六十章
ライブハウスに足を踏み入れるなり、リョウは客席で腕組みしながら他のバンドのチェックをしていた店主を見つけ、後ろから抱き付いた。
「うわわあ!」髭面の強面の店主は、いきなり暗がりで大きな男に抱き付かれ倒れ掛かる。
「有馬さん!」
「うわああ! ……リョウ?」店主は慌ててリョウを身から引き剝がした。「リョウなのか? 何だ、そりゃあ!」店主は叫ぶ。
「いやあ、久しぶりです。先日はお世話に……、」とリョウは動じることなく耳元に囁きかける。
「んなこたどうでもいい、そ、その頭だよ! 何ふざけてやがるんだ! ……さすがに、ヅラだよな?」と言って答えさせる間も与えずに、かつてのシュンと同じくリョウの髪を引っ張った。
「痛ぇ!」
「マジか! マジなのか!」店主はわなわなと震え出す。
「お前、それ、ファン、知ってるのか?」
「まあ、レッスン受けてくれてる人は。」
「つまり、ギター弾く野郎しか知らねえってことじゃねえか! どうすんだよ! 今日のライブはよお!」店主はリョウの胸元を掴み上げる。
「まあ、何とかなりますよ。それよりも礼を言いたくって。有馬さんのお陰です。俺みてえのが、ミリアと暮らせることになって。本当に、ありがとうございました。」
店主は手を離し、まじまじとリョウを見詰める。
「ああ、それ、そんなに、あれか。」周囲を見回し、「裁判に出るって、就活みてえなもんなのか。」
「ああ、それ内緒ね。ミリアは知らねえから。」リョウは耳打ちする。
「知らねえって……。お前、ミリアに髪切った理由、聞かれなかったのかよ……。」
「暑かったから、つった。」
ごくり、と生唾を飲み込み、「この真冬にか……。」と呟く。「お前らのことはよくわからん。……にしても、こんなリーマンみてえな頭にしたの、少なくともうちに出始めてからは、ねえよな。一体何年ぶりだ……?」
「うーん、十五年ぐれえかな。」
店主は腕組みしながら無言で肯く。
「そうか……。まあ、でも、よかったよ。ミリアにギタリストとして、これからも成長してもらいたいからな。それにはお前と一緒にいるのが一番だよ、まあ、多少、人間的には問題ありだが……。」
「あははははは!」リョウは大仰に笑い店主の背中を叩くと、「んで、あいつも無事に高校も受かって。これで、俺があいつにやるべきことの、三分の一は達成できたってもんですよ。」
「何なの、あと二つは。」店主は目を丸くする。
「大学行かせんのと、嫁に行かせんの。」
店主は顔を顰め、「マジか。」と呟いた。「嫁? 行かせんの? 他所にか?」
「まあ、父親代わりとして、こんぐれえはできねえとな!」とリョウは胸を張る。
「……いや、ミリアは一生お前に引っ付いている気がするが……。」と店主はぶつぶつと呟いた。
そこにつかつかとシュンが歩み寄ってきたかと思いきや、リョウの目の前に真っ赤な人毛の束を突き出す。
「うわ、何だこれ! 気持ち悪!」思わずリョウは後ずさる。
「ヅラだ。買ってきた。俺のポケットマネーだ。感謝しろ。」シュンは顔を顰めつつ、神妙に語る。「客が今のお前の風貌見たら、客席で起こるのは、モッシュやウォール・オブ・デスじゃねえ。」ごくりと生唾を飲み込み、「暴動だ。」顔を付けんばかりにして言った。
「……マジか。」リョウも思わず息を呑む。
シュンはリョウに真っ赤な長髪のヅラを被せ、一歩下がる。「まあまあだな。」
店主はその隣でぶっと噴き出した。
リョウは不思議そうに両脇に垂れた赤髪を弄る。
「乗っかってるだけじゃねえか。こんなの、ヘドバンしたら一発で客席に飛んでくぞ。」
「ヘドバンしなきゃいいだろ。」
リョウは目を剝いた。「お前は、俺に死ねというのか?」
「お前はヘドバンしなきゃ死ぬのか。」
「……多分。」
シュンは絶句する。「……と、とにかく。お前の今の髪形はデスメタラーに対する冒瀆だから、これを被っておいてくれ。いいな。お前の身を守るためだ。ひいてはミリアの幸せのため。わかったな。」
リョウは頭を緩く前後に動かしながら、胸元で揺れる懐かしき赤髪を見詰めた。




