行方不明
「……帰ってこない……!!」
普段は冷静沈着で無口が特徴でもあり、あの口の悪い少年と同じでコミュニケーション能力が皆無故に友好関係も同様に壊滅している少女、唯神天奈は珍しく取り乱していた。
深海を表すような紫の瞳には、明確な『心配』という感情と『怖い』という意味が込められた色が含まれており、腰まで伸びた闇色の髪は彼女が貧乏ゆすりする度に揺れ動く。
その様子に共感するように視線を下げているのは、秋羽伊那、鉈内翔縁、世ノ華雪花の三人だった。場所は夜来初三と唯神天奈達が暮らしているマンションの一室であるリビング。しかしながら、この家の主である夜来初三の姿はない。いつもならば、テレビの前に設置されているお気に入りの白ソファでごろ寝しているはずだというのに―――あの少年の姿はどこにも見当たらなかった。
それもそのはず。
夜来初三はここ一週間、学校にも、家にも、七色寺にさえも顔を出したことはない―――いわゆる行方不明という異常事態なのだから。
故に普段は落ち着いている唯神天奈だって、困惑した目で勢いよく立ち上がり、
「おかしい! 初三が一週間も帰ってこないだなんて納得不可能……!!」
「まぁ確かに、やっくんは不良っていうか映画に出てくるヤクザみたいな感じだし、ぶっちゃけ無断外泊くらいはしても不思議じゃないだろうけど……」
「明らかに一週間は長すぎよ!! 兄様がこんな心配を私たちにさせるとは思えないわ!!」
世ノ華と鉈内だけを、この緊急事態に呼んだのは秋羽伊那の意志だ。明らかにこの夜来初三行方不明事件には―――あの晩、サタンの豹変と何か関係があるような気がしてならなかった。
だからこそ、その内容を既に打ち明けてしまっていた世ノ華と鉈内だけをこの家に呼び出したのだ。今回の事件は下手をすれば警察ごとになるだろう。ならば余計に面倒な事態へ悪化していく前に自分たちで夜来を見つけ出したかったのだ。
秋羽は涙目になりながら、弱々しい声で呟くように言う。
「怖いお兄ちゃん、ひょっとして私たちのこと嫌いになっちゃったのかな……」
「―――っ!! そんなわけない!! 初三はそんな人間じゃない!!」
さらに珍しく唯神天奈の怒声が響いた。やはり彼女はこの中で一番夜来初三を心配している。でなければ、ここまで冷静さを失うことはないはずだ。
唯神は悔しそうに歯噛みして、
「初三は……!! 初三は頼るときは頼れって私に言ってくれた!! 家族なんだから頼れって言ってくれた!! だから初三が私達から離れる可能性なんて存在しない……!!」
「でも、でも、それじゃ何で怖いお兄ちゃんいなくなっちゃったの!? 私達が邪魔になったからじゃないの!?」
家族がいなくなる。家族が消えていく。『また』家族が失われる。その思いが秋羽伊那を恐怖の底へ落としつけているようだった。
鉈内は秋羽に笑いかけて、
「大丈夫大丈夫それはないよ。あのチンピラデビルはそんなみっともない真似はしない。本当に君たちが邪魔ならアイツは真っ向から邪魔だって言うはずだから」
「そうよ。あの兄様がそんな女遊びみたいな感覚であなたたちを見捨てるはずがないわ。ここのチャラ男と違って兄様は高貴なお方なんですから」
「あっれー? 僕ってばさりげにけなされたー? ってかー、あの何かありゃ『殺すぞ』っつってー脅してくる根っからの野蛮人が高貴とか世も末―――」
「黙れゴミクズ。その醜い面ァ爪でかき回して醜さに磨きをかけてやんぞコラ。つーか何でさりげなくテメェみてぇなチャラチャラ野郎が兄様侮辱してンだよタコが―――撲殺すんぞボケ」
「あ、あれれー? なんかやっくんの周りって女性陣の味方多すぎない? ってか僕ってばちょー気の毒じゃない? 僕ってばちょー気の毒じゃない!? ねぇ!? ねえ!?!?」
「い、いや、そんな涙目になって私に聞かないでよ翔縁お兄ちゃん」
世ノ華に頭を鷲掴みされている鉈内から聞こえてくる、必死になって助けを求める断末魔の叫び声。それ無視して、秋羽は爪を噛んでいる唯神天奈に口を開いた。
「でも、本当にどうするの天奈お姉ちゃん。このままだと、怖いお兄ちゃんずっと帰ってこないんじゃ……」
「一週間は待った。私は我慢強く一週間は待った。だからもう待たない。もうここで電話や携帯にチラチラと視線を向けながら待機していることは非常に困難。絶対に困難。というか無理」
「え、じゃあ何か考えがあるの!? 怖いお兄ちゃんのこと見つけられるの!?」
「ん。時間はかかるかもだけど見つけられるはず。―――だって」
己の目に手を添えた彼女は、小さく笑ってこう言った。
「だって私には、『魂を覗く力』が残ってる」
「ええ!?」
仰天して大声を上げた秋羽伊那に対して、唯神は淡々と言い放つ。
「あれ。言ってなかった?」
「言ってないよ!! 何で!? 何で死神さん消えちゃったのに天奈お姉ちゃんは魂見れるの!?」
と、その質問には『悪人祓い』の見習いである、元ヤン少女の手によってボコボコにされていた鉈内が背後から口を開いた。ドサりと倒れ伏した彼は、引きつった笑みを浮かべながら、
「え、えとねぇ。死神と唯神ちゃんは、伊那ちゃんに死神さんが憑いていた時からは既に『関係ない』状態だったんだよ。もう呪いの関係なんてない。なのに『魂を覗く力』は、死神さんが消える前からずっと唯神ちゃんが持っていたってことは―――死神が忘れていった『魂を覗く力』は、既に唯神ちゃんに所有権があったんだよ。その『魂を覗く力』は死神と分裂して別れた別々の存在。唯神ちゃんの中に『宿り残っている』怪物の力なわけ。うん、多分あってるはず。僕も一応勉強してるし―――っていうか世ノ華手加減しなさすぎ。ちょー痛い。僕ってばマジ泣きそう」
「勝手に泣いてろタコが。朽ち果てろ起きたら殺すぞ」
「あ、なんか今の『殺すぞ』はやっくんぽいね」
「え!! ほんとほんと!!?? ホントに私いま兄様に似てたかしら!? 兄様っぽくかっこよくなってたかしら!?」
ぐいいいいいいいい!! と、鉈内の襟首を勢いよく掴み上げた世ノ華は、愛しの兄様と一緒という部分の言葉によほど歓喜しているようだった。
一方、鉈内は鉈内で盛大に呻き苦しんでいる。
「じゃあ、その力を使って街とか探して怖いお兄ちゃんを探すんだね?」
「ん。正解。だから時間はかかるけど、少しでも私の視界に初三が入ればすぐにわかる。よって問題はない」
一週間の音信不通。
一週間の行方不明。
この一週間を『帰ってくる』と信じて待っていた唯神天奈にとっては、結局のところ行方知れずのままである夜来初三に、少しながら怒りさえ湧き出ていた。




