我輩の小僧
日が完璧に沈んだようだ。
既に天空は夜空と化していて、太陽という眩しい存在は君臨していない。代わりに月という、眩しくもなければ輝いていないわけでもない丁度いい明るさを放出してくれる物体は浮かんでいた。
つまり、だ。
何を言いたいのかと言えば実に単純で。
―――アイツが来る。
「このクソ蛇女がァァァァああアアああアアあああああアアああああアアああああああアアアアアアアアアアあああああああアアあああアあああアアあああああああアアアああああアアああああああああああ!!!!」
絶叫と共に夜来の胸へ抱きついたのは大悪魔サタン。涙目になっている彼女は愛しの夜来から一向に離れることなく密着している雪白千蘭をぎらりと睨みつけ、
「ああ分かっている!! 貴様が我輩の小僧にくっついていなくてはいけない状態だというのは分かっている!! だが我輩の小僧だ!! わ・が・は・い・の小僧だ!! それを忘れるなクソ蛇女が!! 忘れれば殺す!! 殺して殺す!!」
「……すまない」
か細い声で返答を返した雪白千蘭の表情は、夜来の背中にぎゅっと隠れているので見えていない。
その反応に対してサタンは興味がなかったようで、とにかく彼女は大好きな夜来の胸へ密着する。
「小僧小僧小僧小僧小僧!! 浮気!? 我輩のことを裏切る気か!? もしもそうなら我輩本格的に小僧を監禁しちゃうぞ!? 貴様の童貞奪っちゃうぞ!?」
「浮気っつーとこから間違ってんだろクソ悪魔」
「お? うぇへへへへ、なんだか良い匂いがするなと思えば小僧とハグしてたからかぁ。良い匂いだ、実に発情してしまう」
「今度洗剤変えてくるわ」
床にまで届く長いストレートの銀髪は輝きが激しい。漆黒のゴスロリ服は彼女の髪と正反対の色で、非常に似合うことがわかる。銀髪と同様の銀色の瞳は美しく引き込められる魅力があった。右目の周りには禍々しいタトゥーのような紋様がある。背は小さく、とても可愛らしい姿の悪魔の大将様だった。
そんな大悪魔サタンは夜来の腹部に抱きついていたのだが、次第にその位置を下げていくことで徐々に股の間に顔を埋めていった。
「おいコラ絵的にまずいだろアホ」
「何を言う。ただ抱擁しているだけではないか。ふがふがすーすーはむはむ」
「こんな卑猥な抱擁があってたまるか!!」
と、そこで。
いつも通りの逆セクハラを受けている夜来の背後から唯神天奈の声がキッチンからかかった。振り向いてみれば、食卓には湯気が立ち上っている……人数分の料理が準備されていた。
まさか彼女が夕御飯を作れるとは少々予想外だった。
しかし。
いつもの態度からは想像しにくいが、実は料理ができるのではと密かに感心した夜来。見てみれば、ハンバーグなどを始めた肉料理が並んでいて、実に食欲をそそられる匂いが充満している。
「お前、飯作れたんだな」
「ふっ。私にとっては造作もないこと」
そのスレンダーな胸を張ってきた唯神だったが、確かに胸を張ってもいいと納得できるレベルの出来栄えだった。夜来は雪白と共に着席し、さっそく頂こうとしたその瞬間。
「我輩にあーんをしろ。甘くて優しいあーんをするのだ」
堂々と夜来の膝の上へ座り込んだサタンは、そんなこと言い放ってきた。
「ふざけろクソ悪魔。つーかテメェ飯食わなくても死なねぇだろ」
「生きるために食すのではない。味わうために食すのだ……ふっ」
「なに名言っぽいこと言ってドヤ顔してんだ」
キレ気味の声になっている夜来だったが、渋々と言った風にハンバーグをサタンの口へ運ぼうとした。
が、そのときに気づいた。
「あ?」
……なんというか、雪白のハンバーグも秋羽のハンバーグも唯神のハンバーグも、自分が今まさにサタンの口へ運ぼうとしていたハンバーグも、完璧すぎるほど『同じ形』をしていたのだ。
もちろん完成度が高いことは認めよう。
しかし。
明らかに高すぎだった。
完成度が平等に高すぎだった。
まさか、と心で呟いた夜来は対面に座っている唯神の顔をじっと見つめ、
「おい唯神」
「なに?」
平然とした顔を崩していない彼女は黙々とハンバーグを摂取している。
「全部のハンバーグに使った肉は何グラムだ? やっぱ四人分だし百グラムくらいは使ったんだろ?」
「ん。百グラム使った」
「おお、百グラムでここまで美味ェ四人分のハンバーグが作れたのか?」
「ん。作れた」
「作れるわけねぇだろボケェ!!」
百グラムで四人分のハンバーグを作ることなど、現実的に不可能だということを唯神は知らなかったようだ。
冷や汗を流した唯神天奈。彼女の隣に座っている秋羽伊那が声をかける。
「お、お姉ちゃん。や、やっぱりバレちゃったよ?」
「……不覚。料理に使うハンバーグの肉の量を知らなかった」
「ンで? いい加減白状しろよコラ。この飯は全部―――」
「冷凍食品」
……案の定の答えだった。
「即答すんなアホが!! 何が悲しくて晩飯が冷凍食品のオンパレードなんだよ!! 意味分かんねぇし虚しすぎんだろ!!」
「はぁ。我がままは良くない。好き嫌いせずに食べなきゃダメ」
「ついに正論のような言い訳を使ってきやがったぞコイツ」
唯神天奈には料理をさせてはいけないと知った夜来は、料理のレパートリーを増やそうと決心した瞬間だった。




