そいつはピサルモ(前編)
休憩室にて穂高と桐生が話で盛り上がっているところ、事務の清水が顔を出す。
「あら、にぎやかしい。こんなにいっぺんにみんなで集まって、何か楽しそうね。でもそんなところ悪いけど、電話、きてるわよ。村田君か桐生君に」
「誰からですか?」
「実行部の鈴木さんから」
桐生と村田は顔を見合わせて首を傾げる。
「仕事、かな? うん、いいよ、誠司。俺が出てくるから」
村田は清水と共に休憩室を後にする。残った四人は、穂高の言う過去の記憶の消失による過去のやり直しについて、まだ語り続ける。穂高は勿論、桐生も肯定的だが、弥生と滋は素直に認められない。
「否定するわけじゃないけど、本当に上手いこと消えるものなんですか?」と滋は問う。
「消えると信じれば消える。信じない奴は消えんわな」と穂高の返答は奔放である。
「どうにも納得できない考え方よね。別に過去に戻っているわけじゃないし」と弥生は納得できない。
「こういうのは気持ちの問題なんだよ、弥生。まあ、お前のように捻くれた奴にはなかなか上手いこと過去に戻れたって思えるほどスッキリするような記憶の消失っていうのは難しいだろうけどな」と、桐生は皮肉じみたことを言う。
「別に、私が言いたいのはそういうことじゃないわよ。嫌な思い出を消して二人やり直すっていっても、どうして上手くいかなくなったのか、そんなところまで忘れてしまっていたら、同じ二人なら、また同じ過ちや仲違いを繰り返すんじゃないのかって、そう言いたいのよ」
「僕も、似たようなことを考えてた」
そう滋も相槌を打つ。これがまた一理あって、桐生もついウンと唸る。
「確かに、記憶を消すのと違って、本当に過去に戻れて後悔した場面をやり直せるなら、選んだ選択肢による未来も知っているわけだから、反省の上で行動をとることができるな。一方で記憶を消すだけなら、反省も何もない、ということか」
「もし、穂高さんの催眠術の道具がもの凄い精度で、反省した気持ちを残しつつ、駄目な記憶だけ消してしまえるなんて、それこそ魔法のようなマインドコントロールができるなら、過去に戻ったって言えるくらいの記憶の消去が完成するんじゃないかと思うんだけど」
滋、弥生、桐生、三者揃って穂高に振り返るが、三者は一斉に溜息をつく。ありていに言って、全く期待できないのである。
「わしの作ったものに間違いはない!」
「滋君、嘘だから信じちゃ駄目よ。この人の作るものは、使うと失敗したり、ろくなことがおきなかったりする確率のほうが高いんだから」
「何となく、それは想像つきます。ところで、あの催眠術セットは何でできているんですか? 使っているところ、一回しか見たことないですけど、何かの薬草を燃やしているんですか?」
「ふん、好き勝手言ってくれるわい。わしの作るものを馬鹿にする奴らに材料を教えてやりたくもないが、まあ、こいつらも知っとることやから言ってやるが、あれは…」
勿体ぶった言い方をするので、すかさず桐生が口を挟む。
「あれは『あちら側』のある生き物の毛で作られているんだよ。基本的にヴァイスが持ってきてくれて、それを俺たちが買って使っているってわけだな」
「あ、そうなんだ。でも、毛って、いったい… 新手の動物とか鳥とかなのかな? 『あちら側』というんだから、何でもアリなんだろうけれど…」
これには、今度こそ穂高が答える。
「それはな… そいつは『ピサルモ』と呼ばれる小動物の毛なんや。この動物がな、見た目はピンク色したウサギみたいで可愛らしいものなんやが、近づくものを眠りに落としてしまうんや。正確にはそいつの毛についた鱗粉みたいなものが睡眠作用を引き起こすんやな。そんなもので、素手で捕まえるのも困難なんで、数は結構に多いらしいが、珍しい動物として知られとるんや。普通なら睡眠薬代わりに使ったりするものを、わしはそれにさらに『こちら側』にある催眠作用を引き起こすといわれる数種類の薬草と混ぜることで、催眠術に使えるようにしたというわけや。どうや、凄いやろ?」
続きます