魔術の効果
夜来初三は頭の中で何かが引っ掛かったままだった。
それはもちろん雪白千蘭のことである。
彼女は自分のことを精神的に監禁・拘束すると同時に洗脳まで成功させていたらしい。洗脳された側の夜来にとっては自覚がないので分からないが、確かに雪白千蘭が狂気と愛に支配されるままに暴れまわった事実は理解できる。
……そこだ。
雪白千蘭が犯した罪を―――なぜか一番の被害者である夜来初三が『気にしていない』のである。あれだけ心を支配されて彼女の色にぐちゃぐちゃに染められたというのに、なぜか夜来初三は『気にしていない』のである。
理解できない。
なぜ、あそこまで傷つけられておいて自分は雪白を『微塵も嫌悪していない』のだろう。
彼女との『約束』が影響しているのか?
彼女の美しい姿に惑わされているのか?
彼女の事が恋愛対象として好きなのか?
答えはでない。
だから何かが引っ掛かったままの感覚が頭の中に住み着いている。
自分はなぜ。
雪白千蘭を一切『憎んでいない』のだろう? 雪白千蘭を米粒ほども『嫌っていない』のだろう? 雪白千蘭を微塵も『怖がっていない』のだろう?
謎は解けないまま。
夜来初三は祓魔師との戦いに挑む。
最後に視界の端で映った美しい少女を一瞥して。
祓魔師に視線をロックオンする。
(殺せ。目の前のクソをひたすらに殺せ。あのクソさえぶっ殺しちまえば雪白との問題なんざいくらでも解決できる。今はとにかく目の前にいるクソを死体に変えろ。あの薄汚ェ心臓をもぎ取れ)
夜来は心で行った決心があまりにも強かったのか、思わず声に出してしまう。
「殺す」
呟き。
夜来初三は床に敷いてあったサタンの魔力を由堂の足へ接近させる。ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾ!! と這い迫るような『破壊』そのものを司った漆黒の魔力。その攻撃を見抜いていたのか、由堂は近くにあった机へ飛び移り床から回避した。
さらに、レールのように繋がっていた机群れの上を走り標的との距離を縮めていく。もしかしたらこの場所は作業用の机が並べられているところからして、廃ビルになる前は会社かなにかだったのかもしれない。
(……なるほどな。ただのクソとは違ぇらしい)
思わず感心するのも無理はない。
確かに机の上ならば『床』というサタンの魔力が口を開けて待っている黄泉の国の入口に触れなくてすむ移動方法だった。
しかし。
夜来初三は『その程度』で接近を許すほどの人間ではない。
「クソ風情が。ちょこまかと動くンじゃねぇよ面倒くせぇ」
巨大な水たまりの如く床で溢れていたサタンの魔力を―――一点に凝縮して閃光へと変えた。ギュン!! と音を上げて、机のレールを使って夜来へ接近している由堂に突っ込んでいく魔力の一撃。それは文字通り『破壊』をもたらす最強の力だ。
対し、由堂はその攻撃を懐から取り出した十字架を使って防御する。するとサタンの魔力は十字架に触れただけであらぬ方向へ弾き飛ばされた。
間違いない。
あれこそが。
『悪魔退治専門』である祓魔師の証拠なのだろう。
きっとあの十字架は魔術的効果を宿している。もちろん『悪魔専門』である祓魔師が扱うのだから、魔術は『悪魔には絶大な効果』をもたらす能力だ。妖怪や神などの『悪魔以外』の怪物にはさほど効果は発生しないが『悪魔限定』ならば話は別。
おそらく由堂清という祓魔師には―――『絶対破壊』が通用しない。
その証拠を見せつけるように。
机から飛んだ由堂は、同じく十字架の形をした短剣を取り出して夜来の顔へ投げつけた。それは首を振って回避した夜来の頬をかすめて―――切り傷を作り上げる。
(クソ面倒くせぇ野郎だな、やっぱ)
やはり。
『絶対破壊』が効いていない。
改めて事実を確認した夜来は頬から伝わるベタリとした血の感触を鼻で笑った。これくらいの傷に一々動揺するほど彼は『甘い世界』で生きてなどいない。
そこで気づく。
あの短剣は、確か上岡真が『神水挟旅館』へ行った際の戦闘の中で使ってきた『悪魔祓い』で使う武器だと七色が言っていたはずだ。
おそらくあの短剣を『サタン本人』が喰らったとしても問題はない。事実、上岡真と対峙したサタンはあの『悪魔祓い』の効果を持った短剣を素手で受け止めて握りつぶしていた。
しかしそれは『サタン』だからだ。
『サタン』という最強の悪魔だからこそ、レベルや次元が違うからこそ、彼女には傷一つつかない。しかし夜来初三という『サタンの力を借りている』人間ならば話は別だ。
雪白の『淫魔の呪い』を解く前にも七色夕那が言っていたはず。
夜来初三の力はサタン本人の力と比べれば―――百分の一程度だと。
ならば『その程度の力』しか持たない夜来が『悪魔祓い』の効果を宿す短剣に傷を負わないはずがない。もちろん百分の一とはいえ、サタンの力は絶大だ。彼女の力は百分の一とはいえ『元のレベル』が圧倒的に他の怪物と違う。
しかし足りない。
百分の一程度では『悪魔退治専門』の祓魔師の魔術を跳ね返すほどの能力はない。




