四歩目
菜々は機嫌だった。
今まで気球という乗り物をいくつも見てきたが、ライセンス式かつ王族が乗る乗り物ではなかった。
場内からうらやましげに追いかけて見ることしかできなかった、
その気球に、彼女はいま乗っている。
「このまま南下しましょう。
国から少し離れた砂漠方面に、彼女はいるはずです」
ユキラの巧みな炎さばき、そして風を読む知識。
どちらも菜々には無いもので、新鮮だった。
「砂漠にいるんだ。
私、砂漠も行ったことがなかったの。
砂漠にすんでいるその人ってどんな人かなぁ?」
この国の王女は何も知らない。
それは仕方のないことだ。
これから外の知識を身につけるという時に、彼女は城下へ突然出されてしまったのだから。
ユキラは菜々の言葉に呆れず、優しく答えていく。
「ちょっと荒っぽい女性ですが、頼りになります。
きっと姫様も気に入っていただけますよ」
砂漠地帯はとても広い。黄色い砂の丘に飲み込まれてしまいそうな太陽が、陽炎の中で浮かんでいる。
気球は微弱な風を鋭く捕え、ゆるゆると浮かび進んでいた。
――と、砂漠の中に岩の群れが現れる。
気球はその岩場に向かってゆっくりと降下していった。
「あのねェ、アタシは壊し屋なのッ!」
彼女は大声で菜々を怒鳴りつけた。
事情をユキラが話すなり、隅で小さくなっている菜々を見つけて彼女――ツム・リンツはまくしたてる。
「救助隊じゃないし、お助け佐助でもないわけ。
アタシは、こ・わ・し・や!
あらゆる存在する事象を破壊するの。
アタシがやる仕事はね、爆破テロとかバイオテロとか、そーいうぶっ壊し系なのッ!
ヒーローお素敵系じゃないの、つーか真逆でしょッ!」
「ご…ごめんなさい…。
で、でも…私…一人じゃできないの…」
もはや菜々の目には涙が浮かんできている。
そんな様子の菜々をほっといて、ユキラはせっせと気球を畳んでいる。
小さく小さく畳んで、それは魔法のようにだんだんタオルのような大きさになってしまう。
それを持っているポシェットに入れ、砂塵をよけながら菜々の元に歩み寄ってきた。
「あー、そりゃあ一人じゃできないでしょーよッ!
王族のたった一人のお姫様ぽっちが何できるっていうのよ。つーかそんなの王子様だって変わんないって!
アタシのスキルを使おうっていうのは大した考えだけどねッ、お姫様の夢見がちなアイデアに肩貸そうってほど、アタシはお人好しじゃアなーいーのッ!
悪いが王族が滅びようと国が滅びようと、生きていければアタシは構わないってワケ」
リンツの言葉を黙って聞いているユキラ。
菜々はたまらず泣きだしてしまう。
「な…なんでそんなこと、言うの?
…そんなに変なこと…お父様を助けるって…?
もう、私…わかんないよぉ…」
わんわんと声をあげて泣く様を、リンツは頭を抱えてため息をつく。
「…泣かれてもねェ。
悪いけどさ、もうちょっと大人になったら来てちょーだい」
岩場の奥にまた帰ってしまうリンツ。
彼女の後姿を見て、また声をあげて泣く。
菜々は分からなかった。
なにがどうしてこんなに怒られるのか、非難されるのか。
自分が間違っている?
それはどこか、どんな風に?
なにが間違っているの?
「……ユキラ、私、なにがいけなかったの?」
夜。
あたりはすっかり寒くなって、夜空は澄み渡っている。
ユキラは焚き火を起こして、干し肉を夕食にとった。
菜々は泣きながら干し肉を慣れない手つきで噛む。
初めての砂漠の夜。初めての瑣末な食事。
師匠の小屋にいた時は、それなりに白飯を食べれた。
緊張と混乱の限界。
菜々は干し肉を食べた後、すぐに寝入ってしまった。
ユキラは明日の旅の準備の為、月明かりを頼りに何かを作っている。
起きた菜々は、ささやかな毛布を羽織りながら、焚き火の元に寄ってきた。
間違っている、のかもしれない。
菜々は漠然と自分と周囲の感情が行き違っているのを、ようやく感じていた。
問われたユキラは、静かに首をかしげる。
「私では答えかねますね…。
仲間になっていただけるかどうかは分かりませんが、姫様の疑問になら答えていただけそうな方が一人だけいらっしゃいます」
「それは、どなた?」
菜々は身を乗り出して問う。
ユキラは砂漠の向こうを指さして言った。
「この砂漠を越えれば、隣国のフクチムール帝国が広がっています。
姫様の宮ノ内国とは同盟関係にありますが……今は魔女との攻防戦の真っ最中ですからね。
お会いできるかも分かりませんし、危険も…」
ユキラの手をぎゅっと掴んで、菜々は教えて、と請う。
「このままじゃ…分からないままじゃ…きっと、だめ。
険しいのは仕方がないわ、でも聞きたいの。
ユキラ、私に力を貸して……!」
かつてない、菜々の真剣なまなざし。
ユキラはいつもと違う笑みを浮かべる。
うっすらと、猫のようににやりと笑う。
「では行くだけ行きましょう…。
しかしお会いできますでしょうか、ね」




