三、紅蘭の舞姫(22)
――『僕』は、夢を見ていた。
毎晩、暗闇に閉ざされた世界にそれは繰り返される。
――「何をしているんだ?」
――「そうだよ!こんな所で立ち止まって、……らしくないなぁ」
途切れ途切れに届くのは、『僕』を呼ぶふたつの声。
声の主に、心当たりはなかった。
それでも。
その声はどうしようもないくらい懐かしく、そして心地好く、僕の心へ染み込んでいく。
まるで息を吸うように、
当たり前で、しかし、なくてはならないもののように、
『僕』は、その声を受け容れる。
――「早く早くー!おいてっちゃうよっ」
――「ほら。……いくよ」
手を、差し伸べられたような気がした。
僕は知らず、その相手へと手を伸ばし――
そこで。
いつもなら、夢から現へと引き戻される。
しかし今日だけは違った。
その夢には、続きがあった。
――「……っ……ひっく……ひく……ッ」
暗闇に支配されていた世界に、
人影らしきものが薄っすらと浮かび上がった。
蹲っている人影は、金髪の少年。
歳の頃なら七、八歳くらいだろうか。
彼は、大事そうに『何か』を抱え、声を殺して泣いていた。
……どくん。
鼓動が、『僕』を大きく揺さぶる。
まるでその先に待つものを、拒絶するように。
『僕』は息苦しさの中、拒む足を一歩ずつ少年へと運ぶ。
軋ませていた歯が、知らずかたかたと震えだした。
彼の傍へと辿り着き、その腕が抱きかかえていたものを見て、
思考が、完全に凍りついた。
……どくん。
全身が、それを理解することを拒んでいる。
握り締めた手に爪が食い込み、血が滲む。
視界にひろがるものを直視できず、『僕』は顔を逸らした。
少年のちいさな腕が抱えていたのは、
――更にひとまわりちいさな、幼い少女。
生気のない肌。力なくしな垂れた腕。
そして……そこに伝う、赤銅色の雫。
それは、ひとつの残酷な解答を導き出していた。
――「……い、」
少年の唇が、僅かに動く。
――「……許さない……っ……絶対に、あいつ等を許さないッッ!!!」
少年の口から吐き出された、憎悪の言霊。
呼吸が、できなかった。
『僕』は、少年へと手を伸ばし――
夢は、
そこで……途切れた。
「――ッ……は、はぁ……」
気がつけば、青年は肩で息をしていた。
身を起こしぐいと額を拭えば、じっとりと脂汗が滲む。
なんとはなしに手を結んだり開いたりを繰り返し、それからぼんやりと天井を仰いだ。
――あれは、誰だったのだろう。
そんな思考を中断したのは、とんとん、と肩を叩かれる感覚。
「……どうした?顔色が悪いぜ」
近い距離から、やや抑えた声があった。
「ああ……ロウか。
すまない、起こしたかな?」
聞き慣れた声の色に、知らず安堵の息を漏らす青年――ブラック。
「ンなことより。
随分うなされてたぜ、どうかしたのか?」
「夢を、――見たんだ」
「夢……?」
声を更に潜めて、ロウは問い返す。
ブラックが口を開こうとしたそのとき、
「――いたぞ、あの女だ!」
どたどたとけたたましい騒音が、窓の外から聞こえた。