『悪』VS『悪』 1
絶対にこの男を雪白たちのもとへ行かせてはならない。
当然の確信を得た鉈内は、漆黒の夜刀を片手で握りしめて、姿勢を低くし駆け出した。一気に相手との距離を詰めた彼は、右手に握られている黒刀の刃を下から首元に叩きつけた。しかし、相手は白銀の西洋剣を使ってそれを防ぎ、弾き返すように剣を振るう。鼓膜を突き破るような金属音と共に、鉈内の夜刀は遠くへ飛ばされてしまった。
素手となった彼に、堕天使は邪悪に笑う。
そうして、腰から生えている五本の禍々しい尻尾を四方八方様々な方向から突き刺していき、鉈内に逃げられることのないように徹底した一撃へ入った。
だが。
「甘いな、悪党」
鉈内はボソリと呟くと、五本の尾が直撃する寸前に左手に隠し持っていた御札を取り出した。
御札は眩しいほどに発光していき、
「『絶対武装―――紅蓮』」
ドバッッッッ!! と、膨大な風圧が鉈内を中心に発生した。これには雅も顔を歪めて後ろへ咄嗟に飛んだ。激しい風の中に佇む鉈内は、両手を軽く開いてみせた。すると瞬間、赤い光が勢いよく鉈内の両腕を包んでいき、周囲に激しい衝撃波が炸裂すると同時に光も消失する。
代わりに。
鉈内の両手には、全長一メートルはあるだろう巨大な大鎌が二つ握られていた。どちらも尻の部分は太い鎖で繋がれており、化物サイズの鎖鎌がそこにはあった。炎を想像させる赤黒い色をした大鎌二つ。その内の右手に持つ大鎌を、その太い鎖を掴んでヒュンヒュンと遠心力を用いて回転させる。
かなり奇抜な武器だった。
これが、『紅蓮』という怪物退治用の超大型鎖鎌。
「来いよ悪党。けどまあ、僕は優しいから言っておくけど、これ使った僕は相当強いよ。正直、刀ばっかり使ってたから、久しぶりの感触に気分が高ぶってる」
「……うぜェ」
雅は面倒くさそうに吐き捨てると、五本の尻尾を一斉に真上へ振り上げて、思い切りそれらを叩き下ろした。恐らくは地盤が崩壊するだろう威力を誇る五尾が、容赦なく鉈内の体をグチャグチャに潰そうと迫った。
しかし、鉈内は回転させていた大鎌を軽々と投げ放つ。それは高速回転しながら空を切り、一直線に五尾のうち三本の尾を綺麗に切断した。さらに、鎖をぐいっと引き戻すと、飛んでいった大鎌が再び高速で戻ってくる。その直線上に位置していた残る二本の尾もバラバラにされてしまい、鉈内は鎖を上手く操って大鎌を手元に引き戻した。
雅はつまらなそうな顔をしている。
だがやがて、彼は目を細めると同時に指をパチンと鳴らす。
直後、
「おもちゃだなァ。『創造』しやすくて助かるぞ」
雅の両手にも鉈内と同様の大型鎖鎌が出現する。違いは色のみ。鉈内の赤黒い『紅蓮』という大鎌とは違って、雅の大鎌は芸術品のような美しさを誇る白銀の光沢を持っている。
彼は鉈内と同じように、大鎌を素早く投げつけた。咄嗟に鉈内も『紅蓮』を投げ放つ。鎖を通して多少の操作が可能な特性をうまく利用し、両者はいろいろな角度から二つの大鎌を直撃させようと激しい攻防を繰り返す。鉈内の背後から、そして前からはさむように二本の大鎌が接近してくるが、彼は咄嗟に空を切っている『紅蓮』を引き戻した。反動から勢いよく戻ってきた鎌二つは、うまい具合に雅の複製品と激突し、その軌道を逸らす。
トリッキーな武器を使った、ガチンコ勝負。
こういう単純な戦闘ならば化物相手にも引けを取らないだろうと調子に乗っていた鉈内だが、別に桜神雅が鉈内よりも戦闘術に長けていることがあっても不思議ではない。
「死ね。善人」
「ッ!?」
ゴガン!! と激しい衝撃が全身を襲った。気づけば雅の右腕が先ほどのような化物の巨腕へと変貌しており、鉈内の全身を手のひらで掴み取っていた。このまま握りつぶされる。そう思った鉈内だったが、雅は彼を圧迫させて殺すのではなく、思い切り野球ボールを投げるように鉈内のことを投げ飛ばした。
ヒュンッッッ!! と、強烈な速度で鉈内は倒壊しているビルの残骸へ突っ込む。
都合のいい助けなんて、こない。
鉈内は咄嗟に、背骨の骨折だけは避けるために左肩からビルの残骸へ激突した。腕の骨が砕け散る。粉砕骨折したかもしれないが、脊髄に損傷がいくよりは全然マシだ。耐え難い激痛と、やはり片腕を払っただけでは抑えきれない衝撃に、呼吸が止まる。目を見開いて崩れ落ちた彼は、ピクピクと静かに痙攣して転がっていた。
「あー、つまらねェ。だーから言ってンだよ、俺にゃあいつしか届かねェんだ。俺と張り合ってじゃれあってくれンのは、あいつしかいねェ」
所詮は悪の一つも宿していない善人。雑魚だ。闇に落ちることで得る膨大な力を受け入れる覚悟さえ持たない独善者ごときに、闇に浸りすぎた雅が負ける道理がない。彼は目的のマンションの方へ静かに歩き出したが、そこでふと足を止めた。
鉈内翔縁。
あの面倒くさいお人好しは、ここで殺しておいたほうが気分がいい。
まだ意識はある鉈内は、ドボドボと口から血を吐き出して倒れている。このまま放っておいても死ぬかもしれないが、今ここではっきりと首を刈り取るほうが爽快に違いない。
