相談
「あっれー? 伊奈ちゃんじゃん、どうしたの? もしかして僕と遊んでくれたりするのかなー?」
七色寺に住んでいる鉈内翔縁。境内の掃除をしていた彼の目の前には、ランドセルを背負った小学生である秋羽伊那が視線を落として立っていた。
どこか悲しげな顔だ。
助けを求める表情だ。
鉈内は彼女の様子から、自分に何ができるのかを具体的に解析する。その結果、やはり彼は彼らしいやり方で対応することにした。
「ねぇねぇ、とりあえず上がって何かしよーよ。僕ってば久しぶりに伊那ちゃんと会って遊びたいんだよねー」
「でも、翔縁お兄ちゃん、今お掃除中じゃ……」
彼が握っている竹箒を指差す秋羽伊那。痛いところを突かれた鉈内だったが、無理に笑って見るからに悩み事があるのだろう彼女の頭を撫でてやった。
「大丈夫大丈夫、どーせ夕那さんにバレなきゃいいんだしー? せっかく伊那ちゃん来たのに時間もったいないじゃん? だから悩みがあるなら言ってみなよ。僕ってばこんなだけど、できる限りは尽くしてみるからさっ」
「……うん」
その言葉には信用を寄せられた。
かつて彼は自分にかかっていた『死神の呪い』を夜来と共闘することで解いたこともあり、自分の抱いていた『生死を分ける』という悪を変えてくれた張本人でもあるからだ。確かに彼は夜来とは違っていつもニコニコと笑い、ヘラヘラとした態度が目立つ少年だが―――根は頼れる存在だと知っている。
故に秋羽は彼へ向けて小さく笑った。
「あははは。オッケーオッケー。もしかして、本格的にあのクソ前髪デビルに何かされたの? だったら今すぐ殺しに行ってあげるよ。うん、主に僕の個人的な恨みもあるし」
「えっと、怖いお兄ちゃんじゃなくて……」
「え? やっくん以外の人のこと?」
「うん。実は―――」
まずは誰かに頼ることも大事だと踏んだ秋羽伊那。
少し前に起こった、大悪魔サタンが怒り狂ったあの晩の事件を明かすことで、信頼できる鉈内翔縁からアドバイスや原因の解明を手伝ってもらおうと思ったのだ。
しかしそこで。
「あら、伊那ちゃんじゃない? どうしたのこんなとこにいて」
七色寺の門をくぐってきた世ノ華雪花の声が響いた。
「遅い……」
唯神天奈はソファに座って呟いた。
気晴らしにテレビをつけて気を紛らわすが、夜来初三と秋羽伊那の帰りが遅く、心配な故に満足にバラエティー番組すらも楽しめない。
もしやまたバスジャック事件のときのような事態に巻き込まれているのでは、と一瞬思案してしまったが、あの夜来初三ならば特に問題はないだろう。秋羽伊那はきっとどこかで寄り道をしてはしゃいでいるはずだ。そう何回もバスジャック事件と同レベルの惨劇が発生するほどこの街は治安が悪いわけじゃない。
(それにしても……サタンは本当にどうしちゃったんだろう)
ふと思い出したあの夜の出来事。
確かにサタンが抱いている夜来初三に対する独占欲や愛情は非常に巨大なものだ。今までにも何回かは夜来に嫉妬して、ふてくされる態度をサタンは取ったこともある。
以前は秋羽伊那が夜来に抱きついているのを見て幼女同士の枕投げ大戦争が勃発したこともあった。しかし明らかにそれは可愛いレベルだ。誰だってその程度のじゃれあいや遊びはするだろう。
が、しかし。
あの夜。雪白千蘭を一方的に叩き潰していたサタンは『本気』だった。『本気』で激怒し、本気で怒り狂っていたのだ。
じゃれあい何てものじゃない。
邪魔者を排除しようとする行為に等しかった。
「……考えても仕方ない。今は二人の帰りを待つべき」
そう判断した唯神天奈。
彼女はバラエティー番組から料理番組にチャンネルを切り替えることで、以前の冷凍食品オンパレード料理ではなく、今晩はしっかりとした手料理を作ろうと考えた。
頭に拳銃の銃口を向けられているわけではない。
喉にナイフを突きつけられているわけではない。
心臓に爆弾を仕掛けられているわけですらない。
そもそも、夜来初三ならばその程度の力に屈服するわけがない。彼の体に傷などつくこと事態ありえない話なのだ。たかが拳銃やナイフや爆弾で脅そうとも、夜来初三という化物には効果など何一つ発揮することがない。
さらに言えば。
