狙われの御姫様
「あぁ? おいおい、The軽挙妄動じゃねえか刀女。てめえが俺の魔力を無視できることはよーく分かったぜ。大したもんだよ。立派なもんだよ。手ぇ叩いて絶賛してやる」
絶対破壊の通じない難敵。
サタンの魔力を存分に振るうことを許さない稀有な敵。
「けどよお」
しかし、夜来初三は動じない。興味がない。関心がない。なぜなら、これまでの戦いの中で破壊の魔力という矛を跳ね返すことのできる盾を持った強敵と何度も激突し、魔力というアドバンテージなしに勝利を勝ち取ってきたからだ。
今更の話じゃないか。
「だからって、テメエが俺様に勝てる道理なんざねえことにゃ変わりはねェだろうがよォ……!!」
凶狼組織。
デーモン。
エンジェル。
これまでの組織との戦の中で、いくらサタンという絶対の怪物を身に宿していても、決してサタンに頼りきりでは通用しない壁があるという現実を嫌というほどに味わってきた。
ならば、黒神一族との戦争の中において、そういう壁が現れてもなんら不思議ではない。
つまり、特に関心すべきことではないのだ。
「サタンの力を抜きに、貴様が『四凶』の私とやり合うと?」
「お前が誰かなんざ興味ねえ。俺は唯神天奈をさらうだけだ」
「奇遇だな。私もだ」
「……はは。奇遇?」
夜来初三の髪が真っ赤に変色していく。鮮血で染め上げたような深紅の髪色は、サタンに染まった時の銀髪とは異なる、別種の威圧感を醸し出す。
目が鋭くなる。
殺しを躊躇わない、冷酷無比の男へ染まったのだ。
「違うな。てめえは不遇だ」
ドッッッッ!! と、激しい風圧を撒き散らしながら背中から土色の翼が産声を上げた。めきめきと生きているかのようにして蠢く両翼の先端は槍を意識しているのか鋭利に尖っている。
ウロボロスの翼。
こいつの脅威を夜来は嫌というほどに知っている。だからこそ、ここで使うのだ。
「ウロボロスは神として崇められている怪物だ。もちろん、『魔』って括りにゃ入れられねえよなあ」
「……なるほど。確かに」
「まあ、こいつを使う奴ァ決まってクソ野郎みてぇだがなあ!!」
風を切る音、とでも言うべきだろうか。
刹那。ウロボロスの翼は廊下の上と下のコンクリートを容赦なく粉々に削り取りながら獲物めがけて刺突した。それは本当に一瞬だった。気づけば爆音と粉煙が廊下一体を包み込み、びしゃっと血しぶきが壁に飛びかかっていた。
女は刀を抜いている。
両翼が途中から切断されていた。しかし、夜来は引き裂くようにして笑う。その瞬間、切断面から一気に細胞分裂が始まりあっという間に翼が元の姿を取り戻す。
この時間、一秒足らず。
不死を司りしウロボロスの力、すなわち超速再生である。
翼が即座にフェンリを叩き飛ばす。彼女の左の脇腹から枝がしなるような音が響く。めきめきめき、と筋肉と骨が翼によって十分に圧迫されている証拠の音色が奏でられたのだ。さらに、その力のベクトルはフェンリの細い体を易々とマンションの駐車場へ吹き飛ばした。
ゴガツ!! ッガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!
全身をコンクリートの地面に叩きつけ、駐車してあった乗用車の群れに激突しつつも吹き飛んでいく。さすがにウロボロスの再生速度を見誤っていたようだ。彼女からすれば、向かってきた翼を切り捨てたと同時に不意を突かれていきなり外へ叩き出されたようなもの。きっと少しは混乱しているに違いない。
今の騒ぎで大柴やザクロ、伊吹も戦闘が始まっていることを理解したはずだ。案の定、下を覗くとワンボックスから三人が飛び出してきた。
上を見上げてきた大柴と目が合う。夜来は親指と人差し指だけを立てて鉄砲のような形を作る。これはかつて『デーモン』に所属していた際に使っていた『交代』の合図だ。大柴は夜来の意図を汲み、伊吹を連れて吹き飛ばされたフェンリの元へ向かっていく。ザクロはどうやら万が一の運転手として車内に残ったようだ。
さて。
あの女はきちんと家の中で大人しくしているのだろうか。
夜来は嫌な汗をかいている自分に気が付く。そうだ。いつもこうだった気がする。大切な者を守るために行動するも遅く、敵に先手を取られてしまっているパターン。雪白がアルスの手で体内に毒を仕込まれた時もそうだった。もっと早く助けていれば、もっと早く動いていれば、もっと敵よりも上手に行動できれば、もっと強く賢くあれば……。
いるのだろうか。
彼女は、ここで、我が家で、きちんと、自分の帰りを、待ってくれているのだろうか……。
恐怖心の底に足を深くつけてしまった夜来。だからなのか、彼は目の前の玄関の扉が小さく開いたことに気づいていなかった。そして、ようやく声を耳にして我を取り戻す。
「……遅い」
見れば、外を警戒するように顔を出す唯神がいた。
ああ、と言葉を返す。ほっと息を吐く。夜来の抱く全ての不安は、そのため息一つで空に消えていった。
「うっせえな。これでも頑張ったんだよ」
「心配した」
「そりゃこっちのセリフだ。ったく、今度はお前が狙われの御姫様ってか。雪白といいお前といい、俺の周りの奴はどうしてそう面倒くせえ連中に狙われやすいのやら」
