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BLOOD STAIN CHILD Ⅱ  作者: maria
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六十五章

 いつもの比、ではなかった。

 仕事の連絡があった翌日から、ミリアは丹念に半身浴に毎日一時間も掛け、そして三食全てをスムージーにし、小遣いを叩いて美容室に駆け込み、トリートメントだのということをしてきては髪の毛がさらさらになったと喜び、それから丹念に爪を磨き上げ、そこで小遣いが底を尽きたのか「エステ、行けない。」と嘆いたところで、さすがにリョウは激昂した。

 「てめえ、昨今頓に色気づきやがって! 中学卒業した途端一体何なんだよ! ガキの分際でエステとかなあ、どこのクソブルジョワだあ! そんなん、我が黒崎家じゃあ絶対許さねえかんな! 覚えとけ!」そうがなり立てると、ミリアはさすがにしゅんとなり、「……はい。」と愁訴することなく納得した。


 そうして撮影の日がやってくる。ミリアは玄関で何度も「絶対に、迎えに来てね。忘れちゃ、ダメよ。三時ね。」と繰り返すと、一枚の紙きれを手渡す。「場所は、ここ。」

 「わかったよ。」そう答えると、ミリアは投げキッスをして出て行った。それを見送る間もなく、リョウもレッスンのためにギターとエフェクターボードを担ぎ、家を出る。


 暖かな日差しは一足早い春の訪れを感じさせていた。桜が南の方ではほつほつと咲き始めたと、今朝のニュースでやっていた。

 今日ばかりはさすがにスタジオに籠ってギターを弾くよりも、ミリアとどこかに出かけたかったな、などとリョウは思う。公園、ドライブ、買い物、遊園地、どこだってミリアは喜ぶだろうと想像するだけでリョウの口許は緩んでくる。こんな天気の良い日は、朝飯を食ったら弁当作って……。そうだ、ミリアは焼きそばに薄焼き卵を乗せたのが好きだから、それを綺麗に穴開けずに作ってやったら、弁当を開けた瞬間歓声を上げるだろう。リョウは赤信号で止まりながら、ヘルメットの奥で微笑みを浮かべる。そして、ふと我に返る。これって、付き合っている、みてえじゃねえか……。そのまま茫然とし、青信号になっていることにさえ気付かず、後ろからクラクションが鳴らされる。リョウは慌てて走り出した。


 「大人っぽいメイクでお願いしますね。」そう化粧台に座ったミリアの頭上から、今や社長夫人となったアサミがヘアメイク担当者に話しかける。

 「十八に見えれば、いいよ。」ケープを纏ったミリアが笑顔で言う。「でも十七じゃダメなの。捕まっちゃうから。」

 「わかりました。」ヘアメイク担当者はそう言って丹念にミリアの頬に、額に、丹念に下地を練り込む。

 「でも、本当に綺麗な場所ね。」黒いスーツを着込んだアサミは眩げに窓の外を眺める。チャペルの前にはプールが設えられており、その周囲では春の花々が咲き誇っている。「来月オープンですものね。」

 「社長と大塚、……じゃない、アサミさんの結婚式だって、凄く綺麗な所だった! お姫様のおうちみたいに。」

 「ありがとう。」アサミはつい先だっての自分の結婚式を思い出し、微笑む。

 「新婚旅行行って、暫くお仕事お休みするのかなって、ユウカちゃん言ってたのに、もうお仕事ね。」結婚式で同じテーブルに座ったモデル仲間の発言を思い出し、ミリアはそう言った。

 「まさか。」アサミは大仰に驚いてみせる。おかっぱの黒髪が顎のラインでさらさらと揺れた。「みんなにお仕事をさせておいて自分ばかり席を空けるなんて、社長は絶対許さないわ。特にこのお仕事は、絶対にミリアにさせるんだって、それはそれは張り切っていたんですもの。」

