過去に戻るのは、記憶か肉体か
桐生と弥生のいつもの罵り合いは面倒であることに違いはないが、心が滅入っている時などは、その変わらない仲間内のじゃれあいが目に優しく、耳に心地よく、村田は聞いていてついにんまり微笑んでしまう。以前までは桐生と弥生、この二人だけだったものが、最近では佐久間滋も加わって、口喧嘩のやまない二人の間で右往左往しながら、止めに入るべきか、それとも勝手にやらせておくべきか、自分の立ち位置を決めかねている姿なども見ていて心落ち着く。
「それにしても、君たちはどうして今日、ここにいるんだい? 平塚君は、まあ、バイトのようだけど」
心慰められて話に入りたくなった村田はそう訊ねた。
「おう、ほんとだな。お前、最近バイトばかりしているな。相当に暇なんだな」と桐生が言うと、
「ほんとムカつく言い方ね。勤労を馬鹿にする人間はろくな大人になれないわよ。それに、実行部の仕事がないのはあんたが持ってこないからでしょ。あんたこそ職務怠慢なんじゃないの?」と弥生も返す。
「お前こそ失礼なやつだな。俺たちの仕事がないってことは、それだけ『こちら側』と『あちら側』が安定しているって証拠だろ。世の中、平和で結構。なんだ? もっと世界が荒れてほしいなんて、中学生みたいなことを考えているのか? それに、俺たちは一応、ここには仕事で来ているんだ」
「何の仕事よ?」
「前の水竜の薙刀の件。その報告書だよ。あの薙刀の高校生の監視、俺たち男連中でやっていたんだぜ、交代で」
「あら、それは初耳。でもそれは当然よね。あの件だって元々あんたたちが悪いんだから」
「それで、佐久間君は付き添いに?」
再び罵り合いそうな二人を尻目に村田が聞く。
「一応、何度か僕も監視の手伝いはしたんですけど、まだまだこの基地には行き慣れていないので、そのためにも、と思って…」
その真面目さに、滋が本当に女の子なら頭を撫でてやりたいと村田はふと思う。弥生などは、滋の性別が女なら、きっと親友になれたであろうと思う。
休憩室内で、本意か不本意か、わいわい、がやがやとしていると、今度はそこにのっそり開発課の穂高が現れる。
「なんじゃい騒がしい。廊下に声が響いとるぞ」
その声こそ一番やかましい。さて、桐生と弥生のいつもの口喧嘩の経緯を滋から説明されて、穂高は相変わらずの光景で聞き慣れたものだと呆れるが、村田の話によれば、穂高がいがみ合う二人に無駄口を溢して、火に油を注ぎ、二人が三人になることが多いらしい。過去に戻れる、戻れないの話を穂高にも振ると、非現実的な事象に関する話題には一枚も二枚も噛みたがる性格ゆえ、すぐに乗る。
「実際、難しい話やな。わしの耳にも噂すら届いておらんからな。超高速で移動すると未来に行けるという話やけど、過去やろ? 不可能に近いのと違うか?」
ここにヴァイスによる噂話も聞かせてやると、目の色を変えて聞き入ってくる。
「それは本当か? 本当の話か? そういう能力者がいるなんて…」
「いえ、誠司が言うには、あくまで噂話程度らしいです。こればっかりはヴァイスさん本人に聞いてみないとわからないことです」
「早速、聞いてみればいいやろうに」
「いえ、僕は番号知らないし…」
顔を近付ける穂高に滋はたじたじとする。助けを求めて桐生を見る。
「まあ、その件に関してはまた今度、あいつに会ったときにでも直接聞いてみるよ」
「何でや、そういう話こそ早め早めに聞いておくべきやろ」
「うん、まあ、まだ俺たちには直接関係のある話でもないし、仕事でもないしね。いわゆる世間話なわけだから。むしろ、じいさんこそ何故そうも急かすのか、そっちのほうが俺としては気になるよ。もしや、じいさんも過去に戻りたがっている一人だとか?」
「わしか? 無論や。戻りたいにきまっとるやろうに。後悔先に立たず。やり直したいことがいっぱいや」
「何十年前に戻る気なのか… もし過去に戻れることができたとしても、肉体はいまの年齢のまま戻るようなら、穂高のじいさんが昔に戻っても、老けすぎて知り合いは誰も気付かないかもしれないね」
「何? そういうものなんか? 過去に戻るというのは、未来での経験や記憶を携えながら当時の若い自分、その時分に戻るということやないんか?」
「そんなことなら、俺の戦国時代に戻って戦国武将のサイン収集もできないじゃない。当時、俺、生まれていないし」
「そうなると若返り薬も必要やなぁ」
「若返り薬なら私もほしい!」
弥生が珍しく穂高に同調している。でも穂高曰く、そんな便利な薬、作れるものなら作ってみたいが、実際にはないらしい。
「しかし本当のところ、どうなんだ? 過去に戻るって。特にヴァイスが言っていたその能力者の場合は、いまの肉体を『過去』に持っていけるのか、記憶だけを持っていけるのか… 記憶だけなら、未来の自分と過去の自分が出会うってことはないもんな。これって無茶苦茶重要だな」
話は難しい方向へ傾いていく。理系の滋でもすすんで口出しできない。
「私ならどうだろう。歴史探訪するなら体ごと戻れないと都合が悪いけど、後悔していたことをやり直したいなら、やっぱり記憶のほうがいいわね」
弥生はつい自分に照らして口走るが、それは不覚という奴である。
「ほほう、やっぱり自分こそ過去に戻りたいって、そう思っているんじゃないか。無いだの何だの言って、やっぱりそういうことなんだな。何だ? お前の後悔って? やっぱり男絡みか?」
目ざとい桐生はそう言ってニヤニヤとイヤらしく笑う。弥生は顔を赤くして、拳を握ると力いっぱい彼の腹を殴ってしまう。
「平塚君は、ときどき魔法力の使い方が絶妙のときがあるね」と村田は呆れたように褒めた。
「記憶だけ過去に戻して、後悔をなしにするっていうだけやったら、わしでもできるなぁ」
と穂高はボソリと呟く。この一言に、お腹を押さえて咽ていた桐生も、怒りの発散をし足りない弥生も、苦笑していた滋も、声を揃えて、
「え? どうやって?」と聞く。
「そんなの、このわしが開発した催眠術セットで、その記憶の分だけ消せばいいんや」
そう自信たっぷりと答えたが、期待と違って三人とも肩を落とした。
「じいさん、自分ひとり後悔を消しても、物事には『相手』というものがいるんだ、それじゃ過去をやり直すとは言わないぜ」
桐生が代表してその論の欠点を指摘してやる。すると、
「いや、その『相手』も一緒に催眠術で記憶を消してやればいいやろ」と答える。それは目から鱗であった。
「なるほど、そういう手もあるか。じいさん、あんたやっぱり頭がいいかも」
続きます