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一年前(前編)

 一年前…


 村田は仕事で使用する文献を求めて市立の図書館に足を運ぶことも多い。その日もいつものように自転車で向かって駐輪所に停めていると、数台挟んで向こうに女子大生が同じように停めている。相手は村田のことに気付いていないが、村田はその彼女の横顔に理由もなくしばらく見とれて、そのうちに振り返った彼女と目が合った。相手は、はて何者かと小首を傾げて訝しく眺めながら、一間おいて知り合いかと思ったらしく、小さく会釈をしてはにかむように笑った。村田も釣られて頭を下げたが、こちらは閉口して表情も硬く笑みもない。無表情の裏では彼女に瞳奪われた理由を捻りだそうとしていた。記憶を辿って過去に出会ったことがないか思い出そうとしても、それといった憶えもない。『どこかで会いましたっけ?』と、その一言がいまにも喉から出掛かる。そしてすぐに呑み込んでしまう。いつになく動揺している。このように冷静を失う己を恥としながら、自分の気持ちを取り乱した彼女の横顔の魅力や魔力の正体をも考える。仕事柄、能力者かとも思う。気まずい空気が二人の間に流れると、それを嫌ったのも村田のほうで、ぎこちない笑みを続ける彼女からそっと視線を外して、何事もないかのように自転車の鍵をかけると、足早に駐輪場を後にして、再び彼女を目にすることもなく図書館の中に入ってしまう。


 館内にて仕事の最中、それでも不思議な感覚はいつまでも続く。何が不思議かと言えば、初めて出会った、会話一つしていない女性のことがいつまでも脳裏にこびりついて剥がれようとしない。頭の半分で古い書籍を物色しながら、もう半分は駐輪場での彼女の仕草を思い出し、その正体を推測している。解せない己の頭を冷静に分析すると、彼女の何かに惹きつけられたに違いない。それが柄にもなく所謂一目惚れかと思うと恥ずかしくなって、堪らず奥歯の浮いた苦い笑みをこぼしてしまう。


「まさかね」


 いくつか本を脇に抱えて地下の資料庫から一階に上がり、端のデスクでそれを広げていると、不意にあの駐輪場の彼女の、本を探している背中と横顔が目に入る。しばし仕事も忘れてまた見つめてしまう。青のデニムに白の薄手のパーカーを着て、背は同じ組織の平塚弥生くらいあるだろうか。体型は細くもなければ太くもなく、髪は茶色がかったセミロング。彼女の体の部位を一つずつ吟味して、総じてどこにでもいそうな女子大生だと評価する。その顔の作りは、それでも彼の好みにおおよそ合致して、「並」とは言い捨てがたい。目は二重、鼻筋も通って、口元もきゅっと締まって、形も整っている。よい意味でさっぱりとして、ケバケバとしたところがなく、その人相からおそらく知的で真面目な性格であろうと勝手に思い込む。すると、ここで振り返った彼女とまた目が合ってしまう。そのまま互いに見詰め合うから心が変になる。村田は、今度はすぐにその視線を逸らす。自分が怪しい男と誤解されても敵わない。ただ、自ら逸らしておいて胸の端のほうから悶々とする。これでいいのか、悪いのか。気持ちが定まらずに再び彼女のほうを見ると、すでにその場に彼女はいなくなっている。また見つめてどうするとも、何を期待するとも考えていなかった手前、いなければいないで胸を撫で下ろす。そして自分が随分と不器用を曝け出していると気付く。己の心中の摩訶不思議に戸惑いながら、彼女はどこに行ったのかと辺りを見回しているのだから滑稽である。さて、その彼女が彼のすぐ目の前に立っている。


「あの、どこかでお会いになりましたっけ?」


続きます

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