『饕餮』の黒神フェンリ
がたがたと揺れるワンボックスで人気のない街中を徘徊する夜来一行。目的は唯神天奈の捜索だった。ザクロの話によれば、白神一族の者に彼女が襲われたところを助けてやったとのことなので、街中を逃亡中ないし仲間に助けを求めているはずだ。彼女がピンチに頼る仲間と考えると、自意識過剰かもしれないが自分しかいまい。夜来は運転手の伊吹に自宅のマンションへ向かえと指示を送る。
「で、ようやくお前についてとっくり聞かせてもらえそうなわけだが」
未だに眠りから覚めない雪白、世ノ華、七色を一瞥すると、夜来は夜叉夢に視線を向けた。彼女は薄い笑みを浮かべたまま言葉を返す。
「式神です。ご存じの通り」
「どうかね。式神や護法は、言っちまえばコントロールできる怪物ってことに過ぎねえ。一歩間違えれば、そりゃただの化け物だ。七色からの式神とはいえ、いろいろ話さねえと信用はできない」
「警戒心を誰に対しても向ける姿勢はいい。一切の甘さを捨て弱さを完璧に克服したようですね、夜来くん」
「知った風な口を」
鼻で笑った夜来だが、夜叉夢は違う。まったく表情を変化させない。余裕を感じさせる微笑みを浮かべ続けている。
なぜだろう。
夜来はこの式神を、どこか慣れ親しんだ相手として感じている自分に気がついた。初対面だというのに、なぜか、そうではないと確信めいたものがあるのだ。
「まあ、無理に話せとは言わねえよ。信用してねえとは言ったが、雪白たちのことを見てもらっている以上は、無害だとは認めているからな」
七色が自分に授けた式神だ。詳しいことは七色が起きたら聞けばいい。わざわざ本人に詰問する必要もあるまい。夜来はそう踏んで、窓の外を見やる。
しばらくして、ワンボックスの揺れが収まった。夜来のマンションに到着したのだ。ザクロの人払いのせいで誰も見ている者はいない。夜来は車から降りるやいなや、一気に自室の前まで跳躍していく。
ドアには鍵がかかっていなかった。
(どっちだ)
唯神天奈が帰ってきているのか。または、その帰宅中を襲撃されて連れ去られたか。
ポーン。
廊下の奥、エレベーターの到着音がした。妙だ。ザクロの人払いで一般人はこの街から離散しているはず。
ならば、誰だ。
唯神天奈? ありえない。この非常時に呑気にエレベーターを使うはずがない。密閉空間にいることの危険性も彼女ならば容易に推理できる。
ならば、一体、誰だ。
「……夜来か」
廊下からやってくるのは、長い黒髪を後ろで一本に結った目つきの悪い女だ。夜来はその目つきに見覚えがある。それは自分の目で、デーモンの目で、エンジェルの目で、そして悪人の目であるからだ。
同族か。
しかし、今回は明らかに敵方だと見て間違いない。全長二メートルはある日本刀を携えている所からそう考える。
「名乗れ、刀女」
「『饕餮』の黒神フェンリ」
「……あ? とうてつ?」
「知る必要はない。私は唯神天奈を連れて行くだけだからな」
夜来の横にあるドアの中には唯神がいる可能性がある。行かせるわけにはいかない。それに、大太刀の奴では廊下での戦闘は不利だと言える。
夜来には相手を殺さない理由がない。
だから、面倒くさいから、この場で殺してしまおう。
「鮮やかに散らせてやるよ、女」
魔力を薄く纏う。いつもの手で行こう。こっちが向こうに触れて魔力の効果で人間花火の完成だ。
夜来は腰を屈めて勢いよく飛び出す。
一瞬で間合いを詰めた彼の拳が女の顔に直撃する。
「やめておけ」
「……あ?」
腕が落ちた。
ボトリと、夜来は眉をひそめて自分の転がっている腕を見る。切られたのだ。あの一瞬で。いや、確かに剣術のレベルにも驚いたのだが、問題はそこじゃない。
絶対破壊をすり抜けた。
この一点が問題なのだ。
「たまーにいるんだよな。テメエみたいのがさ」
「……」
「なにしやがった」
「何もしてなどいない。お前では相性が悪いだけだ」
「相性?」
フェンリは面倒くさそうにため息を吐く。
「お前より鉈内翔縁の方が、まだ私に勝算があったろうに」
「……なにがいいたい」
「相性さ。『饕餮』には『魔除け』の力があると古来より言い伝えられてきた。『餮』という字は食べ物を貪るという意だ。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになったそうだ」
つまり、そう言ってフェンリは異常に長い日本刀を抜く。夜来が黙って道を譲らないことを理解し撃退するつもりなのだ。
泥沼のように暗い瞳で、夜来を見つめて、
「魔を司るお前では、話にならないということだ」




