善人が行く
両親へ会いに行く。
長旅の備えを終えた鉈内は、大きなリュックサックを背負って玄関を出る。夕方。冬の真っ只中。いつものパーカーではさすがに寒いため、今は革ジャンを着用していた。吐いた息は夕焼け空へ昇り、やがて霧散する。そのはかない光景に目を奪われていた鉈内の背中に、七色の小さな手が振り下ろされた。
「痛い! 夕那さんの手は面積ないから地味に痛い!」
「喧嘩を売っとるのか。ぼーっと放心していたから活を入れてやったんじゃ」
「……ああ。かっこつけたけど実は不安なの、分かるんだ」
「親じゃからなあ。嫌でも分かる」
鉈内は自分の倍くらい小さな手を見つめる。その手はついさっき背中に触れた。だから、その小ささが今の鉈内にはさらによく分かっている。
背中に残る、握り拳ほどのサイズの痛みを感じながら、彼は言った。
「僕はかっこつけだ。お人好しだ、正義の味方を気取ってる」
「知っとる。悪を憎み嫌うのが、お主の美点じゃ。その根っからの正義感を見込んで、悪人と戦う儂の仕事を推薦した」
「感謝してるよ、本当に。だけど、今までは自分の正義に不安があったんだ」
鉈内は真っ直ぐに、七色の目を捉える。
「正義ってのが単純にかっこいい、それだけでいた。そもそも僕にとっての正義ってのは何なのか、正義の価値は、意味は、それにこだわる理由は何なのか」
「それで、答えは見つかったのか」
七色は穏やかに微笑んで、促した。鉈内の顔に曇りはない。今の鉈内翔縁は、揺らぐことのない正義の体現者なのだから。
「夜来初三を救いたい」
「……」
「僕は万人を助けたい愚か者だ。正義の味方だ。けど、根底にあるのはどうしようもない願いなんだよ。あの馬鹿を、悪の信仰者を、納得させたい。この世にも美しい正義があって、それはあいつっていう悪を、最強の悪人を超えるほどの力を持つんだと。万人を救う正義を嘲笑うあいつを、僕は絶対に倒したい。だから、今もビビっているけどやってみせる。弱音を吐くけど、戦い抜くさ。もう、ただの弱者じゃない」
「典型的な正義を、善を体現し、あの夜来を納得させる。そして、正義を認めさせて、夜来の悪だけに頼る冷酷無比な心を変えると」
「そうだ」
「……生まれた時から悪意に走る以外の道を知らなかった奴に、果たしてお主の善意はどれほど届くのか」
「僕はあいつを救うために、世界を救う戦いに行く」
「……そうか」
その時、玄関から円山と世ノ華が現れた。二人は鉈内と七色のもとへ近づいてくる。
「準備はいいな。鉈内くん」
「はい。いつでも行けます」
「じゃ、行くか」
鉈内は七色と世ノ華に軽く手を振る。白神一族本家へ行くのだが、鉈内と七色たちは別行動を取ることになった。二人は夜来と話をしてから、鉈内の後を追ってくるらしい。
そこで、円山と共に七色寺から街へ下ろうとした時に、頭上から悪魔が舞い降りた。鉈内の目の前に降臨した悪の王は、抱いている雪白を下ろすと、鉈内と正面から向かい合った。
「行くのか」
「うん。善人として、見逃せない」
夜来は黙り、小さく息を吐く。
ドン、と鉈内の胸を拳で叩いて七色たちのもとへ歩いていく。鉈内は言いようのない興奮を覚えていた。血液が沸騰する。鳥肌が立つ。あの夜来初三が、鉈内の善人としてのアクションに否定的な反応を返さなかったのだ。『エンジェル』との大戦を通して、鉈内の行動をきちんと評価し、鉈内の信念をばかにできなくなっているのだ。
だから、夜来はこう言ったのだ。
すれ違い際に、こう。
「信じてるぞ、ヒーロー」
それは、自分では決して理解のできない概念の証明をしてくれるだろうという、ヒーローへの期待。見せて欲しいのだ。夜来は鉈内を認めている。だから、自分が逃げられないほどの絶対的な善意の価値の証明を望んでいる。否定できないほどの、正義の素晴らしさの証明を。
鉈内は笑った。
そして、踏みだす。自分の背負っている運命へ。白神一族本家へ向けて。世界を救う、ありきたりでつまらないヒーローとして。
七色は笑っていた。
既に、夜来は善意を否定するという過去の呪縛から少しずつ解き放たれていることに。善を認めず悪を信じてはいるが、『鉈内翔縁の善』だけは認めつつあるということに。また、鉈内がようやく、自分の信念を見いだせたことに。自分の思う正義の味方へと至ろうとする姿勢に。
もう。
勝手に二人は成長していくのだと感じ、七色は夕焼け空をぼうっと眺めていた。




