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一年前(後編)

 物事を冷静に客観的に捉え、あらゆる可能性を想定して未来を予測することに長けているつもりであった村田だが、いったい何がどうなのか、どうして彼女が自分に声をかけているのか青天の霹靂で頭の中が真っ白になる。次の予測も何もない。珍しくぎこちなく、


「いや、多分、初めて… です」


「そう、ですよね。あの、さっきから私のことを見ているような気がしたので、どこかで会っているのかと思ったんですけど、やっぱり私の勘違いでしたね、すいません」


 彼女は拙そうに笑って小さく頭を下げる。村田は彼女のその謙虚とも卑屈ともわからない態度に困惑してしまう。


「いや… あの、勘違いかもしれませんけど、でも、その、謝ることでも…」


 やはり歯切れが悪い。


「え? ああ、そうですか? そうですよね。ハハハ。え~と、何を読んでいるんですか?」


 そう言って彼女は村田が読んでいた書物に視線を落とす。この土地に関する様々な記録が記された書物はどれも一様に古く、紙も薄茶けて指圧で破れそうなものばかりである。村田が何か答えるより先に、彼女は珍奇なものを見るように資料に顔を近づけ目を凝らす。


「簡単にいうと歴史の勉強ですが、仕事に使う資料です」


「仕事? 社会人の方なんですか?」


「ええ、まあ」


「それにしても、難しそうな本ばかりですね。こんな本がこの図書館にあるなんて初めて知りました」


「地下や、二階の奥のほうにもありますよ。あまり利用している人はいないみたいですけど」


 初対面の相手に気さくに話しかける彼女も彼女だが、村田はそれに丁寧に答える自分自身も浮ついて思えた。挨拶や会話などという社会的にありふれた一光景がこの時ばかりは非日常のようで、彼女との出会いを他愛なく偶然のものと見極めようとしても、胸はモヤモヤと霞がかかるから、やはり恋かと疑い始める。試しに、


「UW…」


 脈略なく、村田は突然ポツリと呟く。


「え? なんですか?」


「いえ、なんでもないです。ちょっと、急に仕事のことを思い出してしまって、それでついつい…」


「え? あ、そうでしたね。お仕事中なんでしたね。すいません、そんなときに話しかけたりなんかして…」


「いえ、大丈夫です。学生さんですか?」


「はい。レポートを書きに。学校の図書館はいっぱいだったのでここに… あ、また余計なことを喋ってる。すいません、それじゃ、私、失礼します」


 そう一礼して彼女は足早に村田の前から去っていった。後ろ姿を目で追っていると自分の席とは随分と離れたところに席を取って、持っていたバッグから色々と取り出してレポート作成作業に入る。村田の席からは、彼女のその背中だけが見えて互いの視線が絡むことはなくなってしまう。村田は、しばらく仕事をしながら、その彼女の背中を幾度となく見つめた。息抜きの度、ふとした時。そのうち仕事も捗らなくなる。このままだとまた残業にもなりかねないと思った彼は、気持ちを引き締め、終わるまでは彼女のほうを目にしないようにと席を移す。彼女のほうへ背中を向ける形で座った。しかし、これで集中できると思いきや、却ってそわそわとする。雑念を払おうとすればするほど、彼女の顔が、声が、頭に浮かんでしまう。


 背を向けあってから時間は掛かったが、調べたいものは一通り調べ上げて基地に戻ろうと席を立つと、留めていた感情を開放するように彼女のほうへ振り返る。と、先ほどの席にはその姿がない。彼女の荷物だけ置かれてあるところを見ると、どこかに書籍を探しにいったのだろう。


 そのまま図書館を出るまで、彼女の姿を目にすることはなかった。そして基地に戻っても尚、彼の頭の中に彼女はい続けた。



続きます

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