解明されゆく、『悪』
その拳が直撃する寸前で、フォリスは大きく目を見開いた。全身に力を入れた彼は、体の内側から膨大な量の白い粒子を引き出す。まるで爆発するように周囲を飲み込んだ純白の暴風は、境内の石畳や土をめちゃくちゃに薙ぎ払った。
当然、夜来もその風圧に吹き飛ばされ、再び距離を取られてしまう。目測で言えば、十メートル。即座に夜来は突っ込む判断を下し、土色の翼で空気を叩き、ロケットのように飛び込んだ。
が、そこで。
再び白い少女の瞳が輝いた。
途端に、周囲を渦巻き状に包んでいた真っ白な暴風は固体化する。ピシピシピシ、と白い粒子同士が結合していき、あっという間に石化した。彼ら二人の姿は、真っ白な渦状の白石の中。夜来は接近を取りやめて、相手の行動の意図を探る。
妙だ。
この程度の防御壁は、夜来の前では五秒ほどあれば消し炭にできる。
では一体、彼らはどういう目的で盾を構えたのか。夜来はそこで、ようやく何かに気が付いた。
(数秒あればこんな壁はぶっ壊せる。だが、俺の動きを数秒止めること自体が奴らの……!?)
わざわざ止まらずに、容赦なく攻撃をしていればよかった。
しかし、時すでに遅し。内側から白い壁には亀裂が走っていき、すぐにそれは粉々に吹き飛んだ。大量の白煙が辺りを支配していく。それを夜来はウロボロスの翼で薙ぎ払い、風圧で霧散させてやった。
そうして、見えた敵の姿は一人だった。顔立ちは非常に中性的なものになり、女性のような清らかな白髪を持つ、性別不明の謎の者がそこに立っていた。
二人の姿が一度隠れて、現れたときには一人になっていた。
つまり、
「『融合』ってわけか。何だよ、それで力がパワーアップしちゃう系の人?」
「主人格は私、フォリスです。リーナはあくまで、内側で待機しているだけです」
直後、二人は一直線に激突した。フォリスの白い粒子が纏われた右手が、拳を作って夜来の顔面に放たれる。それを首を振ることで夜来は回避したが、その空振りになった拳の風圧は七色寺の生い茂った林を横に五メートル、縦に十七メートルは刈り取った爆弾のような威力だ。
しかし、夜来は敵の腕力に興味はない。夜来はフォリスの懐に潜り込むと、ウロボロスの翼を思い切り振り回した。最初に、右翼で胴体を叩き飛ばす。弾丸のような速度で吹き飛ぶフォリスだが、直後に真上に振り上げた全長五十メートルの左翼で境内を巻き込みながらも敵を正確に叩き潰す。
激しく地面は揺れて、地球が震えたような気がした。それだけの一撃だった。
しかし、フォリスを押しつぶしていた左翼が引きちぎれた。遠くに飛んで行った翼の一部から視線を変えて、夜来は立ち上がった長い白髪の化け物を見捉える。
フォリスは薄く笑みを浮かべて、
「『削除』」
呟き、パチンと指を鳴らす。高い音が天に昇っていき、直後、夜来初三は眉を潜めて自分の右手を見下ろす。
その右手は既に石化しており、亀裂を生んでドサドサと砂に変わり落ちていった。
「なるほど。指パッチンでも石化は出来るわけだ」
夜来は涼しい顔で笑いながら、新しい腕を作り上げた。
その様子を見て、フォリスは溜め息を落とす。
「……あのアルスを倒しただけの悪人。やはり一筋縄ではいかないか」
フォリスは長い白髪を鬱陶しそうに手で払うと、
「リーナにはギリシア神話で有名な三姉妹の一人、『メデューサの呪い』がかかっていましてね。非常に強力な呪いなのですが、大抵の相手は一撃でおしまいです。そこに美がない。ですので、あなたのような強者と遊ぶのは実に僕の美的感覚が刺激されます」
夜来初三は動じない。
融合という不可思議な現象に対して、彼は答えを知っているから動じないのだ。
「『悪』を宿す悪人同士の融合、ねえ。それさ、お前の『悪』と小娘の『悪』も混ざることになるけど、大丈夫なわけ?」
「これは変則的な強化ですので、問題ないです」
「何だ。俺みたいな『そういう体質』なのかと思ったわ」
夜来初三の発言に、首をひねったのはギャラリーの三人だった。つまり、『悪』という存在について何も知らない、七色、世ノ花、鉈内。彼らは謎の力を振るう者同士の激闘を、疑問を抱えたまま見守る。
