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今日も今日とて渋々学校へ登校している夜来初三は、今朝から様子がおかしい二人に声をかけた。唯神天奈も雪白千蘭もいつもと雰囲気というか何かが違う。特に雪白は先日のバスジャック事件のこともあったが、それは昨晩夜来が傍にいることで解決したはずだ。しかも関係のない唯神までそわそわとしていて落ち着いていない様子。
「マジでどうしたお前ら。さっきから様子がおかしいぞ」
「え。な、何でもない。ただちょっと寝不足なだけで―――」
……サタンのことを話すべきか迷っていた唯神天奈だったが、まだ何が原因で彼女があそこまで本格的に怒り狂ったか分かっていない。さらにはサタンは現在夜来の中に息を潜めているので……堂々と話すのもどうかと思案する。
と、そこでうつむいていた雪白が顔を上げて、
「その通りだ。何でもないぞ夜来。ただ、やはりまだ精神的に疲労しているだけだ。だから今日も私と一緒にいてくれっ。な?」
「あ、ああ。なんだよ。思ったよりはマシなツラになったじゃねぇか」
「ああ。お前のおかげだよ。でも約束通り―――今日もちゃんと一緒にいるんだぞ?」
……何なんだ?
何なんだ、あの『普通すぎる』ほどに『いつも通り』の雪白千蘭は。なぜ、あそこまで『普段通り』の表情を浮かべられるのだ。なぜ、あんなにも平常心が崩れないんだ。
あそこまで豹変したサタンの第一被害者だというのに、雪白千蘭はどうして一番普通を装えるのだ。
(意味が……分からない)
唯神天奈は内心頭を抱えて取り乱していた。
しかし現実はサクサクと進んでいく容赦ないものなので、気づけば天山高校の校舎へと到着して教室へ向かって歩いている最中だった。
こうして今日が始まっていく。
歯車が一つ狂った状態に等しい一日が幕を上げる。
全ては今日から始まった。
狂気と愛に包まれた少年の地獄と化した日々が。
「夜来、一緒に帰ろう。できれば寄り道に付き合ってくれ」
「あ? ああ、構わねぇが」
帰りのチャイムが鳴っても机に突っ伏した態度を維持している夜来に、雪白千蘭が近寄って来た。夜来の隣席である唯神天奈はゆっくりと挙手をして、
「私も同行していい?」
「構わん。好きにすればいい」
あっさりと了承した雪白千蘭。先日までの唯神に対する警戒心や敵対心はどこへ行ったのか、特に気にする素振りもなく彼女は小さく頷いてくれた。
面倒くさそうに立ち上がっている夜来の手を引いて、下駄箱へ向かっていく雪白の後ろをついて行った唯神天奈は眉を潜めていた。
(もしかして……怪我を治療したからちょっと仲良くなった?)
距離が縮まったことは素直に嬉しく思えた。
しかし、あまりの変わりっぷりに少々度肝を抜かれた感覚は抜けきることがなかった。
ようやく辿り着いた下駄箱から自分の靴を取り出して履き替えた唯神天奈と夜来初三だったが、なんとこのタイミングで靴を取り出したばかりの雪白千蘭が気づいたように言い放つ。
「あ、すまない。教室に忘れ物をしてしまった」
「あぁ? ったく、さっさと取ってこいよ」
「いや、それは悪い。今日は先に帰ってくれ。また寄り道には付き合ってもらうからいいさ」
わずかに微笑んだ雪白は来た道を引き返してしまった。遠くなっていく規則的な足音を耳にしながら、唯神は夜来に向けて口を開いた。
「じゃあ、とりあえず帰ろうか。伊那も心配するだろうし」
「あ? ああ、そういやそうだな。ちんたらしてる余裕はなかったってことか」
二人で歩いていく帰り道に会話はなかった。唯神天奈も夜来初三もおしゃべりが好きなタイプの人間ではないので、当然と言ったら当然なのかもしれないが。
しかし目的地であるマンションの姿が見えてくると、まるで言い出さない唯神に対してイライラが募ったような声で、
「―――ンで、何があった?」
「え?」
明らかに真剣さ漂う雰囲気に息を飲んだ唯神。
しかし彼は止まらない。
追い打ちをかけるように言い放つ。