今、夜来初三はそういった武器を使用した脅しどころか手錠などの拘束をされているわけですらない。何の危険もない状態なのに、いつでも逃げ出せる格好なのに、彼は大人しく雪白千蘭のもとへついていくしかなかった。
いや、正確に言えば拘束されているのかもしれない。
見えない鎖で体中を固定されているような状態に近い。喉元に核爆弾を背負っているような脅しにだって現在進行形で遭っている。
雪白千蘭という存在によって、彼は肉体的拘束や脅しではない精神的拘束や脅しに屈服していた。
雪白千蘭の頼みを拒絶すれば彼女は自分の指を折る。
雪白千蘭の頼みを否定すれば彼女は自分の目を潰す。
故に彼は抵抗できない。彼は雪白千蘭を傷つけたくないから、彼女の自傷行為を防がなくてはならない。彼女の綺麗な指が折れ曲がる瞬間など二度と目にしたくない。
だからこそ。
彼女はその弱点を利用して夜来を見えない鎖で拘束している。
彼にとって『雪白千蘭』という『大切な存在』を『雪白千蘭』自身が人質にして傷つけることで夜来初三を我が物にしているのだ。
だから尚更夜来は自覚する。
今の自分はどれほど滑稽なことだろう。
雪白千蘭と手をつないで彼女と共に歩いている自分は、どれほど弱者なのだろう。大切にしている彼女が敵になったことで、あっさりと敗北している自分はどれほど最弱なのだろう。
雪白の家へ向かっている夜来は自分から彼女の家へ向かっている。
脅されているわけではない。来なければ殺すなどと言われているわけではない。しかし肉体的には自由の身であるのだが、精神的には既に監禁されている状態に近かった。
逃亡すれば雪白は己の骨を折る。
反対すれば雪白は己の肉を斬る。
だからこそ、そんなことをさせない為に彼は雪白の言葉に従っていた。現在手を握っている状態もほとんどそれだ。
今考えてみれば。
これほどまでに夜来初三が無力なったことは今までにあっただろうか?
きっと彼女は―――雪白千蘭は。
『凶狼組織』のリーダー・豹栄真介よりも。その上司である上岡真という謎の男よりも。何よりも恐ろしい夜来の天敵だったのだ。
「さぁ、着いたぞ。これからお前はここで私と生活するんだ」
「……一軒家、か」
見上げてみればそこには屋根付き二階建ての一軒家。
もしも自分が住んでいるようなマンションならば、周りに人も生活している為、いつかは警察や七色達に情報がいくだろうと考えていた。しかし一軒家となれば話は別だ。
間違いなく。
今、雪白が鍵を開けた玄関をくぐれば。
この一軒家―――世界には雪白千蘭と夜来初三の二人だけしか存在しなくなる。
扉を開けて先に入っていった雪白は、外と中の境界線となっている玄関の中側に立って振り返った。その瞬間に、美しい長い白髪は揺れて彼女の容姿の完璧具合をさらに引き出す。
その白髪があってこそなのか、彼女の容姿の美しさ故なのかは知らないが、
まるで恋人を迎え入れるように両手を広げた雪白千蘭は天使そのものに見えてしまった。
「さぁ、おいで初三」
しかし実際は天使とは呼べまい。
精神的に夜来を拘束している事実から、もはや天使などという光り輝く存在には到底近くはない。
対して夜来は。
雪白が両手を広げて出迎えている一軒家の中に一歩でも踏み込んだ瞬間、きっと二度と今いる外の世界には出られなくなるだろう。
いや、二度とは言いすぎだったかもしれない。
きっといつかは彼女だって外に連れ出してくれるはずだ。
夜来初三を完全に自分のモノにした後ならば。
「……ああ」
ゆっくりと、一歩一歩をしっかりと踏みしめて、雪白千蘭が出迎えている腕の中へ―――彼女と自分だけが住まうことになる外界から隔離された一軒家へ入っていった。
玄関を超えて雪白の胸の中へ辿り着いた夜来初三。
その瞬間。
「これで永遠に一緒だ」
ニタリと笑った雪白の笑顔と共に彼は抱きしめられ―――同時に玄関のドアは無慈悲にも閉まってしまった。もうこれで逃げられない。もうこれで出口は断たれた。もうこれで―――雪白千蘭と自分だけが住む世界へ隔離されてしまった。
黒い少年は白い少女に飽きしめられている最中、こんなことを思っていた。
一体何が原因でこんな事になってしまったんだろう、と。
悪魔を愛している一人の天使。
天使は悪魔の耳元で囁いた。
見た目は天使だというのに悪魔に対して悪魔以上に悪魔らしく囁いた。
「愛しているぞ―――永遠にな」




