悪人復活
「はン。一体全体何が言いてぇンだよズタボロ状態の負け犬くん」
鉈内は夜来の目―――色のない痛々しい姿と化している彼の目を見て、
目と鼻の先で絶叫を上げた。
「何でそんなになるまで痛めつけられたってのに、雪白を命かけて庇おうとしてんだっつってンだよ!!」
鉈内のあまりの剣幕に他の者達は呆然としている。
あの大悪魔サタンまでもが驚愕の色に染まっていた。
だが。
夜来だけは『死んだ瞳』でいつものように鉈内を嘲笑し、
「上から説教垂れ流しして満足かよ? クソのわりには中々人生に役立ちそうなこと吠えたじゃねぇか。拍手と声援で背中でも後押してやろうか?」
「ほら、そこだっつーの。もう―――『いつもの罵倒にすら力が篭ってない』ことをお前知らねえだろ? 気づいてないだろ? 夜来初三、お前、今自分のその死人同然の顔を鏡で見てみろよ。声も録音して耳に当ててみろよ。―――感情ゼロすぎて爆笑必死なナリだぞ、今のお前は」
「殺すぞクソ野郎」
「そこもだ。あっははは!! ほらほらそこもだよ!! ダッセーよちょーダッセーよ!! いつものお前ならもっと凄味があったねえ。もっともっと『一流の悪人』らしい誰もがビビる『力』がこもってたよ。それがなんだよ今のザマは。ホント―――ダッセー面してるよオマエ」
瞬間。
鉈内が放った右拳が夜来の右頬に直撃する。サタンが中に宿っていない状態の夜来は、何の防御も出来ずにテーブルへ背中から直撃した。
激痛に呻くことなく、夜来はゆっくりと起き上がって薄く笑った。
「テメェ……マジで一回『死にてぇ』のか? あ?」
脅すように言うと、鉈内は速水から離れて歩き寄ってきた。
足音もなく彼は近づいてくる。
「そりゃこっちのセリフだっての。こっちは別に、雪白を助けに行くなだのと命令してるわけじゃねえンだよゴミ。雪白ちゃんを助けに行くなら行けばいい。それはきっと―――夜来初三が雪白千蘭を助けなくちゃいけない理由があるからだ。僕はオマエと雪白ちゃんの間に割り込む気はねえよ。でもなあ、こっちが気に食わなくて心底ハラワタ煮えくり返るほど気に食わねえ理由が―――その顔なんだよ!!」
「……」
「何なんだよその『戦う気すらねえ面』は!! ああ!? いつものオマエなら別にこっちは何も言わなかったっつの!! いつもみたいに敵を『潰す』気満々の顔してろよ!! いつもみてぇに『敵をぶっ殺して仲間を取り戻す』ってやってろよ!! 敵ぃ殺して仲間連れて帰ってこいよ!! 笑いながら小悪党叩き潰してこいよ!! それが今のテメェの顔にゃ微塵もねえんだよ!! まるで―――『戦う理由もないけど戦う』みてぇな『曖昧』な面してっからこっちゃあ腹たってんだ!! ああとっとと死んでさっさと死体に生まれ変わってこいよ!! 無様だよなぁホント!! 『曖昧』な面構え携えて戦場行ったらはいポっくり逝っちゃいましたって結果なんだろォ? あっハははははハハははハハハハハはははハハハハはハハハハ!! 惨めすぎて笑えるぜオイ!! 今日は夜来くんの命日死別パーティーだなあ!! たんとご馳走にかぶりついてやるから安心して死んでこいよ惨めでちっぽけな小悪党風情がァ!!」
周りの者達は呆然としていて動く気配がない。それもそうだろう。なんせ、あの普段は温厚な鉈内翔縁が鬼の如く豹変して夜来以上の殺気を放っているのだから。
だが。
少年だけは。
夜来初三だけは小さく笑い始めた。
まるで押し殺すような声は次第に量を増やしていく。彼は鉈内に殴られた右半分の顔を手で覆うように押さえながら口を引き裂いて凶悪に笑っていた。
血走った左目は化物そのものだ。
「アはッ! アっはハハハはははハハハハハハハハ……!! おいおいおいおい随分とまァ熱血教師なんだなぁ鉈内くんは。不良更生学園ドラマの見すぎじゃねぇの? つーか何でクソ風情が俺に上からご高説垂れてんだよコラ。立場ってモン分かってんのかよボケ」
「お前こそいい加減その心の迷い人卒業しろよ。何でそんな不抜けた面貼り付けたまま戦場向かおうとしてんだ自殺志願者が。そんなに死にてぇならここで心臓取ってやっからそこ寝ろよ虫けら」
「よーしオーケー。一回死ねやクソ野郎」
テーブルの傍に立っていた夜来の手元にはいくつかの椅子があった。それの一つを適当に掴み、躊躇いなく鉈内へ投擲する。バガァン!! と轟音を上げて、椅子の面積が大きかったからか鉈内は床を転がっていった。さらに後方にあった行き止まりを表す壁に激突し軽く咳き込む。
