが、既に退路は封鎖されている。
僥倖も、二度は続かない――
そう、思われた。
「さぁ、大人しく館に帰るん――だっ!?」
踊り娘に手を伸ばした兵士。その後頭部に、槍の柄が激突する。
男は、そのまま泡を噴いて倒れ込んでしまった。
「おっら見ろ!俺のコントロール!!」
「馬鹿、自分の獲物を投げる奴があるか」
腕まくりなどして自信満々なロウに、じと目で突っ込みを入れるブラック。
ざ、とその前に進み出たラグナが、兵士たちを仰ぎ見た。
「大の男が一人の女性を追い回すなんて、あまり趣味がいいとは言えな――」
「カトレア!?」
……、え?
ジャスティンの声に、台詞は遮られる。
思わず一同が麗人の方を向き、首を傾げていると、
「ジャスティン!!」
男たちの間をすり抜けて、踊り娘はジャスティンに飛びつく――
否。
めいっぱい飛び蹴りをかます。
「ったく、いままで何処ほっつき歩いてたのよ!」
カトレアと呼ばれた少女は、手を腰に当て、頬を膨らませる。
あまりといえばあまりの光景に、青年たちは開いた口が塞がらなかった。
「ほっつきって……こいつ、アンタを探してたっつーのに……」
「おい!てめーらッ!!」
完全に無視される格好となっていた自警団の兵士が、怒鳴り声をあげる。
その存在を思い出し、彼等は向き直った。
「お前等、その踊り娘の知り合いか?だったら、さっさと女を渡せ!
そいつは、伯爵様が買い取ったんだ!」
「『伯爵が買い取った』……だぁッ!?」
みるみるうちにロウの顔色は憤怒に染まり、鎧姿の男へと駆け出す。
そして、
勢いそのままに、男の顔面を思いっきり殴りつけた。
「だったらテメェら片付けて、その伯爵ってクソ野郎をぶっ飛ばしてやるッッ!!!」
先程投げた槍を拾い上げ、自警団を睨みつけるロウ。
「あぁもう……相変わらず無謀なことを……」
「まぁ、ロウちゃんらしいけどね♪」
しんそこ頭を抱えるブラックに、頼もしげにくすくす笑うジャスティン。
「とにかく、加勢しよう!」
ラグナの言葉に皆が頷き、既に暴れているロウの加勢に走り出した。




