素直
(……またか)
己の下駄箱の前で足を停止させている雪白千蘭。昨晩の出来事から時は経ち、現在は放課後となった時間帯である。目の前の下駄箱の中には一枚の手紙が入っていた。
雪白は溜め息を吐く。
そして、共に帰ろうとしていた少年と少女に声をかけた。
(あの女を夜来と一緒にはしたくない。だが、昨晩私の看病をしてくれたという借りもあるし……仕方ない。借りを返そう)
「すまないが忘れ物した。先に帰っててくれ」
言い残し、雪白は小走りで元来た道をたどっていく階段を駆け上がって、自分の教室にたどり着く。本来ならば、少年に待っていて欲しいという気持ちが心を充満している。しかし―――雪白の経験上の予想が正しければ、今回の手紙に関しては少年を巻き込ませるわけには行かない。
なぜなら。
「ああ、来てくれたんですね。雪白さん」
手紙の差出人である男が、教室に入ってきた雪白に爽やかな笑顔を浮かべてきた。一方、雪白は雪白で自分の席に腰を下ろし、一息吐いてから口を開く。
「それで。私に何のようだ?」
「え、ええとですね……」
口ごもる男は、言いにくそうに頭を掻いたり作り笑いを返してくる。雪白はこの男が何を言いたいのかは知っている。今までの人生で何回と体験してきたことだからだ。
すると。
ようやく決心したのか、男は真剣な顔つきなって、
「僕と、付き合ってください!」
心で溜め息を吐いた雪白千蘭。
というか、溜め息以前に心底呆れていた。そもそも雪白とこの男は付き合える前提が成り立っていないのだ。テストを受ける以前にペンを握れないようなものなのだ。
なぜなら―――雪白はこの男の『名前』すら知らないのだから。
つまり名前を知らないくらい関わっていないし、話していないし、顔を合わせてもいない。
故に、雪白は溜め息をバレないように吐いていた。
「無理だ」
「っ! ど、どうしてですか!?」
一瞬で困惑の表情に変わった男。
雪白は口を開き、
「そもそも私はお前を知らん。お前と付き合えるほどの関係性が皆無だ」
「な、なら、それは付き合ってから知っていけば解決じゃないですか? 別に、付き合ってからお互いを好きになることだって間違いじゃないですよ」
なるほどな、とその考えに一応は納得した雪白。
男の顔には少しばかり安心の笑みが漏れた。
が、
「それでも付き合わない。諦めろ」
「な、何でですか!?」
食い下がってくる男に、今度こそ容赦ない一言を言い放つ。
「私はお前に興味の欠片もない。これから好きになる可能性もないからだ」
「で、でも―――」
「ならば聞くが。お前は私のどこが好きなんだ? 一体どこに惚れたんだ?」
うっすらと目を細めた雪白の質問に。
男は無理に笑顔を作って、
「そ、そりゃ雪白さんは優しいですし―――」
「私はお前と話した記憶がない。この時点で私はお前に優しくした過去などないぞ」
「い、いや、でも、その、雪白さんは皆のことを気にかけてますから―――」
「お前は一体何の話をしているんだ? 私がクラスメイトのことを気遣うほど周りと会話していたか? とけ込めていたか?」
「あ、えと……」
「正直に言え。そういう作り笑いも見ていて虫酸が走る。どうせ―――私の見た目だけが価値があったのだろう?」
そんなことないです! と、慌てるように大声を上げる男だが、これ以上話に付き合うことに何の意味もないと踏んだ雪白は席から立ち上がる。
「すまないが私はお前と付き合えない。諦めてくれ」
「そ、そんな簡単に―――」
「知っているか? 私はとある男と関わりがあるのだがな。そいつは私に『殺すぞ』だの『黙れ』だの『くっだらねぇ』などと吐き捨ててくるんだ。―――お前のように『作り笑い』もせず『愛想笑い』もせず、無理にポイントを稼ごうともしない、『私に好かれようともしない』奴なんだ。―――分かるか? お前と付き合いたくない理由が。ただ外見だけで判断されることの苦しみが分かるか?」
「あ……」
「分かったから帰ってくれ。私は『アイツ』以外の男が大嫌いなんだ」
ため息混じりにそう言った雪白。対して、男は俯いて拳をきつく握り締め、
「その『アイツ』とかいうのは……夜来のことですか?」
唸るような声だった。嫉妬に包まれた、構成された、塊同然の唸り声。
気に食わない。
その感情を強く目の前の男は抱いていると確信できた。
「ああ、夜来だ」
あっさりと肯定した雪白に、男はやや語気を荒くして叫ぶ。
「何であんな奴が良いんですか!? 僕の方が、僕の方が!! 絶対に雪白さんを幸せにできます!!」
「幸せ? 馬鹿にするな。私はお前という『好きでもない男と付き合う』ことで幸せになれるのか? ならば幸せなど願い下げだ。どうやらお前は重度の馬鹿のようだな」
「っ! で、でも、僕は成績は学年トップ10に入ってますし、夜来なんかより運動だってできま―――」
「私の成績は全国模試でトップ10に入っているし学年では二位だ。その時点でお前は私の下であることに変わりはない。確か一位は……唯神天奈だったか。クソっ。あの女は私の邪魔を次々と……」
