白い力
「失せろ。俺はテメェに用はねェんだよ、刈り取る命に値しねェ」
桜神雅の全身から溢れ出ている力が、吸い込まれるように右手へ集まっていく。その現象から読み取れることは、彼は何か大きな一撃を放つための『溜め』を行っている。
そして厄介なのは、あの『白い力』の正体が分からないところ。
高熱エネルギーなのか、単純な色のついた物体なのか、まったく見当がつかない。できるなら一撃も喰らわずに逃亡するのが最善だ。しかし当然、その逃げる隙を作るためには、白はあの不可思議な力と向き合わなければならない。
(今だ。仕掛ける)
よって、先に動く。
「先手必勝だね、クソ野郎」
「あ?」
雅が声を上げた瞬間、ドガガガガガガガガァァァァァァァッッ!! と、激しい衝撃波と爆音が連続して起爆する。周囲のビルや建造物が根っこごと地面から引き離されて、まるで雅に吸い寄せられるかのように激突してきたのだ。あらゆる方向から、高層ビルや電柱、信号機など、サイコキネシスで操られているかのように宙を浮き、男一人を意志を持つかのように叩き潰した。
これは白の空間支配によるものである。
彼女は空気を操れるように『エンジェル』のもとで製造された生物兵器である。その開発には桜神雅も関わったらしいが、どうやら『空気を操る能力の危険性』の奥底までは開発者の彼も気づけなかったらしい。 空気を使って、物体を動かす応用。
たとえば空き缶があるとする。その空き缶を空気を使って動かすには、風を作って吹き飛ばす、すなわち『空気を一つに圧縮して、思い切り物体へ叩きつける』のである。これは強力なものになれば風という現象を通り越して、いわゆる衝撃波となり、物体に力を加えて動かすことが可能だ。
これの規模が大きいことをしたまで。
あたりの物体に大量の空気をそれぞれ叩きつけて、雅のもとへ吹き飛ばしただけである。
しかし。
その地面に深い深い裂けたような亀裂が走り、もくもくと灰色の煙を巻き上げてしまっている破壊地点から、光が漏れた。
「っ!?」
いいや違う。
光という名の、予兆だ。
ドゴォッッッッッ!! と、咄嗟に回避を行った白の体スレスレを、禍々しく巨大な白い『手』が通過した。
(なに、これっ!?)
真っ白なねんどで作られたような巨大な白い『右手』は、白の後方にあった高層ビルの一つを鷲掴みして握り壊していた。中に人がいたのかどうか、そんなことは考えたくもない。怪獣のようなその『右手』を生やしている桜神雅は、青ざめた顔でいる白に獰猛な笑みを見せた。
「『悪化』の侵食を進めたことで、俺が『悪』に近づいた……飲み込まれただけだ。つまり一体化してるンだよ。夜来もやらなかったのか? あいつも一回くらいは『怪物みたいな状態』になってると思うんだがなァ」
「……あんた、もう人間じゃないよ」
「ははッ、ぎゃっはははははははははははははは!! いいよいいじゃん最大最高の褒め言葉だねェ!! 俺ァあのクソ野郎を殺すためだけに人間を捨ててきたンだ!! そういう認識で怯えられるなら本望だぜェおい!!」
ハイになった雅は気分が高ぶっているのか、続けて攻撃を仕掛けてきた。その全長三十メートル、腕の太さは五メートルほどの怪物の『右手』を使って、とにかく逃げ回る白を握り潰そうと振り回す。
しかし、ちょこまかと身のこなしが早い彼女にイライラがたまったのか、彼は本来の力の引き金にも指をかけた。
「うぜェな。『檻』でも用意するか」
人間としての形状を持っている唯一の左手で、指をパチンと鳴らす。すると白の頭上から、いきなり白銀に輝くライオンでも収容するような『檻』が矢のように一直線に降ってきた。
ガシャン!! と、綺麗に捕獲された白は大きな舌打ちを鳴らす。
(マジかよ、あいつ『ミカエルの呪い』まで併用できるのか!!)