「……夜来さん。あなたは、そこまで『悪』について、自分自身について、知ってしまったんですね。猛勉強でもしたんですか」
「当たり前だ。俺には『時間』がねえんだ。一刻も早くテメエら全員を冥土に送らなきゃいけない。そりゃ勉強もするってーの」
夜来は頭をガシガシと掻き、
「怪物が『悪人を飲み込む怪異』なら、『悪人と怪物の両方を飲み込む怪異』。それこそが、『悪』って言われる、テメエらと俺が持ってる化け物のことだ」
「ほう。ならばもう、あなたも自分の体を動かしているその『心臓』が、一体誰の者なのかも分っているのでしょう」
「ああ。道理で再会できなかったわけだよ。まったくもって笑える話だ」
話についていけない三人を放っておいて、夜来はこう呟いた。
誰もが仰天する、その事実を。
「俺の中にいるもう一人の怪物は―――『夜来終三』」
己の胸に手を添えて。
拍動するその心臓を確かに感じながら、彼は言った。
「俺がアルスに殺された時、また心臓が再生したのは終三の奴が自分の心臓を俺と共有したんだ。怪物ってのは、ようは肉体をなくした霊的・神的な存在。豹栄の奴がウロボロスと混じって、怪物として俺に憑いているように、『死んだ悪人が怪物として生まれ変わる』という可能性は大いにある。終三もそれだっただけだ」
「……まずいな。本当に全部を知っているんですね」
「んでもって、俺を時たま飲み込んでいたもう一人の俺。あいつこそが、『夜来終三』に憑いている『悪』だ。つまり終三が俺に憑いたことで、オプションとして奴という『悪』もついてきちまった。そういうわけだ」
静寂が流れる。
事情を知らなかった七色たちは、呆然として夜来の後ろ姿を見つめていた。少しずつ紐解かれていく、彼についての謎。彼の送ってきた人生の謎。すべてが解明されていくこの流れに、意識が追い付いていないのかもしれない。
「そんでもって、お前らの目的は俺を使った人類の滅亡。なぜ俺にこだわるのか、それも知っている」
「……」
「通常、怪物は一人の悪人を飲み込む。『悪』は怪物と悪人の両方を飲み込む。それで終わり。だがな、残念なことに、俺の体はかなり規模がでかいらしい」
「……」
夜来はニタリと笑って、
「大悪魔サタン、『悪』、そして『悪』を全力で使いこなせる夜来終三という怪物、さらにはウロボロスと混じった悪人の呪い、いろんな奴らが俺の体を媒体にしてやがる」
「そう。それはまるで、『怪物人間』で名高い上岡真のように。複数の、しかも強大な怪異をあなたは複数宿している。……上岡のように体をいじくられて怪物を複数埋め込まれたわけでもない。ただ単純に、あなたは、『複数の怪物を宿す体』を生まれながらにして持っている」
「だから俺が欲しいんだよなあ」
フォリスの眼をまっすぐに見つめて、夜来は言い放った。
「この世の全ての怪異現象を俺の体に宿す。そういう、怪異を宿す才能を、体質を持つこの体に。そうして、最強の兵器になったこの俺をどうにか操って、人類みんなぶっ殺す」
「……そうです。そうすれば、おそらくは上岡真だろうと、世界中の『悪人祓い』だろうと、誰もあなたを止めることはできなくなる。そしてあなたを私たちが『ある方法』で操り、人類を抹消し、新たな世界を創造する」
「だからテメエが小娘を憑依させたとき、その役目はお前でよくね? とか思ったんだが、融合と憑依は違うらしい。残念だ」
夜来は息を一つ吐いてから、
「どうして人間皆殺しにしたいのかは知らねえ。だが、人類っつーと俺の身内も含まれるから、こうして対立しているわけ。大人しく殺されろ」
「我々の人類滅亡計画について、知りたくはないのですか?」
「どういう動機かなんざ知るか。俺はお前らを殺せばいい。そうすれば、あいつらを守れるんだからな」
「はは、相変わらず恐ろしい人だ。そういうさっぱりしているところは、個人的に好きな―――」
その時だった。
