厄介な女
ずっとずっと、夜来初三は鉈内翔縁のことが大嫌いだった。
奴は、親を知らずに七色夕那のもとで赤子の頃から育てられたらしい。それは、善意の強い綺麗な人間になるに決まっている。
奴は、七色と同じ悪人祓いの道に進むことを決めたらしい。それは、自分のような悪人にさえも真正面からぶつかってくる、強い人間になるに決まっている。
奴は、どうやら半人前の悪人祓いで強くはないらしい。それは、必死に強くなろうと努力し続ける、屈強な精神を持った人間になる決まっている。
奴は、善意を大切にしていて、けれど悪意に生きる人間と向き合って、弱さゆえに強くなることのできる、そういう人間だ。
全てが違った。夜来初三にとって、鉈内翔縁が気に入らなかったのは、全てにおいて自分にないものを持っている真逆の存在だったからだ。
自分は、狂人に育てられて悪意しか信じなくなった。この世に善意など、正義など、ありはしないとしか考えられない。たとえ、それが黒神一族の呪いによるものであっても、自分は悪意しか感じ取れないのだ。だから、もうこの生き方から逃げられない。
自分は、悪人を殺すことはあっても祓う救うことはしない。祓い、向き合い、救うことなどありはしない。敵になれば殺して片付ければいい。『死神の呪い』にかかっていた秋羽との一件も、鉈内が解決していなければ彼女を殺していた可能性がある。いや、殺していたのだろう。
自分は、サタンのおかげで強さがある。本当は弱いくせに、彼女がいるから、弱さを克服しないで生きていられる。奴のように、本当に一人で強くあれたことなど、果たして今までにあったのだろうか。
だから、夜来初三は感じる。不快感を。そして、憧れを。自分にないものを持って生きるその光に、自分は暗黒に生きるからこそ目が奪われてしまう。
そして、自分は黒神一族の呪いによって、暗黒から逃れることはできない。すでに肉体は人の域を超え、無限に怪物を宿し無限に呪いを使役する殺人マシーンになってしまった。黒神一族との戦いの後に、この身が都合よくもとに戻ることもない。『エンジェル』戦におけるアルスとの戦いで、夜来初三の心臓は既にこの世に存在しない。いま、夜来が生きているのは、悪と同化した夜来終三の力のおかげだ。夜来初三も、自身の中に潜む夜来終三と悪に同化し、悪という怪物になっていることで何とか肉体を保持している。
怪物になったから、生きていられる。そして、黒神一族を滅ぼし、奴らの宿す悪を全て体内に吸収して戦に勝ったとしても、夜来の肉体がハッピーエンドになるかは分からない。
だから、膝を立てて座っている夜来は皆に告げた。
「奴らから悪を奪い殺しても、その結果俺は多分死ぬ。もしくは想像もできない怪物になっちまう。その二択だろう、元気に人間に戻って幸せにはなれねえと思う」
七色寺の居間。そこで、座卓を囲んで座る七色、雪白、世ノ華を一人一人見つめてから、夜来は宣言する。
「だから、チャラ男を取り戻す。あいつら全員皆殺しにしてな。地獄に行くのは俺一人でいい。あいつくらい、お前らのところに戻るべきだ」
自分は死ぬ。
しかし、だからこそ彼はここに連れ戻す。それは、七色に対する彼の気持ちが垣間見える言い方だった。言外に、子供二人を失わせはしないと伝えるようだった。
「七色、あんたは俺を手伝うと言った。最後に甘えとくが構わないな」
「……最後かどうかなど分からぬわ。たわけ」
「そりゃそーだ。キセキ、なんてビッグイベントがあるかもしれねえからな」
眉根を寄せてうなるように言ってきた七色に、夜来は肩をすくめて冗談を返す。それを見つめる雪白と世ノ華は、何とも言えず閉口していた。
しかし、そんな二人に夜来から声をかけてくる。
「で、俺としちゃお前らには関わって欲しくはねえ。そりゃ前に言ったとおりだ」
「……兄様。それはできません」
珍しく反抗的に夜来を睨む世ノ華だが、これは夜来の言い分が通るわけもない。それは彼も承知していたようで、
「だろうな。鉈内と唯神までさらわれた。お前らの身内が二人、だ。こりゃもう、お前らの喧嘩にもなっちまった。だから止めることはしねえ。……やる気があんだろ?戦争の」
「ええ。あのチャラ男に『エンジェル』戦のときの借りを返せる、いい機会です」
暴走した世ノ華を救ったのは、紛れもないあのチャラ男だ。それを彼女は忘れていない。彼女の悪に寄り添い、文字通り死ぬ気で立ち向かってくれた。
ならば、こちらも死ぬ気で彼を助ける義務がある。
「あいつは絶対に助けます。大きな借りがあるんです」
「……そうか」
どこか嬉しそうに、しかし儚げな様子も伺える笑みを浮かべた夜来は、世ノ華から目をそらした。
あのチャラ男は世ノ華を救った。自分も救ったのだろうが、それは悪人として暴力的に破壊的に救ったのだ。しかし、世ノ華は悪人から救われる以外になかったか。彼女は自分のような悪人にしか救われることはなかったのか。
否。
現に、彼女は鉈内に救われた。悪人祓いの彼に、善意によって救われた。そして、彼女は鉈内のために命をかけるとまで言い張った。悪人の彼女が、鉈内という対極にいる善意の人間に心を開いてるのだ。
ああ、そうだ。
やはり、大丈夫だ。
(あいついれば大丈夫だ。俺ァ死んでも、大丈夫なんだな)
最後まで、世ノ華の兄としていられなくなった。親の七色よりも先に死ぬことにもなった。だが、大丈夫なのだ。夜来は鉈内に約束をつけた。天空の城で、目の前の身内を、家族を守ることを約束させた。返事など聞いていないが、知ったことか、あのチャラ男ならば約束は守る。
だから、夜来はこの上のない安心感を覚えていた。
しかし、雪白は見逃さない。彼のその表情には、間違いなく寂しさが浮き上がっていることを。
「初三」
「何だ。お前は俺についてくんだろ。いちいち言わなくても分かってる、さっき言ったように止めねえよ」
「ああ。ついていくぞ」
「……」
「ずっとな」
「っ」
満開の笑顔を咲かせた雪白に、夜来はぎょっとした。しばらく硬直した後、右手で頭をかきむしり、大きなため息を吐いた。
「……くそったれが」
「久々に汚い口を聞いたな。お前らしくて嫌いじゃないぞ」
「うるせえ」
ケラケラと笑う雪白を睨んで、夜来は厄介な女に惚れたものだと内心で嘆いていた。
彼女は、こう言ってきたのだ。
ついていく、ずっと。
夜来初三が死んだとしても、地獄についていく、という意味だ。
死ねなくなった。彼女に死んで欲しくない。彼女は、本当に自分のためなら殉死するだろうことは痛いほど知っている。
夜来は俯いてため息を吐いた。
寂しそうには見えない顔を隠すために。




