完全な敗北
だからこそ、決意した七色に一切の弱さはない。
上から迫ってきていた、一切の気配なき剣筋をはっきりと察知する。
「妖刀・村正」
瞬時に刀を出現させ、片手でその刃を防ぐ。衝撃波が辺りへ這ってゆく。その風圧に周りの草木は大きくざわついた。雪白たちも吹き飛ばされないように踏ん張るほどの威力の不意打ち。しかし、七色だけは違う。夜来に腕を回したまま、片手でそれだけの一撃を防ぎきっている。
その表情には、初めて伺える明確な殺意があった。
「ーーー儂の子供に何をする」
彼女は再び悪人祓いに返り咲いた。たった一人の自分の子供のために、彼の悪を祓うためだけの悪人祓いへ生まれ変わった。つまり、これまでの聖人君子の身を捨て、命に優先順位を付けることを決意した。彼女は、夜来初三を助けるために、全ての敵を徹底的になぎはらうのだから、その目は自然と血走ってしまう。
そこに、慈悲はない。
だから、
「手は、抜かんぞ」
強い。
奇襲が失敗した敵は距離を取ろうとする。
七色はそれを許さない。妖刀・村正は流れてくる葉っぱを吸い寄せ、触れただけで断ち切ってしまうという逸話がある。獲物を吸い寄せ、その血肉を食らおうとする飢えた刀。
森の中へ逃げた敵を、引き寄せる。
必死に抵抗しながらも、七色の方へ足を進めて表れたのは、
「お強いなあ」
「見た顔じゃな」
黒神フォリス。ザクロが足止めしているはずの、四凶悪神の一人がそこにいた。
「……パリ人もどきはどうした」
「ああ。倒してきました」
熱くなっている頭を振って、立ち上がった夜来。ただ守られているだけでいられるほど、大人しい犬ではない。立ち上がったその顔は、いつもながらの猛犬のようだった。
牙をむき出しにして警戒するのも当然である。
あのザクロを本当に倒したというのなら、こいつ一人の今を逃してはいけない。
ここで、殺す。
「パリ人もどきがお前風情にやられるとは思えねえな」
「えー、ちゃんと頑張って勝ったんですよ。ってか、七色さん、ちょっとそれやめてもらえーーー」
一振り。
抵抗できず寄ってきたフォリスの上半身に、綺麗な太刀筋が走った。血飛沫を撒いて倒れていったフォリスの姿は、誰がどう見ても即死であったことを嫌でも分からせる。
しかし、相手は窮奇の黒神フォリスである。
夜来は倒れた瞬間を狙って、右足を大きく振り上げた。大量の破壊の魔力が放出される。その肉体は跡形もなく世の中から抹消されてしまう。
さて、どうだろう。
「いやはや、さすがにこれは戦力差がありますね」
見上げれば、翼を生やしたフォリスの姿があった。薄く笑った彼は、軽く腕を振ってみせる。瞬間、とんでもない風圧が夜来を襲った。鋭い風の刃が夜来の右腕を切断する。
風。空気の流れ。夜来が意識しなければ壊せない弱点の一つである。吹き飛んだ右腕がフォリスの手元へ渡る。まじまじと夜来の腕を眺めた彼は、それに大口を開けてかぶりついた。
食っている。
人の腕を、食している。
虎のような大口を開けて、むしゃむしゃと。
「窮奇じゃな。なるほど、そういうことか」
「お察しがいい。窮奇とは翼の生えた人食い虎。風神としての要素も持ち合わせております。そして、人食いの私は食した人間の『一部』を扱うことができます。例えば……」
空気が重くなる。
フォリスが右足を振った。ボールを蹴るように。その瞬間、莫大な漆黒の魔力が放出された。
「そういうことかよ」
舌打ちをした。
なんてシンプルで面倒くさい能力だろうか。
相打ちを狙って夜来も魔力を放とうとするが、気づけば空中に大量の御札が浮遊していた。視界全てを覆うほどの大量の御札。赤く発光していき、思わず目を伏せるほどの光が爆発する。
「は」
息を吐いたのはフォリスだった。
何だ、それは。
「チガヘシノオオカミ」
首を振らなくては全貌の分からないほどの巨岩が出現した。フォリスの放った魔力程度では、わずかに欠片を作る程度しかできない。雲の上まで、山の端まで伸びるその壁を前に、さすがにフォリスも呆然とする。
続けて、声が下から聞こえた。
「武器変換ーーー九字兼定」
九字兼定。魔除けの力のある伝説の日本刀。まずい、と息をのんだフォリスの右太股に熱が走る。
ストンと。
あっさりと、フォリスの右足が地面に転がっていた。
「が、ぐああああああああああああ!!」
激痛に悶え、後ろへ思い切り撤退する。
しかし、顔を上げればそこには最強がいた。大きく刀を振りかぶった、小柄な少女の姿をした最強が。
(これは、無理ーーー)
「おっと。初三の分は腕じゃったな。どれもう一度」
足だけではなく腕まで取られてたまるものか。風の力と翼を全力で用いて再び勢いよく後ろへ飛ぶ。そのまま撤退していく姿を眺めた七色は、呆れるようにため息を吐いた。
あの程度ならば脅威はない。
いつでも返り討ちにできる。
そう言わんとするばかりの、圧倒的な余裕。
壁を消し払って戻って来た七色を見て、その場の誰もが彼女の『本気』に身をすくめていた。再び悪人祓いとして動くことを決意した。その覚悟によって、遺憾なく発揮される最強とうたわれる実力は、とんだ底なし沼だった。
「あんた」
「証明はしたぞ、愚息よ」
ここまで助けられれば、言うことはない。
負けだ。
「……否定はできねえな。くそったれ」
と、その時だった。
一難去った静けさに安堵した、その時だった。
森の奥からボロボロのザクロが現れた。右腕がおかしな方向へ曲がっている。ラビットファーの綺麗なハットも出血で台無しだった。しかし、生きている。ザクロの安否など戦力増減としか捉えていない夜来だが、七色の気持ちをくめばここは心配の声の一つでもかけるべきだろうか。
「夜来!!」
「生きてやがったか。お互いにしぶといな。とりあえず中で手当すんぞ、かったりぃけど」
「唯神天奈はどうした!!」
何だ、突然。
ザクロの鬼のような形相に、夜来は驚きつつも後ろへ振り返って、
「そこにい……」
ない。
いない。
そこで、先ほどまで一緒にいたはずの。
唯神天奈が、いない。
「……あ?」
どういうことだ。
瞬時に冷静な思考を取り戻した夜来は、ある一つの可能性にたどり着く。黒神フォリスとセットでいた、子供の存在。そう、確か、黒神リーナとかいうガキがいたはずだ。
いたはずだが、フォリス一人で現れた。
つまり、
「くそったれが!!」
フォリスは囮。奴との戦闘で夢中になっている間に、あのガキが唯神をさらっていったのだ。
ザクロも理解したようで、苦い顔をしている。
彼は、口を開いた。
「聞け。お前ら。すぐに伊吹たちと合流して鉈内を探し出すぞ。このままじゃ面倒くさいことになる」
「どういうことだ、あぁ!?」
「……覚悟して聞け。奴らの今回の目的はお前じゃない。奴らはーーー」
真実を知らされた夜来たちだが、もはや打つ手はない。モルモットと材料は、既に黒神一族の手の中にある。これまでの全ての戦いは、モルモットの彼を確実に捉えるための戦力分散。さらに、材料たる彼女もまた今さっき回収されていった。
完全な敗北であり、打つ手はない。
光が、闇に飲まれる。