ぶつぶつと呟き始める雪白。
一人の世界へ入ってしまった彼女は、まったく相手にしていなかった男にしばらくしてから気づき、
「ああ、それで他に何か用か?」
「……雪白さんは、夜来なんかのことが好きなんですか?」
「おいお前。いい加減にしろ。先程から夜来のことを『なんか』と付けて見下しているような言い方を直せ」
「だ、だって、アイツは勉強だってできないし、目つき悪いし、人よりも優れたところなんてないでしょう! この学校に入学できるほど学力だってない! 噂じゃ教師のツテで入ったとか、中学時代に荒れていたとか、良くない噂ばかりのクズで―――」
「ああ、そうかそうか。まぁ確かに、お前程度の『外見だけで女を決める』ような人間では夜来のことも『外見だけで決める』のだからアイツの良さは理解できないだろうな。―――もういい。消えてくれ。私はお前と付き合わん。この際だからはっきり言うが、私は夜来を除いたお前達『男』が大嫌いだ。今すぐ窓から飛び降りて死んでみろ、私は一切お前の死に感情を持たないぞ」
今度こそ顔が歪んだ男。しかし雪白は彼の物言いに腹が立っていたので一々謝罪の言葉を並べ立てるつもりは毛頭ない。
しばし沈黙した男はゆっくりと歩き出して、去る寸前にこう吐き捨てた。
「夜来の奴、絶対殺す……!!」
瞬間。
「―――っ!!」
気づけば、雪白は近くにあった自分の椅子を掴んで全力で男に投擲していた。ドガァン!! と男の体へ直撃した椅子は転がって行き、衝撃によって男は吹きとび、苦しげに呻いている。
「あ、っが……い、痛……!!」
「……再認識した」
今度は椅子よりも大きい机を持ち上げて、それを掲げるように勢いよく振り上げる。
情けない悲鳴を漏らした男に、雪白は無情な瞳を注いで、
「―――夜来以外の『男』がいかに汚いかを再認識した」
ブオッ!! そう告げて。振り上げていた机を容赦なく男へ叩きつけた。
はずだったのだが。
「やめなさい。それ以上はアウトよ」
机を叩きつけようとしていた腕を、気づけば一人の少女にがっしりと掴まれていた。暴走している雪白を止めたのは―――据わった目を向けてくる世ノ華雪花だ。
その一瞬の隙に男は這うように逃げ出してしまう。獲物を逃がしたことに舌打ちを吐いた雪白は、ひとまず教室の中に戻っていき、
「一体、いつからあそこにいた」
「えーっと。アンタの下駄箱に男子生徒が手紙入れてたの見て、キュピーンときたからこっそり告白シーンを眺めてた。そしたら性悪女がコテンパンに告白断って衝撃展開だったのよ」
雪白は自分の椅子や机を元に戻す。
そして、オレンジ色の幻想的な夕焼けが見える窓へ足音も鳴らさずに近づいていき、
「知らん。私はただ本当のことを言ったまでだ」
「それにしても、アンタってやっぱ凄いわね。あのサッカー部のエースで爽やかイケメン。さらには成績優秀なモテモテ要素いっぱいの女子で大人気の伊崎くん振っちゃうんだから」
どうでもいい情報だな、と呟いた雪白。
きっと、彼女は伊崎とかいう男よりも価値のある男を知っているからだろう。もっと素晴らしい存在に想いを寄せているからだろう。確かに伊崎という男子生徒の容姿は整っていた。夜来初三もそれなりに美少年ではあるが、彼よりも顔立ちや身長も高スペックだった。
しかし関係ない。
夜来初三でないのならば、他の男は等しく邪魔な猿だから。
雪白は腕を組んで、美しい夕焼けを壁に寄りかかりながら眺める。
「私は夜来以外に興味がない」
「あ、あら? なんだか急に素直なったみたいね。もう雪白ちゃんのツンデレブームは終わっちゃったのかしら?」
「ああ、もう素直になる。私は夜来のことが好きだからな」
しばし沈黙した世ノ華は目をパチクリとさせて、
心底面白そうに笑い出した。
「あ、あははははははは!! な、なによ急に! そんな素直で良い子になっちゃったら、アンタらしくなさすぎでしょ! あははははっ!!」
「勝手に笑えばいい。私は夜来を愛している。ただそれが事実なだけだろう」
「あーあー、雪白は兄様の虜になっちゃったみたいね。まぁ、妹としては兄様がモテるのは当然だと思うけど」
「近親相姦は感心しないからやめておけ。私が絶対にアイツを貰って幸せにしてやるから、大人しく私の義妹になるがいい」
「あらら、言っておくけど兄妹間の恋愛だって成立するんだからね? 勝手に勝利した気にならないでもらえるかしら」
世ノ華は他愛も無い冗談を飛ばした会話を進めていた。しかし、夕焼けに照らされている雪白の横顔はどこか―――何かを決心したような色が見えた。
彼女は長い片ポニーテールにした白髪を片手でかきあげて、
「帰る。お前も適当に帰れ」
「あらあらあぁまぁ。優しい素直な雪白さんは私を心配してくれるのかしら?」
「都合のいい思考回路をしているようで羨ましいぞ」
捨て台詞を吐いた雪白は、早足で校舎を出て行った。
携帯電話を開き、メールを送信して。