雅はニタリと顔を歪めて、鉈内の前へ歩いていく。
「どォ死にたい? やっぱテメェのむしゃくしゃする面ァ壊してから先に進ンでやるよ。感謝しろよォ? わざわざこの俺様がテメェみてェなカス一匹に貴重な時間を使ってやってンだ」
「……ク…ソ、野郎が……!!」
「おいおい、ンだよそりゃあ。まだ元気いっぱいなヒーローってかァ? ぎゃっはははははははははははははははははははは!! しびれちまうなァおい!! 胸が熱くなってくる展開じゃねェーかよォー!! カッコイーっ、正義のヒーローカッコイーっ!!」
絶望することだけはない、鉈内。
彼はいつまでも善人として悪を睨み続け、恐怖に屈することなく戦い続けていた。
雅は決めた。その気に食わない態度を見て決定した。こいつは殺そう。ただでは殺さない。精神が壊れるくらいに痛みを与えてから、ゆっくりと心臓を取り出してやる。自分の核が抜き取られる光景を見せつけてやって、そうして死の接近をたっぷりと味あわせてから昇天させる。
まずはどうしようか。
そんなことを思考し始めた、矢先だった。
「おいオマエ。そこの正義のヒーローは俺がいつか殺すんだ。人のモン勝手に奪ってんじゃねえよ」
振り向く。
雅はただ、振り向く。
かすかに笑って、待ち望んでいた邪悪な声に、目を向ける。
鉈内にいたっては呆然とした顔で、向かい側の瓦礫の山に偉そうに足を組んで座っている男を見つめる。そして彼も笑う。心のどこかではそんな気がしていたのだが、現実的に考えてありえないだろうと否定していた。
そうか。
やはり、悪の王は全てを屈服させて生き残るらしい。
夜来初三。
かつて世界すらも救ったことのある悪の王は、やはり王らしい威厳と貫禄を持ってそこにいた。
しばらく見ないうちに、彼はいろいろと外見が変化していた。長かった前髪はちょうどいい長さに切ってあり、その顔はよく見えるようになっている。『サタンの皮膚』を表す禍々しい紋様はおかげでよく目立っている。また、彼はスクエア型の眼鏡をかけていて、今までとは違う大人らしい雰囲気に包まれていた。
「面倒くさいな。ったく、里帰りしたらこれってふざけてんじゃねえよ」
彼はようやく立ち上がると、軽く欠伸をしてから、
「街に戻ってきたあたりから、うるさいわ騒々しいわ人はいないわで過疎化の究極はこういうことなのかって感心したぞ。こっちがどれだけヒヤヒヤしたか分かってねえだろ、オマエ。まあ、俺としてはそこの善人くんがボロボロになってるのを見て全部満足だが」
「……夜来、初三。夜来初三。はは、くははははは!! そうか夜来か、ああそうか!! ようやくだ、ようやく俺がここにきた意味が確立される!! はは、ははははっ!! やべェよ、笑顔が溢れてる止まんねェよォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
興奮状態になった雅は、笑い声を上げながら巨大な怪物の右腕を振るう。獲物を喰らいにいくように伸びた腕は、突っ立っている夜来初三の体を握りつぶそうとした。
だが。
「懐かしい顔だなと思ってはいたが、オマエ、整形でもしたのか。随分と白いお肌みたいで羨ましいもんだ」
夜来は挑発するように声を押し殺して笑うと、その直後、ズオッッッ!! と勢いよく背中から気持ちの悪い翼を生やした。悪魔の翼ではない。右の背中から飛び出てきた白い生き物のように蠢く片翼は、迫ってくる雅の右手に乱暴に巻きついていき、ブチブチブチィッッッ!! と肩の根元からその腕を引き抜いてしまった。
怪物同士の殺し合い。
悪に染まりすぎた悪人同士の今までにない殺し合いの光景は、ひどく狂気的で恐ろしかった。
何より、桜神雅もそうなのだが、あの夜来初三が『悪』の力を使いこなせている。コントロールできているのだ。まるで使い慣れているもので遊ぶかのように、あの二人の悪党はニヤつきながら『悪』という異次元に潜む謎の怪物を従えている。
どういうことだ。
そもそも、あの男は死んだはずではなかったのか。どこでどうやって『悪』の力を制御することを覚えた。かすむ意識の中で鉈内が抱えた疑問は腐るほどあるが、結局のところ、ただ安堵したというのが本音である。
「それじゃあ、悪魔の王様らしく、哀れな堕天使を地獄に突き落としてやるよ」
刻み込まれた笑みに悪意が宿る。
懐かしい残酷な表情を、彼は当たり前のように浮かべた。
主人公久々の帰還ですね。彼がいろいろと見た目の変化があるのは、それなりに理由があります。しかし今回の悪人話は、やっぱり『悪』(クロス)という謎の怪物についてがメインなため、攻撃の一つ一つが化物のそれそのものですね(笑) なんだか人間としての形状が崩れていくバトルシーンでした(笑)
あ、鉈内のニュー武器は投げて操る鎖鎌という、これまた新しい武装でしたね。まあ、雅の純粋な戦闘能力と創造で敗北しましたが……左腕大丈夫ですかね(笑)




