三、紅蘭の舞姫(19)
懐かしいホルダン村の姿が視界に入ると、村娘たちは互いに手を取り合い、狂喜のあまり泣き出してしまった。
むせび泣く彼女たちの背をぽんと叩くジャスティン。
「さ、早く行きましょう。家の人たちが待ってるはずよ」
「……はいっ」
大きく頷き、少女は少しだけ歩くペースを上げる。
それを微笑ましく眺めていた麗人の瞳は、ふと――明後日の方向へ向かっていた。
「ジャスティンさん、どうしました?」
「え?……ああ、何でもないわ。
無事助け出せてよかったと思って」
ブラックの問いに、ぱたぱたと手を振って返す。
そうですね、と安堵の表情を浮かべる面々の中、ロウだけは渋い表情でジャスティンを見据えていた。
そのとき。
見覚えのある声が、遠くから届く。
「ロウ……っ!ロウ、ロウだろうっ!?」
ふっくらとしたシルエット。顔はよく見えなかったが、声の主が誰なのかロウにはすぐに判った。
「おばちゃん!?」
手を挙げて大きく振っていると、その輪郭は徐々に大きくなる。
「あんた、無事だったんだねっ!」
がばっ!
恰幅の婦人は、力一杯ロウを抱きしめる。
「ちょ――お、おばちゃん、何して、」
あちこちで同じように、囚われていた村娘が身近な人々と感動の再会を果たしているのだが、彼の視界は遮られ、頭の中もそれどころではない。
「あんたは、いっつもそうやって無茶ばかりするんだから!こっちは心臓が幾つあっても足りないよ!
うちのドラ息子だけじゃなく、あんたにまでもしものことがあったら、あたし、あたし……どうすりゃあいいんだい……!?」
ぼろぼろと大粒の涙を零しながら、彼女はますますきつくロウを抱きしめた。
「お、おい……おばちゃん……
ったく――おふくろと同じこと言いやがるぜ」
「当たり前だよっっ!!!」
ますます怒鳴られてしまい、ロウは流石にしまったという顔になる。
婦人には、生きていればロウと同じくらいの歳になる息子がいた。
――生きていれば。
聞いた話では、今回のような悪漢たちから母親――彼女を守ろうとして、その刃に倒れたのだという。
ロウは号泣する彼女の背中を叩き、そっと宥めにかかる。
「……わり。
な、俺はこのとーりピンピンしてっから!もう泣くなって、な?」
しかし泣きは止む様子は一向になく、途方に暮れてしまった。
「な、なあー……?皆見てるじゃねえか……勘弁してくれよぉ」
気恥ずかしさに耐えられず、徐々に弱々しくなる声。
真っ赤になって辺りを見回せば、にこにこ笑顔のブラックと視線がぶつかり、ぎろりと目一杯睨みつけた。
「ああ、ごめんね。何だか緊張の糸が解けちゃって……」
漸く顔を上げた婦人の目には、泣き腫らした跡がくっきりと。
「ほんとうに……有難う、ロウくん。それに皆さんも」
四人を取り囲むように、村の人々が集まりはじめた。
救出された中には、ひと山越えた別の村々から連れ去られた娘もいる。
しかし、近辺の集落は殆どが騎士崩れにより壊滅。暫くはここホルダンで力を合わせ暮らしていくことになった。
「もうこの村には、何も残されちゃいないが……こうして戻ってきたもんもある。
こんな日くらい、ご馳走を用意させてくれんかね」
潤んだ声で、杖を手にした老人が青年たちへ歩み寄る。時折体勢がよろめくと、傍らの少女がお爺ちゃん、と慌てて支えた。
「そうだよ爺さん!今夜は祝杯だ!……酒はもうないけどな」
少女と抱き合っていた中年の男性が、しきりに頷く。
「ささ、旅の方たちも。今夜くらいはゆっくりできるじゃろう?
恩人に礼もできぬとあっては、ヴァユ様に申し開きができぬからの」
老人はロウ、ブラック、そしてラグナの手を取り、何度も何度も頭を下げていた。
しかし、
「有難う。でもゴメンね、お爺さん。
アタシ――まだ、行くところがあるからゆっくりできないの」
最後に恭しく老人の手を取ったジャスティンは、丁重にそう断りを入れ。
村じゅうが祝賀ムードという中を、踵を返し歩き出していた。