「そんなの決まってる」
唯神はぽつりと言った。
自身の中に埋まっている何百という人間の魂。プリンセススター号襲撃テロ事件において、生き残りにその他の死者の怨念を宿す呪術、つまり『蟲毒』が黒神一族によって実行され、またその怨念を背負ってしまった生き残りが自分であるということを、彼女はやはり理解していたのだ。
唯神天奈の中に埋まっている怨念を用いれば、『悪』を作り出すことは非常に手っ取り早くなる。黒神一族は新たな『悪』を作り戦力増強を図ろうと唯神を狙っている。
ここまでのことは、賢い彼女ならば容易に理解できることだ。
言うまでもない。不安だろう、きっと。夜来は視線を落として歯噛みする。
と、そんな夜来の心境を知ってか知らずか、唯神は大変深刻そうな顔で呟いた。
「連中は私が美少女だから狙っている。私は魔性の女」
「……」
「ぐえ」
相手が女子だろうとお構いなく思いっきり胸倉を掴み上げてやった。蛙の鳴き声みたいな悲鳴を上げた唯神に、夜来の鋭い目が「今度冗談言ったらぶん殴る」と語っている。
額に青筋を立てながら、夜来は微笑む。
「唯神」
「う、のど、し、締まってるちょっと痛いうぐぐぐぐぐぐぐ」
無慈悲な夜来は笑う。
空気を読まない唯神は呻く。
「俺はお前を死なせねえ。絶対に助ける。俺たちはかけがえのない家族だろう。なあ」
「うぐ、ぐぐっ、そ、その家族に、っぐ、いま、こ、殺され、っぐぅぐぐぐぐぐぐぐぐ死ぬ死ぬ死ぬ」
「だから俺に真実を話してくれ。じゃねえとぶっ殺すから」
「む、矛盾してっ、うっぐぐぐぐぐぐ痛い死ぬ死ぬ足が浮いてきてるぐぐぐぐぐぐぐ」
夜来は本気で唯神を睨む。
すると、さすがにおふざけが過ぎたことを認めるようで、唯神は少し申し訳ないような表情で、
「わ、分かった話す。おふざけ禁止。誓う」
「……ったく」
夜来は先ほどとはまったく意味の異なるため息を吐く。
解放された唯神は襟元を正しながら、
「女の子にはおっぱいがある。胸倉掴み上げちゃだめ」
「ねえじゃん。お前男だったの?」
「……ぐすん」
「さっき泣けやこらあああああああ!! なんで感動の再会でふざけてくだらねえ乳トークで涙流してんだなめてんのかてめええええええ!!」
夜来の怒声が返ってくると、唯神はくすりと笑った。いいや、それだけじゃない。笑い声が徐々に漏れ出てくる。堤防が決壊するように、それは勢いを増していき、やがて爆発する。
けらけらと、楽しそうに笑う。
彼女にしては珍しく、表情を完全に崩して笑っていた。いつもの感情の読めない能面のような顔つきの影などない。ひたすら、楽しそうに腹を抱えて笑う。さすがに夜来も驚いて固まる。こいつはこんなに笑う奴だったか、そう思っているのだろう。
そんな彼の心境を察して、彼女は言った。
「あはは。と、いうのは冗談。もう十分楽しんだ」
「十分ってなんだおい。っつーか、お前ってそんな表情豊かだったか」
「さあ。まあ、笑っても仕方ないよ。死んだと思ったら帰ってきてくれて、いつもみたいにこうして話せてる。それだけで笑うには十分じゃないかな」
「……」
「私は楽しい。初三」
「……そりゃどーも」
目をそらし、不愛想に言葉を返す夜来。
それを見て唯神はさらに笑う。
「ふふ。ツンデレ健在」
「デレてねえ。こりゃツンだバカ」
ふいっと横を向く夜来を見て、唯神は微笑む。彼女のふざけだした理由を理解した夜来は、もう怒る気にもなれず、彼女の手を取って廊下を歩き出した。彼女と会えなかった分の時間を取り戻すのは後回しだ。まずは安全な場所へ移動する。そのためにはさっさとここから退散すべきだ。
唯神を抱きしめて一気に下の駐車場まで飛び降りる。
すぐさまワンボックスの中に唯神を押し込み、助手席に乗り込んで待機していたザクロに告げる。
「おいパリ人。こいつら連れてアジト02に行け。昔俺たちがドンパチやったとこだ」
「………『デーモン』の元隠れ家の一つか。なるほど、ましな逃げ場ではある」
「俺はあいつらの応援に―――」
「必要ない。貴様は私と来いとのことだ」
ザクロの言葉に眉をひそめた夜来は尋ねる。
「小悪党がそう言ったのか」
「大柴だったか。そうだ。貴様と私で後ろの女共を運べとのことだ。連中の狙いは、そこの唯神天奈。その女をとにかく手の届かないところまで運ぶことが最優先事項な以上、お前はついてこい。いざという時は強い力が必要だ」
「だが、あいつらだけでどうにかなる相手じゃねえぞ、あのフェンリって女」
「夜来」
ザクロは目深にハット帽を被り、
「伊吹を見くびるな。あいつはお前が思っている以上に強い。それに、あの大柴という男もまた、我々『エンジェル』との激戦をくぐりぬけるだけの実力を持っていることは私も知っている。お前や豹栄真介、上岡真のスピードについていくことのできる男だと『エンジェル』に情報はきていたさ」
「……」
一人で何でもこなせるわけじゃない。使える奴は使う。自分のすべきことは、そう、唯神天奈たちの安全の確保だ。
「任せるには、十分な奴らだと思うが」
「……車ァ出せ」




