果たすべき義務
「わざとやられたフリをした甲斐があった。まさか敵の根城がこんな場所にあったとは」
唯神天奈を片手で抱きかかえた速水玲は、立ち上がった鉈内翔縁に余裕でいっぱいの微笑みを向けた。頼もしい。最強の悪人祓い、七色夕那と肩を並べた伝説の人だ。あらためて、自分の師の偉大さを鉈内は実感していた。
「っぐ」
円山に蹴られた腹部が痛んだ。
しかし、鉈内は速水に心配はかけまいと気合で平静を装う。
「ここってどこなの。結局。僕、朝飯ぶちまけられて記憶ないから知らないんだけど」
「その話はあと。今はさっさと逃げなさい。私が地上から開けた穴を通るんだな」
言って、速水は抱えていた唯神の華奢な身体を鉈内に押し付けた。思わずお姫様抱っこで受け取ってしまった鉈内は、呆然と師の顔を見上げていた。
穏やかに笑っている。
速水の表情から確信した。鉈内は確信を言葉にする。
「冗談きついって。一緒に来てよ」
「フランにここの位置情報は送っておいた。直に『夜明けの月光』が強襲にかかるはずだ」
「だったら」
「今、確実に奴らをここに引き止めるべきだ。フランたちがここに来るまでに、敵さんが逃げちまったら意味がないじゃないか」
「だったら、僕だって―――」
途中で言葉が詰まった。見下ろすと、腕にはか弱い少女がいる。鉈内にとっての友人であり仲間、夜来初三や秋羽伊那にとっての家族にあたる少女、唯神天奈が。
敵の狙いは、唯神から『悪』を抽出して鉈内に埋め込むこと。間違いなく、唯神をここから連れ出すことは最優先事項である。くわえて、鉈内もここに残るべきではないと言えよう。
歯切りしを鳴らした鉈内に、速水はため息を一つこぼした。
隻腕を弟子に伸ばす。
その茶色の髪を母親のように撫でてやった。
「君は私の教え子だ。私は君の先生だ」
「……」
「なあ、鉈内。弟子に何かを教えること、育てることは、自分の生きた証を弟子に残したいからさ。君は私の生きた証なんだ。『悪人祓い』としての私が生きた証は、唯一、君の中に置いてきた」
「……頭じゃ分かる。けど、無理だ」
鉈内は弱々しく首を横に振る。
苦笑した速水は、ガシガシと鉈内の頭を撫で回した。
「私は嫌になったんだ。悪人に関わるのが。呪いに関わるのが。祓って済むことなんて、奇跡のような場合が多い。殺して殺して、気が狂うようなことがたくさんあった。だからやめた。カタギの世界に戻った。殺すのではなく、生かす仕事がしたかった。だから教師になって日常を謳歌してきた」
「なおさら、死なせない。あんたは帰るべきだ、日常に」
「いいや。それはだめだ」
「なんで!!」
「―――君を育てたから。『悪人祓い』として」
言い切った速水は、ポケットから札を取り出す。すると一瞬で日本刀に変化し、それを力強く握りしめた。
手に持った獲物を見下ろして、速水は懺悔するように呟いた。
「『悪人祓い』から足を洗ったくせに、私は君を『悪人祓い』として育ててきた」
今度は鉈内の目に視線をやる。
真っ直ぐ、逸らさず、見つめている。
「結果、君は『悪人祓い』になった。そして、今、君は狙われている。私は君の師だ。君は私が育てた」
「……」
「この戦争、私には死んでも君を守る義務がある。『悪人祓い』の背負う闇に目を背けた。それでも君を育ててしまった。こんな中途半端な私が、君の命まで中途半端にしてみろ。七色に殺されてしまうさ」
「僕は―――」
「言うな。聞いてくれ。鉈内、私は君を育てることで、『悪人祓い』としてできることをしたかったんだ。前線には出たくない、もう殺し合いもしたくない、呪われた哀れな悪人を手にかけたくない。それでもできることはしたかった。そのために君の師になったんだ、きっと。私は臆病者のクソ『悪人祓い』だ。しっかり足を洗う覚悟もなければ、前線で戦い続ける勇気もない、みっともない大人さ」
だから、と速水は踵を返した。鉈内はその大きな背中に、自分には想像もし得ないような何かがのしかかっていることを理解した。
「君のためじゃない。気にするな。私は私の義務を果たしてくる」
「……ふざけないでよ。僕はまだ一人前じゃないんだ。まだまだ教えること、たくさんあるだろ。死んだら、それこそ中途半端なサイテー野郎だ」
「だな。だから約束する」
扉の外、廊下の奥から足音がやってくる。響いてくる。時間がないことを理解させてくる、どうしようもない現実が差し迫る。
速水は振り向かず、宣言した。
「死なないさ。君は私が一人前にしてやる。約束だ」
「……やっくんに知らせてくる。待ってて」
鉈内が術を使って飛翔する音が聞こえた。静けさがやってくる。その水平線のような空間に、足音だけが滴って、殺気の波紋が作られる。
ゴガァアアアアアアアア!! と、爆音と爆煙を伴って扉どころか壁面全てが消し飛んだ。速水は刀を握った隻腕をぐるぐると回して関節をほぐしている。
そんな彼女に、改めて『混沌』の黒神アルフェレンが対峙していた。
「厄介なものだな、『悪人祓い』というやつは」
「ああ、まったくだ。洗い落とせなくて困る」




