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親と子

 アジトへ着いた夜来初三は、雑にクルマを止めて後部座席の仲間に声をかける。

「さっさと下りろ。追っ手が来る」

 一番体力の有り余っている唯神が、雪白、世ノ華、七色たちを順番に肩を支えつつ外へ降りるように誘導する。山奥にひっそりと並び立つ小さな軍事施設がそこにはあった。かつて、『デーモン』に所属していた頃の夜来が何度も滞在していたアジトである。

 地に足を着けた、顔色の悪い七色。つい先ほど目を覚ましたばかりの彼女だが、覚醒一番の言葉はたいへん頼りになるものだった。

「夜来。状況を説明せい」

「その様でやる気満々とは、さすが最強の悪人祓いだな。だが、生憎できることはねえよ。そこのアジトの中でしばらく待機だ」

「……初三」

 ぞくり、と夜来の背筋が凍った。久々に聞いたからだ。本気で怒っている時の、七色夕那の冷たい声色を。これ以上の口答えや言い訳、ごまかしは絶対に許さないとする、親の意志。子供の夜来はそれに抗えない。

 七色は普段から、夜来を名字で、鉈内を名前で呼ぶ。これは差別や贔屓ではない。夜来には、自分に向けられる好意に対して、受容の限界値というものがあることを彼女は知っているからだ。夜来は直接的に親子としての愛情を向けられることに抵抗を持つ。対して、鉈内はどこまでもどこまでも七色の母親愛を素直に受け止める性格、性質の違いがあった。確かに、二人の生い立ちを考えれば、このような違いが現れることは納得いくものかもしれない。

 しかし、七色はそんな夜来を名前呼びすることが何度かある。それは、決まって夜来に激しい憤りを覚え、精神的に余裕のない時なのだ。

「な、なんだよ」

 機嫌を伺うように夜来は尋ねる。唯神も、雪白も、世ノ華も、ただならぬ雰囲気に息を止めていた。

 七色は答える。

「状況を説明せい。二度も言わせるな」

「……」

「お主、いい加減にせい。儂がどれだけ腸煮えくり返っているか、考えたことはないのかのう。気づけば自分の必死に守り通してきた子供が二人ともズタボロになって、勝手にどっか行って、挙げ句の果てには死ぬかもしれないとか言って、さらに挙げ句の果てには親代わりの儂にできることはないすっこんでろ、じゃと。ーーーちょっとだけ殺すぞ、貴様」

「……ひ、否定はできねえな。けどよ、俺はあんたに迷惑ーーー」

「助けさせてもくれんのか」

「あ……?」

 夜来の言い分を押しつぶしてきた。珍しく、七色は我を通そうとしている。それも、逆らうことなどできないほどの覇気を放って。

「お主たちにはうんざりじゃ。……特に貴様じゃ。あれだけの脅威に狙われている自分の子供を放っておけるわけないじゃろうが。境内での話、あれはなしじゃ。儂はお主のそばにおるぞ」

「はあ!? ふざけんな、だからそれは俺の精神の問題でーーー」

「ならば、遠くに儂たちが居れば、悪の浸食の程度に何か変化でもあるのかのう」

「ね、ねえけど……。だが、そばにいることで俺が暴れるリスクがーーー」

「儂が居らぬリスクの方が高いと判断したのじゃ。お主一人では危険すぎる言うておる」

「……だが」

「黙れ。初三」

「……くそったれが」

 大きな舌打ちをした夜来。あれだけ黒神名無に蹂躙されれば、七色の言い分に対して何も言い訳はできない。

 夜来の視界の端っこで、ガッツポーズしている雪白と世ノ華、小さく笑っている唯神の姿があった。腹の底からのぼってきた溜め息を吐いてから、彼はこれまでの状況をあらためて説明する。

(母は強し_ってか)

 ガシガシと頭を掻いた夜来は、俯いた。

 隠すように、少し笑って。

(……丸くなったもんだ。くそったれが)

 顔を上げれば、いつもの仏頂面が張り付いていた。 

 きっと、誰も夜来の胸の内を知る者は誰もいない。たった一人、自分のことのように嬉しそうに彼へ微笑む、雪白千蘭を除いて。




「ーーーってわけだ。質問どーぞ」

「あれが敵の総大将というわけじゃな。なるほどのう……」

 少しずつ機嫌が直ってきた七色に、夜来はいつものようにコミュニケーションを取る。

「で、俺ァこれから奴らを叩く。まずは大柴たちと合流、そんで敵を撃破だ。さらにパリ人もどきとも合流、んで敵を撃破。あの名無とかいう化け物以外の犬畜生を挽き肉に変えてやる。それでも俺と来るつもりか、説法でも唱えながらよ」

「良かろう。それに儂も付き合えばいいんじゃな」

「……おいおい。いつから仏道ってなあ殺し殺されラリラリパーティーに参加できるようになったんだ」

 夜来の反論に七色は顔色一つ変えなかった。

 じっと、据わった目で夜来のどす黒い瞳に焦点を当てている。まるで、その深い深淵からにげることは決してしない、とでも言うような様子である。

「……いろいろ考えた」

「何をだ」

「生き方というやつじゃ。儂は長い間、悪人祓いとして悪人と戦ってきた。祓ってきた。その中には、祓うことができず殺めてしまった者も数多く居る」

「で?」

「じゃから仏道に身を任せた。もう殺生に関わる仕事は御免じゃったからな。速水もまた、同様の理由で教師になった。この仕事はひたすらに人間の悪意と向き合う仕事じゃ。悪意という名の願い、意志、目的とな」