てっきり、彼はもう『悪』という力しか使えないのではないかと思い込んでいたが、まさか本来の悪人としての能力まで備わったままだとは考えていなかった。
間に合わない。
この『檻』はミカエルの魔力で作られている。壊すのは容易ではない。すなわちそれは、もう、時間がないということ。
怪物の『右手』が振り上げられた。
この『檻』ごと、白の小さな体を叩き潰す気なのだ。雅は笑顔を濃くして、その『右手』を刀を振り下ろすように真上から叩き振るう。
が、そのとき。
スパン!! と。
雅の怪物の『右手』が生えている右肩から先が、つまり『右手』そのものが切り落とされた。
「あ?」
怪訝そうな顔で、宙を浮き地面に激しい音を立てながら落ちた『右手』を見下ろす雅。だが、すぐに彼の視線は自分の背後で刀の先を突きつけている一人の男に向けられた。
桜神雅は鼻で笑ってから言う。
「ンだよ善人。ヒーロー気取ってさりげない自殺志願とかカッコイー死に方だなァ」
「黙ってろ悪人。僕はお前ら悪党が世界で一番嫌いなんだ。特に、ちっちゃい女の子いたぶってゲラゲラ笑うゴミ野郎とかね」
「そいつァ偏見だぜ。俺はただ遊んでやっただけだ」
「いじめをするやつは大体そういうんだよ、この悪党が」
桜神雅はゆっくりと振り向く。
一方、刀を握り締めた鉈内は相手との間合いをはかったまま沈黙する。
すると、いきなりのことだった。桜神雅はその狂気的な顔に極悪な笑みを浮かべて、こう尋ねた。
「あいつを出せ。それでお前らは見逃してやる」
「あいつ……?」
「夜来初三だ。あの悪党を俺の前に突き出せ。俺の目的はあいつへの復讐ただ一つだ」
「お前、まさか……知らないのか?」
眉を潜めた雅。
対して、鉈内は言いにくそうに、しかしはっきりと完結に言った。
「あいつは、死んだ」
「……は?」
「死んだんだよ。あんたらのリーダー、アルスを倒して、ついでに世界を救って死んだ。かなり前のことだ」
ポカンとした、あまりにも似合わない表情に変わった桜神雅。彼は長い間その現実を理解できていない顔のままでいたが、しばらくすると静かに口を閉じる。
だが。
それはきっと、彼なりの堪忍袋が爆発した際の合図だったのだろう。
彼は次第に声を押し殺して笑い始める。そして腹を押さえながら背中を丸めて笑い、大笑いし、一通り爆笑したあとに、
「ふざっけんじゃねェぞォおおおおッ!! クッソ野郎がァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
絶叫した。
胸の内に飼っている怪物に染まっていく。
再び『悪化』を進行させて、失っていた右手を生やす。その異常な回復能力に仰天した鉈内だが、相手は理性を失っているため、力の出し惜しみなどせずに、さらに人間離れした行動に移る。
ズリュ!! と、尻尾が生えた。
腰のあたりから、五本ほどの気泡を持った液体と固体の中間あたりの見た目を持つ、禍々しい白い尾が五本も生えたのだ。
どんどん人としての外見を壊していく彼の前に、鉈内は生唾を飲み込んだ。ここまで異質な恐怖を感じる戦いも初めてだ。相手が人間なのか怪物なのか分からない、まるでその狭間に生きる化物のように思えてくる。
未知なる敵との殺し合い。
恐怖を感じる根本的な原因とは、それだ。
(っ、来る!!)