しかし夜来は容赦などせずに、
今度は椅子ではなくテーブルそのものを倒れ込んでいた鉈内へ投げ飛ばした。
ドッガァァァアアアアアアアアアアアアアン!! と派手な破壊音が床から振動して響き伝わる。間違いなくあれは下手をすれば死んでいた。『サタンの呪い』がなくとも、夜来初三という少年が恐ろしい程に躊躇いがなく強いことが理解できる光景。
しかし。
気づけば鉈内翔縁は壁の様になったテーブルの横から飛び出しきていた。ギリギリで回避していたのだろうが、それを思案するほどの余裕など彼はくれない。
今の夜来初三はサタンと離れている。
つまりそれは。
鉈内翔縁と同じただの人間ということだ。
同じ土俵ならば鉈内に不利はない。
むしろ武術を極めている彼にとっては絶好の戦場とも言える。
夜来初三の眼前へ迫った鉈内は、素早いステップから強烈な拳を叩き込んだ。頭、腹、腹、顔、胸、脇腹、ミゾ、喉元、に連続で放たれた鉈内の拳や肘は全て夜来の内側にまでダメージを与える。
当然。
夜来初三に武術の技術はない。
回避する方法も攻撃の仕方も武術や格闘技の経験がないのだから知らない。
しかし。
「っ!!」
後ろへ倒れそうになった夜来はまるでグン!! と地面へ縫い付けられたように立ち直す。その唇からは血が少々流れ出ていたが―――まるで『痛みに慣れている』かのようにニタリと笑った。
瞬間。
夜来初三はその右拳を鉈内の顔面へ放つ。しかし速度は早いが所詮素人の拳。鉈内から見れば止まっているようなことと同然。故に危険性は皆無なレベル。
だがしかし。
夜来は口の中に溢れていた血を唾液で濡らし、
ブウウウウウウウウ!! と、鉈内の目へ赤く染まった唾液を吹きかけてやった。
鉄分のせいなのか何のかは知らないが、その液体に目が痛んだ鉈内は両目を手で押さえつけて一歩後退する。当然そうなれば隙だらけになる。
ドゴン!! と夜来は彼の腹部を蹴り飛ばした。肺の中にあった酸素は全て空気中に強制的に吐き戻される。
ようやく視界が戻ってきた鉈内は小さく笑って納得した。
やはり夜来初三の強さは―――『殺し合い』の日々で手に入れた非情さだ。
彼は武術や格闘技などの『安全性が確保されたルール』がある世界ではなく、『殺し合い』という『安全性の確保などされていない』容赦ない日々を生き残ってきていたのだ。
闇の世界で手に入れた、暴力の世界で身につけた、あの『勝つためならば何でも活用する』という『非情』さこそが武器。例えば最初の一撃である『椅子』や『テーブル』は、彼は『殺してしまう』などの情けを微塵も抱かずに投擲した。なぜなら、それは『殺すため』にもっとも手っ取り早い方法だったから。
先ほどの唾液による目くらまし。
あれもきっと、純粋な体術では太刀打ちできないから、『鉈内翔縁が対処できない方法』に従った結果だろう。鉈内は武術を極めている……裏を返せば武術しかできないということ。だから夜来は『武術にない技』である『唾液』という喧嘩の世界で学んだ変則な手段を実行したのだ。
他にも殴り合いの日々から得た『打たれ強さ』や『凶暴性』や『手加減なし』といったものも彼を強くしている武器なのだろう。
鉈内は事実を把握すると苦笑するように笑った。
「本当、冷酷で非情だよねやっくんは」
「あぁ? 今更なに言ってやがる」
「でもまあ―――『それでこそ』やっくんだけどね」
「おいおい、まさかギブアップだとか寝言吐くんじゃあねェだろうなクソ野郎。ひき肉に三分クッキングしてやっから、よーく筋肉ほぐしとけよボケ」
「あっはは。ああ、うん、『それなら』もう安心だわ」
「あ?」
怪訝そうな声を上げた夜来。
鉈内は先程までの凶暴な笑顔を開花させていた―――『いつも通り』の夜来初三を確認したことで。
思わず笑っていた。
懐かしいガラの悪い顔に苦笑してしまった。
「今の、悪人ヅラが張り付いてる『いつも通り』の冷酷で残虐で嗜虐的で敵に容赦ない極悪人の夜来初三なら―――もう安心だわ。その敵を殺す目をしてる君なら、もう誰も敵にならないでしょ」
瞬間。
夜来は近くにあった窓ガラスに映る自分の顔を見て気づく。
そこには。
そこに写っていたのは。
悪人としか言い様のない一人の少年の鋭い目つきだった。
鉈内くん激怒プンプン丸ですね