「言え。テメェも秋羽も―――雪白の奴も普段とは態度がおかしかった。上手く隠してたつもりだろうが、全部バレバレなんだよ。だから言え。一体、お前らに何があった?」
「……」
うつむく唯神。
まるで黙秘権を行使している行動だった。
どうやら自分には言えないことらしいな、と納得した夜来は大きな溜め息を吐いて歩行を早めていく。
「まぁ女同士の秘密ってモンもあるんだろう。言いたくねぇなら別にいい」
「……ありがとう」
「ただし―――」
振り返った彼は日傘の先を唯神に突き刺すように向けて、
「俺の助けがいるときは言え。言わなきゃ殺す。もしも俺に黙って悲劇の主人公気取るよォなら俺はテメェを許さねぇ。……頼るときは頼れ。それが家族ってモンだろ、多分」
わずかに沈黙した唯神は苦笑するように微笑んで、
「多分って、すごく曖昧。それが家族なんじゃないの? 曖昧な男は嫌い、だよ」
「こっちも家族なんつーモンは分からない人間なんでね。多分って言えただけでも褒めてほしいくらいだ」
先を歩いていく彼の背中を見つめている唯神。
笑った彼女は密かに。
やはり、彼と家族になって良かったと心の底から実感していた。
サタンの豹変の件に関しては謎が残りに残ったままだ。しかしまだ夜来の手助けにすがりつくほど危ない状況ではないはず。
だから唯神は口を開かずに少年の横へ並んで歩いた。
家族の隣を共に歩く。
「様子がおかしいにもほどがあんだろ……」
自分の部屋へと入った夜来はカバンを放り投げてベッドに寝転がった。大きな舌打ちを吐き捨てて、拳を全力で握り締める。
「クッソ! 何があったんだあいつらに……!! 明らかに女の秘密なんてレベルじゃねぇだろ。なんだよあの何かにビビってるようなツラは」
その通りだ。
明らかに唯神も秋羽も普段とは違って、何か怖いものにビクビクしている反応が見られている。雪白は二人よりは幾分かはマシな様子だったが、彼女も彼女で違和感があった。
一体、自分が知らない場所で何があったんだ?
そんなことを自問自答している夜来の腹部に、突如、重たい衝撃がのしかかってきた。
「おいクソ悪魔。重いんだよコラ」
外を見れば既に夜中と化した風景。
故に自分の腹へ馬乗り体勢になって出現している大悪魔サタンに、彼はそう言い放った。
しかし彼女はそれを相手にしないので、
「小僧だ小僧。ようやく小僧と触れ合えるぞ。ああ、本当に幸せだな」
「暑苦しいやつだな」
心底幸せそうに笑ったサタンに、拒絶するような言葉を告げられなくなった夜来はそっぽを向く。
と、そこで一つの名案を思いついた。
彼は胸元にぴったりと抱きついているサタンに口を開く。
「おい。お前、唯神達が何か様子がおかしい理由知ってるか? もちろん俺が知ったらいけねぇ内容なら答えなくていいが、あいつらの様子がおかしいのはテメェも分かってんだろ?」
この家に住む彼女ならば何か手がかりを握っているのでは、という考えから飛び出た言葉だった。
しかし結果は残念なことに、
「………………………さぁな。我輩もよくわからん」
「チッ。まぁしゃーねぇか」
唯一の希望が断ち切られたことで吐き捨てるように呟いた夜来。対してサタンは特に気にした様子もなく、夜来の胸へ張り付いたままだ。
が、しかし。
徐々に抱擁する力が強くなっていたことは確かな事実だった。まるで自分のものだと示すように夜来を抱きしめるサタン。対して夜来はその微弱な変化に気づくことがなく、ただ溜め息を吐いていた。
しかしそこで。
彼の携帯電話の着信音が鳴り響く。
「あぁ? 誰だよ面倒くせぇな」
開いてみれば一通のメールが届けられていた。しっかりと一字一句逃さずに内容に目を通した夜来は、ポケットに携帯電話をしまう。
サタンが顔を上げた。
「誰からだ?」
「七色のガキからだ。何でも、近々こっちに来るらしい。どうせまたゲームではしゃぐんだろうよ」
そう言った夜来は明日の学校に備えて早めに寝るために風呂へ直行していった。しかし一緒に入ると駄々をこねるサタンの相手を風呂場でも渋々してやったので、結局は時計の針が十二時を過ぎた頃に眠りについた。