「……」

「じゃから、儂は目をそらした。お主からもな。お主のその深淵のような瞳を覗くことが、もうできなかった」

「深淵を覗くとき深淵もまた、って言うだろ。関わらないのが懸命さ。俺みたいになっちまうぜ、あんたも」

「その通りじゃ。儂は親代わりだというのに、子供の闇から目を背ける道を選んだ。悪人祓いという、悪人と向き合う仕事を辞めたということは、お主と向き合うこともやめたことと同義」

 俯く彼女に、誰も声をかけるものはいない。この場の誰もが、彼女の背負ってきた負担と苦しみを理解できないからだ。

 夜来も、雪白も、世ノ華も。

 七色が目を背けることを選んだ、悪人であったからだ。

 泣いていた。

 嗚咽を漏らして、涙を流して、彼女は泣いていた。

「じゃから、初三」

「……」

「お主の抱えているものを、遅いかもしれぬが、儂は受け入れたいのじゃ。それがどれだけ禍々しくても、血塗れでも、それがお主ならば儂は逃げとうない」

「……」

 夜来は冷たい声で言った。

 どこか突き放すように、無表情に言った。

「俺は全員殺すぞ。一番苦しむ殺し方で、女も男もみーんな殺す」

「……」

「それが楽しいんだ。生きがいなんだ。自分が悪人だって、悪魔だって、怪物だって思えば思うほどに俺のアイデンティティが確立される。俺は俺を意識できる。これまでのくそったれな人生に納得がいくんだ。あんたがしばらく見ない間に、俺は随分な化け物になった。あんたが鉈内を構っている間に、俺はすくすくと立派な悪党になったんだ」

 震えていた。声が。

 夜来の声が。か弱くなっていった。

「……初三」

 七色は目を丸くした。

 いや、世ノ華も、唯神も、呆気にとられた顔で夜来を見つめている。ただし、やはり雪白だけは、先ほどと同じように温かい微笑みを浮かべていた。

 彼女には、きっと、わかるのだ。

 彼が。

「あんたは、いつもいつも、鉈内ばっかだった」

 根っこは、本当に子供で。

「あいつは、いいさ。あいつは生まれた時から、あんたに構ってもらえてたんだからな。そりゃあ波長が合うだろうよ。俺なんかより優しくて強くて、綺麗な人間になるだろうよ!!」

 生き方なんて変えられない。

 けれど、それでも、夢見ることがあって。

「俺ァどうだ!! 俺はあんたのガキじゃねえ!! 居場所を失ってたまたま拾ってもらったどぶ犬だろうが!! あんたみたいな人間と馬が合うわけねえだろうがよ!! 俺が気を使うわけねえ。あんたから気を使ってくるんだもんなあ!! ……必死に気を使って、俺を受け入れようとして、必死に必死に俺を自分の子供のように可愛がろうとしてたもんなあ!! 無理に決まってんだろうが、てめえとチャラ男だけの世界に俺が入る? 場違いにも程があんだよ畜生が!! いいんだよ、今まで通り俺とは一線引いとけよ、見たくねえもんは見ねえでいいじゃねえかよ!! それを、なにを今更!!」

 何度、願ったのだろうか。

 あの温かさを、心から、分かち合いたいと。

「ふざけんじゃねえ!! 俺は悪人だ!! クソヤロウの一匹だ!! そんな薄汚い俺に、今更なに改まって母親面しようってんだよ!! それ以上何か言ったら、ぶっ殺すぞ……!! 俺は、おれは……!!」 

「いい加減にしろ、初三」

 トン、と雪白に後ろから肩を押された。

 前に出た。振り返る。彼女は仕方なそうに笑っている。

「初三。七色さんは、素直に自分と向き合って言葉にした。お前も誠意に答えるべきだ。違うか」

 彼は顔を下に向け、黙りを決め込んだ。

 ますます、雪白は笑っていた。

「感謝、してるんだろう。だったら、答えるべきだ」

「……ふざけんな」

 ポツリと漏れた気持ち。

 それは、あまりにシンプルなものだった。

 彼は七色に近寄って、膝を地について、その小さな体を精一杯抱きしめた。

 一筋の涙が、頬を伝っていく。

 彼は口に広がるしょっぱさに、ようやく諦めがついた。

「……じゅう、ぶんなんだ……」

 耳元で響きはじめた、子供としての偽りない言葉。七色は歯を食いしばって、最後にいつ抱きしめたかも分からない、大きく寂しい背中に腕を回す。

「必死に、俺を受け入れようとして、くれた……。十分なんだよ、もう……。もう……あんたは、もう、たくさん俺に与えてくれたじゃねえか……これ以上を望んだら、俺は本当に弱くなる……ガキになっちまうんだよ……だから、やめてくれ……」

「ガキになれば良い。儂も、ようやく、お主の母親になれるんじゃ。お主の生き方を、背負っているものを、一緒に背負う。今まで、お主を助けてやれず、すまなかった」

 彼は何も言わない。

 言えないのだろう。感情が、氾濫している。言葉にできないほどの勢いと量の感情が、喉から唸るような音を漏らすだけで、はっきりと形にならない。雨に濡れ、一人弱りながらも、プライド高い猛犬のようだった。

「仏道か。もはや儂には必要あるまい。残りの余生、お主を理解し、お主の生き方を共に考えゆくために使おう」

 七色はようやく笑った。

 幸せそうに、頭を撫でてやっている。まるで、救われたのが七色自身のように思えるほど、彼女の泣き顔は美しい。

 胸の内で泣き咽ぶ彼を、ようやくその手であやすことができたのだ。

 ならば、仕方がない。

「初三。お主は儂が守る。……この命に代えても、絶対に」

 幸せそうでも、それはもう、仕方がない。





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