知恵ある狂犬
レイピアの先が黒神名無の腕を貫いている。
状況はこの後どのように変化するのか。アルスと上岡がそんなことを考えた刹那、フラン・シャルエルの小さな体がふっと消えた。
「初めてだぜェ、私と対等にやれそォな怪物ってなァよォ」
「っ」
辺りを見渡せば、そこら中の木々に無数の御札が張り付けられている。悪魔でも召喚する気か。いいや、既に悪魔と大差のないフラン・シャルエルがそのような術に頼ることはない。では、これは一体なんだ。さすがの名無も見当がつかないのか、アクションは何も起こせずにいる。
そこで。
今度ははっきりと、頭上から声が響いた。
「踊れ、仮面に似合う舞踏会だ」
御札が発光し、全てがフラン・シャルエルの武器・レイピアへ変化する。あたり一帯の木々にレイピアが無数に刺さっており、異常な戦場を作り出したフランが頭上から襲い掛かった。持っているレイピアを名無の右肩に突き刺し、刺さったレイピアを足場に一気に跳躍する。即座に近場の木々へ飛び移った彼女は、新しいレイピアを掴んですぐさま名無に接近する。
「なんだね。君は」
名無も反撃を開始する。接近してきたフランを蹴り飛ばそうと、強烈な回し蹴りを振るう。しかし、避けた。あっさりと、別に何か特別な力でも使わずに、ただの反射神経だけで名無の蹴りを回避してみせた。さらに懐へ飛び込みレイピアを突き刺す。串刺しになった名無にどんどん追い打ちをかける。あたりのレイピアを取っては突き刺し取っては突き刺す。名無の攻撃は全て『単純に回避する』ことでしのいでいる。
何だ、これは。
あの名無の攻撃を、小さな子供のような女がひょいひょい避けて遊んでいるようにさえ見れる。
「しつこいな。『飛べ』」
ついに名無は言霊を発動させた。
フランは言葉通りに吹き飛び、大木に背中を打ち付ける。が、同時にすぐそばに突き刺さっていたレイピアを抜いて名無の腹部に投擲した。何本目か分からないレイピアが埋め込まれる。そして、気づけばフランの体が消えていた。一瞬の間に名無の懐へ移動し、その手には再びレイピアを持っている。再び突き刺す。ただただ、身体能力と根性のみで名無を徹底的に追い詰めていく。
「『飛べ』」
「っ!」
再びフランは吹き飛ばされる。しかし、レイピアを地上へ突き刺してそれを回避し、一気に跳躍して名無の眼前へ迫った。
「『と―――』」
「ちったァ黙れコラァ!!」
ゴガン!! と、強烈な頭突きが仮面にひびを与えた。その小さな額からは血が流れ落ちるが、それでも獰猛に口を引き裂いてフランは笑う。
ヒュン!! と持っていたレイピアを投げつける。
名無はそれを鬱陶しそうに手で叩き落す。しかし、叩き落されたレイピアが宙に舞うのを即座にフランがキャッチし、再び投擲する。ズン!! と、今度こそ名無の体を射抜いた。
フランはようやくそこで攻撃の手を止め、
「『十字呪縛』」
「……ほう」
名無はようやくはめられたことに気付いた。フランはただレイピアを名無に突き刺していたのではない。よく見れば、必ずレイピアは十字を作るようにして縦横均等な個所から突き刺さっている。
名無の体を十字に通っているレイピアは数十本。
「これはこれは。強力な術だね。体が重いよ」
すべてが発光し、名無の体を緊縛した。身動きが取れない。あの名無を一時的にでも押さえつけるとは、さすがは悪人祓いと言える。だが、上岡やアルスは気づいている。こんなもの、名無が一言『砕けろ』とでも言えば無意味になってしまうということを。
だが。
「『転移』!!」
名無が『口を開く前に』フランが叫んだ。すると、『十字呪縛』という拘束術の本領が発揮される。
消えたのだ。
すっと、煙が晴れるように。
黒神名無の姿が一瞬で消失した。
この街に襲い掛かってきた災厄を、いとも簡単にフランは撃退してしまった、ということである。
「……どういうことですか。倒したわけでは、ないですよね」
上岡が疑問の声を漏らす。
対して、額から流れてくる血を腕で拭いながらフランは言葉を返した。
「当たり前だろォが。あんな化け物に勝ち目なんざハナからねェよ。言ったろう、『転移』させただけだ。あらかじめ遠くに札を張り付けておいて、そこにテレポートさせることができる。それがさっきの『十字呪縛』だ。応急処置だよ、くそったれ」
「……礼は言わんぞ、『最凶』。俺様は奴を殺す気だったんだ」
「はっ。羽をむしられ片目も失った天使に何ができんだよ」
アルスに対してさえ臆さず挑発さえするフランは、やはり最凶と言わざるを得ない実力者だった。上岡とアルスが束になっても防戦を強いられた黒神名無。その化け物を、たった一人で確かに撃退できたのだ、この悪人祓いは。
初めから倒すつもりではなく、撃退するつもりで戦いを挑んだ。
フラン・シャルエルは強い。しかし、それでも敵を見て的確な判断の下で戦いを展開できる賢さも持っている。彼女はただの狂犬ではない。狂犬程度では悪人祓い最凶とは言われないのだ。
強い。
敵に回せば危険な悪人祓いだったと、上岡は密かに思った。
「さて。てめえらからいろいろと聞かせてもらおうじゃねえか。あぁ?」
「あー、はは。いやいや、僕らこれでも悪人と怪物ですし、悪人祓いの方とは正直相性最悪っていうか」
「別に取って食ったりはしねェよ。ちっと協力してくれって言ってんだ。知ってることを全部話せ」
「……んー。多分、すぐにそっちも黒神一族のことは分かってくると思いますよ。鉈内さんなどから」
「あの坊主から?」
そう。わざわざ上岡やアルスが説明するまでもない。いずれこの世界中が奴の脅威にさらされる。世界中の悪人祓いが史上最大の恐怖に立ち向かわねばならなくなる。
だから、付き合う義理はない。
そもそも彼らは闇の生き物。彼らが協力するべき者は、せいぜいあの悪魔の青年だけである。
「じゃ、さようなら。お強い悪人祓いさん」
「……二度と邪魔をするな」
上岡とアルスがその場を後にする。
その背中をフランは追うことはしなかった。鉈内から事情の全貌は分かる。いいや、いずれ自然と先ほどの仮面の化け物については、嫌でも知らざるを得なくなるということを肌で分かってしまったのだ。
だから、フランは唇に垂れてきた血をペロリと舐めて一言。
獰猛に口を引き裂いて笑って、
「あは。上等じゃねェか」
彼女はただの狂犬ではないが、それでも、確かに一匹の狂犬ではある。
一人ではどうにもできない脅威を前に、負けなしの狂犬は牙をむき出しにして涎を垂らしていた。
アルス、上岡による足止めのおかげでフランちゃん登場。頼れる狂犬のおかげで何とか名無を撃退できました。ようやく一安心ですね。




