黒神一族の目的
武神速水には混沌の黒神アルフェレン。大柴、伊吹には饕餮の黒神フェンリ。鉈内翔縁と白神円山には梼杌の黒神ロイリー。
そして、同日同時刻。
夜来に運転を任せ、先にアジトへ向かわせたザクロは、たった一人で窮奇の黒神フォリスと対峙していた。
辺りを囲む鬱蒼とした木々がざわつき始める。
殺気が、膨張していた。
「待ち伏せてくるとは思っていたが、まあいい。一応聞こう。何か用か」
「そのお洒落なハット帽は赤く染め上げたほうがお似合いになるかと思いましてね」
「わざわざ塗料になってくれるのか。ありがたいことだ」
目深にハット帽をかぶり直したザクロに対して、フォリスは肩をすくめて小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
今すぐにでも血飛沫が飛び散ってもおかしくはない緊張感が広がっていく。じわじわと。這うようにして、殺意が森の中をどす黒く染め上げていく。
さあ、どちらが武器を手に取るか。
そんな一触即発の中、ザクロが武器ではなく言葉を投げつけた。
「夜来の戦力、つまりエンジェルとデーモン。鉈内の戦力、つまり悪人祓いたち。貴様等の敵はようするにこれらだ。必死に夜来と鉈内の行動を妨害しているようだが、一体なにが目的だ」
「悪人祓い側にも我々が手を回しているところまでは合っていますが、ふむ、妨害というのは少し違う」
「なに」
「これは誘導です」
「……」
誘導。突然の黒神一族の襲来によって、夜来も鉈内も避難すべきところへ避難する他ない。言い換えれば、夜来をデーモンのアジトへ避難せざるを得ない状況に送り込むというのが目的だったということか。
いや、しかし、ならば鉈内たちはどうなる。鉈内たち光の世界の悪人祓いたちをも襲撃したのなら、その意味は何だ。夜来を誘導するために邪魔をされぬよう用心したということか。
……何だ。何か引っかかる。
鉈内のもとへ白神一族の白神円山が訪れ、現在は白神一族の総本山へ向かっていることは夜来からも部下の情報からも分かっている。鉈内を白神一族のもとへ誘導することがこいつら黒神一族の目的と考えるのはもちろんおかしな話だ。奴らが欲しいのは夜来だ。鉈内は白神一族の血を引く以上、さっさと殺してしまってもいいくらいである。
「……誰を、誘導したんだ」
「さあ。ただ、今回は夜来初三が狙いではありません」
「……まさか」
夜来を誘導したのではない。
ザクロは理解してしまった。唯神天奈をフォリスから助けたザクロだからこそ、今回の黒神一族の襲撃の目的を導き出せてしまった。
唯神天奈は悪を宿している。数多の殺戮を犯した果てに得た憎悪の力を保存している。彼女の中からそれを取り出せば、もう一人、悪〈クロス〉を有する悪人を作り上げることができる。
夜来初三、桜神雅、四凶悪神に続く、もう一体の怪物が出来上がる。
その被検者に、彼が選ばれたのだ。
サタンをその身に一時的に宿すこともでき、かつ白神一族にとっての希望の光たる、およそ悪とは無縁のところに輝く彼が。
「鉈内を取り込むつもりか」
「彼はきっと、いい怪物になりますよ」
残酷に口を引き裂いて笑うフォリス。身振り手振りを加えながら饒舌に語り始める。
「善意に満ちた彼が悪意の力を手に入れた時、きっと予想外の結果が訪れる。怪物には夜来くんのように悪意をエサに生きてきたものだけがなるわけではない。善意をエサに生きてきた神が堕天したとき、きっと魔王に生まれ変わる。怪物とは、悪意からだけじゃなく、むしろ善意から反転して生まれうる。善意と悪意の境界線など存在しない。善意は悪意に、悪意は善意にコロコロ変わる。だからこそ、彼は大悪魔サタンをその身に宿しても拒絶反応など起こらずに使役できた。サタンが、彼という善人を一流の悪人として受け入れられたからです」
善人と悪人の違いなどない。