だが動じない。
あの世界戦争を通して、彼は昔の自分を大きく上回るほどの力を身につけた。経験も得ている。もはや青い『悪人祓い』とは言えないだろう。それだけ、彼はこれまでの地獄から大きな成長を遂げている。
なぜなら。
正面から突き刺さってきた五本の尾に対して、昔の彼ならばすぐに回避に移るか不得意な御札を使った防御に頼っていただろう。しかし現在の彼は、自らその五本の槍の中に飛び込んで、受け止めるのではなく刀で軌道を逸らし、五本の尾の力のベクトルをそれぞれ別々の方向へ流し、道を上手くつくることでどんどん雅の懐へ突き進んでいく。
相当な腕前だ。
いいや、技術はもともと完成されていたが、昔の彼に足りなかった戦の経験というものが、今ではしっかりと備わっているため戦い方に穴がないのだ。そうして、いつの間にか桜神雅の眼前へ迫っていった。飛ぶように突進して、夜刀の先端を獲物の胸へ突き刺した。
「ォォおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ドズッッッッ!! と、その刀は綺麗に胸を貫く。
さらに終わらない。鉈内はそのまま、雅を串刺しにした状態で走り抜けて、倒壊していたビルの巨大な瓦礫にまで串刺しになっている獲物を押し込んでやった。激しい衝撃音が響き渡り、その確実に命を刈り取った攻撃には白も目を見張った。
(……?)
だがそこで、違和感を得る。
鉈内はなぜか勝利を確信できない自分に気づき、それは間違っていない感覚だと理解した。
「こンなもンかよ」
「っ!?」
ガシッっと、胸に埋め込まれている刀身を雅は片手で掴む。
そして狂った笑顔を浮かべて、最高に楽しそうな調子で絶叫した。
「ああ、やっぱりな、やっぱりそうだァァあああああああああ!! ぎゃっははははははッ!! やっぱりテメェじゃ役不足だ、やっぱり俺と遊べるのは夜来初三しかいねェ!! テメェみてェな善人とじゃあ張り合いっつーモンがねェんだよボケ。悪には悪しかついてこれねェ、ようはそォいうことだよなァ!!」
「っぐ、こいつ……!!」
刀が動かない。
凄まじい握力だった。このまま近くにいたら殺られると確信し、鉈内は仕方なく夜刀から手を離して距離をとる。
桜神雅は、やはり人間の範疇を超えている。
鉈内は静かに息を吐き、相手の動きを待った。すると、桜神雅はある方向へ顔を向けて、
「夜来初三の拠点は、あっちだよなァ」
「っ」
「あいつの根城を壊して本当にいねェかどうか、確かめるか。普通、生きてりゃ自分の家でゴロゴロしてるもんだしな」
「ま、待て!! お前の相手は僕が―――」
「善人。テメェが嘘をついているかどうか確かめてやる。本当にあいつがいねェなら引いてもいい。感謝しろ」
制止する声も聞かずに、雅は立ち去ろうとする。まずい。これは非常にまずい。彼がこのまま夜来初三のマンションに行ってしまっては、雪白千蘭が被害に遭うかもしれない。
いや、彼女だけではない。
実は鉈内、風で吹き飛ばされて気を失っていたのを唯神に起こされたあと、彼女に『雪白を連れて七色寺まで避難しておいてくれ』と頼んでしまったのだ。
今頃は唯神もマンションの近くにいる。
「待てって言ってんだろ!!」
鉈内は即座に刀を握りしめて、桜神雅に斬りかかった。
相手も『ミカエルの呪い』を使い、白銀の西洋剣を製造する。慣れた様子で鉈内の一太刀を防ぎ、鍔迫り合いの中で面倒くさそうに告げた。
「ンだよテメェ。見逃してやるって言ってンのが分からねェのか」
「白ちゃん!! 今すぐ唯神ちゃんと雪白ちゃんと合流して!! 二人はきっとマンションにいる!!」
桜神雅の檻をようやく破壊し、脱出することができた白は、小さく頷いて飛んだ。空気を操り、一気にビルを超える跳躍で消えた彼女の後ろ姿に、雅は舌打ちを吐き捨てる。
「テメェ一人で俺に何ができるよ、あ?」
「言ってろ。僕って結構、強いからさ」




