二十三章
ミリアは部屋のカレンダーを眺める。ほぼ全てにスタジオ、リハ、ライブ、ユウヤ、撮影、のいずれかが入っている有様で、ミリアは密かに溜め息を吐く日もないではなかった。しかしこれらをやりきることがリョウを喜ばせることなのだと確信する以上、全てに全力投球しながら一日一日を過ごした。
中でも最もミリアが緊張と焦燥と、それから幾何の期待とをもって迎えたのが、川崎にあるホールでのライブだった。千人規模のホールを埋められる程の集客力はLast Rebellionは無論、国内外問わずデスメタルバンドというマイナージャンルには、無い。それは突然降って湧いた話だった。
夏のような日差しが照り付けた六月上旬のある日、リョウの元に一通のメールが舞い込んだ。それは、Last Rebellionとは縁もゆかりもないかに思われる、Black Pearlという人気ロックバンドのリーダーからのメールだった。他ジャンルには疎いリョウもその名を知っていたのは、ひとえにそのバンドが、昨年、僅かデビュー三年で昨年武道館でのワンマンを成功させるという快挙を成し遂げていたからに他ならない。だからリョウは当初、悪戯かとさえ思った。しかしメールを読んでいくと、こちらが思わず赤面してしまう程に、そのバンドのリーダーであるギタリストがLast Rebellionを愛聴しているということが切々と記されている。それで、最後には、何と、是非ともツアーのラストを飾るライブのゲストとして同じステージに立ってほしいと記されて、あった。
リョウは喜ぶよりもまず疑い、それから数度のメールをやりとりし、やがて事実だと解ると困惑した。無論、大勢の客の前で演奏ができるということは、バンドマンとして願ってもない僥倖では、ある。しかしゲスト、という言葉の響きはいいが所詮は前座である。つまり自分のファンはほとんどいない、完全アウェイの冷めた空気の中でライブとするということである。これは常に、少数ではあるが熱狂的ファンの前での演奏を常とするLast Rebellionにとっては想像だにできない事態であった。
ライブの可否を返信するまでには二週間の猶予を与えられていたため、リョウは練習後にスタジオの待合室でシュンやアキ、ミリアに意思を確認した。
ソファにふんぞり返りながら、真っ先に否定的見解を述べたのはシュンだった。「厭だね、俺はデスメタルやってる時点で、別にでけえ所でやりてえなんて思ってねえし。でけえ所でやりてえんなら、もちっと賢くジャンル選んでんだろ。俺は狭いハコで、少数精鋭の熱い野郎の前でやりてえから、デスメタルやってんだ。」
たしかに、とばかりにリョウは腕組みしながら頷く。
「俺は別にどっちだって、いいよ。」と、三時間も全力で叩き続けた後で、ソファに凭れ半分眠たげに言ったのはアキだった。「俺は叩けりゃあ、どこでもいい。まあ、あちら様のファンはメタルなんざ聴いたことねえだろうし、眠気覚ましにぶっ叩いてやってやってもいいとは、思うけどな。」と言って欠伸をした。
シュンが「お前、もちっと真剣に考えろよ。」とぶつぶつ文句を言う。
リョウは「俺は、やりてえんだ。」と三人の顔を見据えながら言った。「完全アウェイで、どこまで初見の客を惹きつけられるか、試してみてえ。」
「マジかよ……。」シュンが瞠目する。「デスメタルなんざドン引きされて終いだぞ。」
「解ってる。」
「解ってねえよ。」シュンが呆れたように首を振る。「千人規模のお通夜状態になるのが目に見えてんじゃねえか。なあ、ミリア?」シュンは苛立ちながら、先程から野菜ジュースをちゅうちゅう吸いながら黙していたミリアに援護を求めた。
「お通夜?」
「ああ、そうだ。誰も彼もが口あんぐり開けて、下手すりゃ耳塞いで直立不動している内に、終いだ。」
「お通夜って、何?」
シュンは舌打ちをして、面倒臭そうにミリアを睨む。「人が死んだ直後、葬式の前にやるやつ。坊さんが来て、お経をわあわあ唸って、みんなさめざめと泣くやつ。」