善は悪として、悪は善としての要素を備えている。善も悪も、同じ材料で同じように建てられる。ただ、見る時間帯、視点、あらゆる状況の影響によって、白塗りの豪華絢爛な豪邸が闇夜に佇む恐ろしい廃墟に見えることと同じ。
つまり、鉈内翔縁には……。
「悪意を司る才能がある。夜来初三とは違う、全く別の悪意に染まる才能が」
「……白神円山は、そういうことか」
「ええ」
「……くそったれが」
ザクロは飛び出す。
一刻も早く、こいつを殺して鉈内翔縁と唯神天奈を保護しなくてはならない。
「はーい。そこまで」
ガシッ!! と、ロイリーの一撃を間に割って入ってきた円山が片手でつかみ止める。後ろに後退した鉈内は、円山に助けられたと安堵すると共に、妙な違和感に息を止める。
なぜ、今になって、ようやく助けた。
そこまで、という言葉がやけに軽々しい。なんだか、そう、黒神ロイリーに対して敵意が全く感じられないのだ。
違和感の正体を突き止める前に、勝手に答えが示される。
「ロイリー。やりすぎ。ハイになるのは勝手だがそれで死んだらどうするわけ」
「……年甲斐もなくはしゃいでしまった。面目ありません」
「お前、年長者のくせにちょーガキだよな」
ため息を吐いた円山は、鉈内に気さくな笑みを浮かべて振り返った。
片手をあげて軽い調子で謝り、
「いやあ、すまんな鉈内くん。いろいろと」
「……どっからだ」
「全部だな」
咳払いをして、警戒心をむき出しにしている鉈内に改めて自己紹介をする。
「黒神円山。鉈内くん。君を黒神一族に引き入れるためにやってきた、悪い人さ」
……おかしな話だ。これは非常に納得のいかない話である。なぜなら、もしも円山が本当に黒神一族の末裔ならば……。
ちらり、と手にしている悪斬に視線を落とす。
抜刀とともに、ロイリーに対して働いた悪斬の宿す黒神一族に対する『憎悪の力』が円山にも向けられて当然だったはずだ。
だから、鉈内はこう結論づける。
「白神一族の血を引きつつ、黒神一族のスパイとして活動してる、って感じかな」
「そーゆーこと」
「なぜこの刀を僕に渡した。意味不明すぎて草生える」
「お前さんにその刀を渡す命令は守らないと、白神一族から怪しまれるだろう。いいか青年、想像力だ。鉈内に刀を渡して白神一族まで合流しようとしたところで黒神一族による襲撃。君は連れ去られ、俺はなんとか逃げ延びてその旨を白神一族頭首、君のお父上へ報告するってな」
「なぜ僕をさらう。なぜやっくんじゃない」
「……夜来初三と同じくらいの価値が君にはある。悪意と善意の行き過ぎた狂気、それぞれを持つのが夜来初三と鉈内翔縁、君たちだ。善意のヒーロー、聞くが『悪人』とはなんだ。君の信念を善とすれば、夜来をはじめとする数多の悪人たちの信念は悪か。なあ、ならば君と彼らの違いは何だ。その信念の違いはなんだよ。皆、それぞれの信念、意志に向かって生きている。善人と悪人だなんて区別は無関係の第三者が勝手に張ったラベルに過ぎない。本質は同じだ」
真剣な眼差しで語る円山の瞳には、彼にもまた彼なりの信念と意志の炎が灯っている。
「だが、善ってのはたちが悪い。持ち上げられるんだ。悪よりも上で価値があると思い込まれてる。それが決定的に許せない。善人、ヒーロー、正義っていう玉座にふんぞり返るような、ひたすら肯定されて甘やかされるような概念には反吐が出る。───善の方が悪よりも、そういう意味で、狂気においては上にある」
「そんな狂った善人の僕を連れ帰っていたぶろうっての?」
「違う。その狂気を有効活用しようって話さ」
「黙って従うかよ。ゴミ野郎」
「んー。わっかんないかなあ」
ズン、と下腹部に靴底がめり込んできた。速い。ロイリーとの激闘で体力的に不利であったにせよ、勝ち目などない、逃げられる可能性などない現実を、のど奥からせり上がってきた血と昼飯が教えてくれる。
吐いた。
一発の前蹴りで撃沈する。
うまく息のできなくなった鉈内を見下ろし、円山は口の端を釣り上げて、
「鉈内翔縁。お前に『悪意』を注いでやる」