ズシャ!! と、いきなりフォリスの胸から刀の先が生まれた。溢れ出てくる血液は次第に池を作り出し、この場の全員を驚愕させる。
しかし。
「あー、悪いな。夜来、こいつは辞退してもらいたいんさ。トーク中申し訳ないが」
「……もうちっと場の雰囲気を借りて、この状況を分かってねえあいつらに説明してやりたかったんだがな。誰だ、テメエ」
フォリスの背後から刀を突き刺している男は、快活そうな笑顔を見せた。カチューシャで金色の髪を後ろへかきあげている、どこか不良くさい二十代後半くらいのジャケットを着た男性。
「白神円山……久しぶりですね」
「おう。黒神フォリス。元気してっか?」
円山と呼ばれる男が声を返すと、フォリスは胸に突き刺さっている刀を握る。瞬間、その刀身はあっという間に石化していき、粉々に砕け散った。自由を得たフォリスは、円山に苦笑してから口元の血をぬぐう。
「相変わらずの暗殺術ですね。感心します」
「そうかい。まあ、それはどうでもいいんだ。とりあえず今は見逃してやるから、さっさと消えろ。俺はそいつに用がある」
チラリ、と夜来の方を見る円山。
武器をなくしたというのに、その強者としての殺気は健在だった。
「あなた方も夜来さん目当てですか。なら、引くことはできませんねえ」
「あほか。俺たちは夜来なんかに興味はねえ。だからさっさと消えろ。お前じゃ俺にゃあ勝てねえだろ」
「……まあそうなんですが。では一体、誰に用事で?」
円山はチラリと、もう一度夜来……ではなく、彼の後方に転がっている一人の少年に笑顔を見せた。
「おお、会いたかったぜ。鉈内くん」
フォリスはそこで、何かに気づいたようにまばたきをした。そして、クスリと笑うと、まるで霧散するようにその場から消える。
攻撃的な敵は、ひとまず去った。
いきなり現れたこの男は、一体、何者なのか。緊迫する状況の中、彼はゆっくりと歩いていき、鉈内に肩を貸して起き上がらせる。
「夜来、とその関係者。とりあえずフォリスは消えた。俺はあんたらの敵じゃねえから、楽にしてくれよ」
「そこのチャラ男をどうする気だ」
夜来が問うと、男はきょとんとした顔になった。
「怪我してんだから、家まで運ぶんだよ。ほれほれ、玄関の鍵を開けてくれ」
チラリと夜来と世ノ華が七色を見ると、彼女はなぜか呆れるような顔で謎の男を見ていた。そして、大きな溜め息を落としてから、一言。
「……円山。一体、どの面下げて儂に顔を合わせてるんじゃ?」
「あっはは。悪いねえ、あの時は。でもほら、きちんと謝罪の代わりになる土産は持ってきたしさ。許してくれよ」
「ほう。それはいったいなんじゃ」
「奴ら、『黒神一族』についての情報、だと言ったら?」
「……居間に翔縁を連れてこい。治療をする」
玄関に向けて歩き出した七色だったが、そこでふと、視界の端に映った不良息子の下へ走り出した。
「なんでお主は逆方向に帰ろうとしているんじゃああああああああ!!」
「ごはっ!?」
せっかく帰ってきたのに、またどこかへ蒸発しようとする不良息子の背中にドロップキックが炸裂した。既に戦闘状態を解いたただの人間の夜来にとって、その一撃はかなり重かった。転倒した彼は腰を痛め、その場にうずくまり、反論の声を上げる。
「ば、バカ!! 消えねえよ!! さっきの敵がほんとに消えたかどうかちょっと外を見てこようと思ったんだよ!!」
「そうやってまた消えるんじゃろ!! だめだ逃がさん、貴様には翔縁と一緒に修行を課してやる!!」
「……なん、で、僕まで……?」
ボロボロの鉈内だったが、突っ込む元気は沸いてきたようだ。
なんだかグダグダになってきたことを察して、世ノ華が円山に向けて口を開く。
「それで、その、あなたは七色さんと、どういう関係で……?」
「ああ。それはな」
彼は二カッと笑って、右手でピースサインを作り、こう言った。
「夕那姉ちゃんの弟っす。よろしくな」
ついに夜来終三の名前が・・・
これからさらに彼について、そして黒神一族、白神一族についてが解明され、戦場の舞台は整っていきます。