 「ありがと。」ミリアは振り向いて微笑んだ。

 「リョウさんはいつ来られるの?」

 「三時!」ミリアは思わず大声を発する。

 「ちょうど撮影が終わる頃合ね。社長もそのぐらいに来るわ。おいしいレストランのケータリングも。」

 「うん。」ミリアは満面の笑みで肯く。「ちゃんと地図も渡してきた。」

 「リョウさん、不審がってなかった? いつも電車なのにって。」そう言ってアサミはくすくすと笑う。

 「大丈夫なの。でも、一昨日エステに行こうとしてお小遣いがないって、言ったら、とっても怒ったの。クソブルジョワー! って。」

 アサミもメイクをしている若い女も思わず声を上げて笑った。

 「若いですし、エステなんて行ったってまだまだそんな効果はないですよ。ファンデーションだっていらないぐらいなんですから。色白で本当に肌理細やかな肌。……ちょっと、アイシャドウ塗るので、目を閉じててくださいね。」女はトントンと手を小刻みに動かしながら言う。

 「いい天気にも恵まれて……。」大塚は再び窓の外を見ながら言った。

 「リョウとどっかお出かけ行きたかったなあ。」ミリアも釣られて呟く。「公園でも、ドライブでも、お買い物でも、遊園地でも、何でもいいの。リョウといれたら。そしたらね、リョウはとっても料理が上手だから、きっとお弁当も作ってくれるな。一番おいしいのはねえ、……」と言って首を傾げ、すぐさまメイク担当者に直される。「一個には決められないんだけれど、でもねえ、……焼きそばがすっごい、」と言ってミリアはぎゅっと目を瞑った。

 「あ、そんなにぎゅっとはしないで。まだアイシャドウ終わってないから。」

 「……おいしいの! 初めてリョウがミリアに作ってくれたお料理も焼きそばだったよ。それにね、ミリアのだけ特別にしてくれるの。卵あるでしょ? あれを破かないようにうっすーく焼いて、乗っけてくれるの。ミリアのだけ。だからすっごくおいしいの!」

 「仲いいのね。」アサミは目を細める。

 「いいよ。ケンカするけど。」

 「ケンカ?」

 「リョウは怒りっぽいし、ミリアは泣き虫だから、ケンカになるの。最近はねえ、今言ったエステでしょ? あと、髪の毛赤くして怒られた。あと、その前は0点いっぱい取って怒られた。」

 「見た目によらず、いえ……。」大塚は慌てて口許を抑えると「今はとても好青年に見えますけれど、その、……真面目なんですね。」

 「ギター上手になるのは、真面目じゃないとダメだよ。リョウはいっつもギター弾いてるもん。ご飯作る時と、食べる時と、お風呂と、寝てる時以外は、ぜーんぶ。」

 「そうなんですね。」

 「偉いでしょ。」

 「……はい。」大塚は生真面目に肯く。

 「早く来ないかなあ。」ミリアは窓の外を眺めた。既にメイクは仕上がり、唇は艶やかに、目の周囲は淡いラベンダー色に塗られ、いつも以上に大きく、しかもなぜだか潤んでさえ見える。少女特有の清純さ、あどけなさに加え妖艶、その両極性の混在に我知らずアサミは溜め息を吐いた。本当に、この撮影のモデルをミリアにしてよかったと、つくづく思われた。

 元来今日の撮影に使おうと思っていたモデルは、インフルエンザ、などではなかった。容姿はよいが、夜遊びが大好きで始終撮影に遅れてやってきて反省の色もないので、社長の逆鱗に触れ、もう使わぬという厳命が出されたのである。しかしそれ以外にもやはり、ミリアをこの撮影で使いたいと強く思わされる何かがあったのであろう。自分たちの結婚式を、羨望と諦観の眼差しで震えるようにして始終見詰めていたミリアを、どうにかしてやりたいと思ったのに相違ない。

 ミリアがいかにリョウを愛しているのか、それはいつだって一目瞭然だった。うまく表情やポーズの作れない撮影であっても、リョウの話を持ち出してやり、Last Rebellionの曲を流せば一発だ。誰よりもよい表情を作り出す。

 それに先だってのライブであって――。アサミは音楽のことなど全くわからないが、それでも、ミリアがリョウを見て、自分の方向性を確認するようにしてソロを弾き、同じく、リョウを見て同じリフを刻んでいるのはすぐにわかった。あたかも自分の進みゆくべき方向はそこにある、とでもいうようにミリアはリョウを信頼しきっていた。リョウを全てとしていた。

 しかも、それは一方通行ではない。リョウだって随所随所でミリアの動向を確認し、時には女神を賛美するように、時には同一の敵に立ち向かう同志のように、音楽を、世界を、生み出していた。だから彼らはあたかもアダムとイブのように絶対的存在として、君臨した。そこには、誰にも立ち入ることのできない、絆、があった。

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