ミリアはへえ、と肯く。そしてストローを弄びながら、「パパ死んだ時、そんなのやってない。」と言った。
三人はぎくりとしてミリアを見下ろす。
「どうしてだろう。……ミリアが殺したからかな?」ミリアは首を傾げて言った。
アキは目を見開く。そして、「……さすがに、こ、殺してはねえだろ? お前ガキだったじゃねえか。」語尾を震わせながら言った。
「ミリアは、一緒に暮らしてた親父さんが亡くなって、勝手に罪悪感覚えているだけだろ。」シュンも引き攣った笑みを浮かべる。
ミリアは首を横に振る。「違う。ミリアが、殺したの。」
リョウは瞠目したままリアを見下ろす。
「あの、じゃあさ、どうやって? ……殺したの?」シュンが恐る恐る聞いた。
「神様にお願いした。」ミリアはきっぱりと言い放った。「毎日、神社と教会通って。お花も咲いてたらお花もお供えした。」
シュンとアキは安堵の溜め息を吐き、笑顔を見合わせる。
「なあんだ、そういうことか。刃物でグサとか、駅のホームからドンとか、そういうのかと思ってマジ、ビビったぜ。」シュンが微笑む。
「……でもね、それはリョウを助けるためだって、わかったの。」
「ああ、そうかそうか。」シュンはどうでもいいや、とばかりにミリアの背中をぽんと軽く叩く。
「で、どうするよ? ライブは。」アキが問い、ミリアは「やる。」と答えた。
「はあ? やる、じゃねえよ。とんでもねえ名折れになる確率が高いって言ってんの。リスクデカすぎなの。こっちにはメリット、なあんも、ねえの。せいぜい功名心満たされるぐれえだろ、ホールでやったっつう。今頃から冥途の土産作りに励んでどうすんだよ。」シュンが明らかな怒りをもって言った。
「知らない人といると、違う自分になれるよ。」ミリアがそう言って微笑む。「あのね、モデルの撮影は、みんなミリアのこと知らない人ばっかなの。だからね、ミリアは大人になったよ。やって、よかった。」
「はあ?」と言ってシュンは顔を顰める。
リョウは目を見開いた。
「まあ、確かにお前の言うようにリスクはでけえ。でももし大失態犯してさ、あまりに酷ぇ有様見せ付けることになったら、また一から出直せばいいんじゃね? そりゃあそれでやりがいあんだろ。」アキがそう言って笑う。「でも、まあ、負ける気はしねえけど。」
「お前が負ける気がしなくたって、観てる奴はそうじゃねえよ。」
「でもさ、あちらさんもたまーに、デスボイス使ってるぞ。効果的に、だけど。」
「だから何だよ。」
言われてアキは肩を竦める。
「美桜ちゃん、Black PearlのCD持ってるって言ってた。何か、アニメの主題歌やったって。かっこいいって言ってた。」
「だから、何なんだよ!」
苛立ちを隠せないシュンを正視しながらリョウが笑う。「じゃあ、やるって返事しとくわ。シュン、よろしくな。」
「ああ、ああ、そうなるとは思ってたよ!」そう言ってリョウを睨む。「でもな、俺らのチケット枠ねえんだろ? それって、あちらさんの客で余裕で完売しちまうってことだぜ? 何せ武道館ソールドにした、今一番国内じゃあ勢い乗ってるバンドだからな。やってる音楽も客層も全然違う。あちらさんの客なんて、メタルなんざ端からバカにしてやがるか、人生で一切接点持ったことねえか、どっちかだ。そこで演るってことは、相当リスク高ぇんだぞ、マジで。バンドの存続にかかわるぞ?」
「だから、賭けようぜ。」リョウが目を細めてほくそ笑う。「ここでLast Rebellionが一千人の前で失態晒して、ファンに愛想つかされんのか、アウェイでやり切ってファン層拡大するのか。」
「めでてえ奴だな!」シュンは声を張った。
「俺がめでてえのは昨日今日始まったことじゃねえ。」リョウが目を輝かせて、テーブルに身を乗り出す。「俺は元々めでてえからこそ、音楽で食ってこうなんつうことを思い付いたんだよ。」
シュンはさすがに否定が出来ず黙りこくった。
「めでてえ方が、エネルギーが湧いてくる。」リョウは微笑んで言った。
「うん。」ミリアもにっこりと微笑んで肯いた。




