山村水菜編(1)
「あ、あの」
「うん?」
「いや、君だけ英語の課題を出していないようだったから……」
「ああ、ごめん忘れてた」
そう言って通学バックの中身をごそごそとかき回す。
そのバックの中に学校へ持ってきてはいけないものが幾つか入っていたが、別に僕は学級委員でもなければ風紀委員でもないので、咎めるつもりは全くない。
だいたいこの山村水菜は髪の毛を思いっきり茶髪に染めているし、この新学校で唯一の劣等性と言えるほどにむちゃくちゃな人物だ。
だからといって馬鹿だというオチはなく。残念ながら、この人物はかなり頭がよく、学校でもトップクラスの成績だ。
だから僕はこのよくわからない人物のことを「変な人」という位置づけで覚えていたし、逆にそのほかのことについてはなんら知らなかった。
だから僕は口出しをするつもりはない。
「あ、ごめん。やってない……」
舌を出してえへへと笑う。
僕としては、余計な微笑なんてしてないでさっさと宿題に取りかかって欲しいのだが、ここで彼女が求めているのはそんな説教じみた言葉ではないのだろうし、劣等性に説教をするのは無粋だろう。
「んじゃあ、僕のでよければ見る?」
「あー、じゃあお願い」
「うん」
僕は自分の席に戻り、英語ノートが唯一人の分を除いて集められている、課題の山から自分のノートを抜き取り、彼女の席へと向かう。
彼女は朝から手鏡を見ていて、化粧こそはしていないものの、くしとかで髪の手入れをしている。
それが宿題を見せてくれるクラスメイトを待つ態度か、と心の中で思うが、ただそれだけで口に出したりはしない。
「はい、これ」
「ん、ありがとう」
ここで思うのだが、この少女には友人といえる友人がいない。
必要としていないのか、できないのか。
どちらにしても。友達が悲しいほどいない僕には言われたくないだろうし、悲しいほどに友達を欲していない僕には関係ないことだ。
「ねえねえ。聞きたいんだけどさぁ」
そう言うと彼女は少し長めの髪の毛を両手で束ね、シュシュと呼ばれるものをバックから取り出して、頭部の天頂より少し低めのところで髪を結んだ。
ポニーテイル。
「どうかな、似合う?」
いきなり聞いてきた。
僕としては桶狭間の戦いの今川義元の気分であり、ここでその質問を繰り出すのかという風に不意打ちを喰らってしまった。
戦国時代なら討ち死にだ。
しかし、僕には女性の髪型なんてものは邪魔くさそうだなとか、排水溝が詰まりそうだなとか、そんなことしか思わない。
この女性にいたっては、シュシュの色が校則違反だ。
レインボウシュシュは、アウトである。
「そのシュシュ、校則違反だよ」
「え、まぁ、知ってるけど」
「外さないんだ」
「気に入ってるし、これ。これだけは譲れないっていうものぐらいさぁ、君にもあるでしょ? それと一緒だよ」
「僕にはちょっとわかんないなぁ」
十分分かる。
僕にも、絶対譲れないものぐらいある。
けれど、嘘をつく。
「まぁ、それはいいとして、似合ってる?」
彼女は再度聞く。
「似合ってるよ」
僕はそういって彼女から離れようとする。
これ以上ここにいると彼女の友人と間違われてしまう。
が。
「ちょっと待ってよ」
僕の右手をつかむ。それで離さない。
「あの、迷惑なんだけど」
僕は得意の嫌な顔。
この嫌そうでかなり面倒臭そうな表情にはかなりの自信があった。なんにしろ、僕は今までの人生において他人のお願いを断るという処置をしており、その際に使用していた手札がこの迷惑顔なのだ。
だが。
「ちょ、ちょっとで良いから、さ」
こちらの少女もまたプロだ。
我侭を通す、プロだ。
上目遣いに、女の子っぽい声、それに顔。
この女、手ごわい。
「ま、まぁ、そこまで言うなら」
しつこく誘われた場合は断るほうが面倒臭くなってしまう。
それは完全に僕の経験であり、本当はきっぱりきつく断ったほうが良いのかもしれないが、そうする事が嫌いな僕と、この山村水菜の女性らしさが、僕の信念をブレークしたのは事実で。
それを後悔、反省するのは結構後の話だ。