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悪魔退治成功

 目を覚ますと、そこには見知った顔が勢ぞろいしていた。

 壁に寄りかかっている、悪人ヅラが張り付いた少年。肩甲骨まで伸びた金髪を弄っている少女。笑顔を浮かべるチャラ男以外の何者でもないチャラ男。扇子を広げている外見年齢は十歳としか思えない浴衣姿の少女。

 一人一人顔を確認していると、雪白千蘭は覚醒したばかりの意識の中で、真っ先に聞きたいことを無意識に尋ねていた

「……呪いは、どうなったんだ?」

「きちんと祓い終えたに決まっておるじゃろう。お主の『呪い』は、それでなくともレベルが低かったのじゃからな」

 七色の返答を聞いた雪白は、ふと周りを見渡してみる。

 そこには。

 壮絶な戦いの後が残っていた。

 壁は砕けていて、天井も崩壊寸前のように破壊されていて、外の陽の光が降りてきている。

 床には赤い鮮血が走ったままで、鉄臭い臭いが鼻を刺激してくる。

「……いろいろと、迷惑をかけたな」

 申し訳なさそうに、小さな声量で呟いた雪白。

 しかし、謝罪の対象者達は、何でもなかったかのように言葉を返した。

「なーに、わしは『悪人』を救うのが仕事じゃ。礼はいらん」

「僕もお礼とか謝罪の言葉は面倒くさいし、いらないかなー」

「そう思うのなら、兄様に色気を使わないでもらえるかしら」

 相変わらずな返答だった。

 ははっ、と苦笑した雪白千蘭は、部屋の奥に一人でいる少年のもとへ歩き出した。

 こちらに近づいてくることに気づいた少年は、体を預けていた壁から身を離す。

「……言っとくが、俺ァ悪人だ。礼を言われる筋合いはねぇからな」

「お前は本当に自虐的な思考をしているんだな。礼ぐらい受け取ってくれ」

「パスだ」

「即効拒否はかなり酷いぞ……」

 雪白は視線を下げて、

「夜来……その、すまなかったな。迷惑をかけて」

「……俺はただの悪人でただの悪党でただのクズだ。謝られる筋合いもねぇよ」

 雪白が謝ってきた理由を瞬時に察した夜来は、己の右目に手を添える。

 そして、くだらないと言わんばかりの溜め息を吐いた。

「なーに叱られたガキみてぇなツラしてんだよ。忘れちまったのか? 俺ァお前に言っただろうが―――」

「……え……?」

 雪白の小指と自分の小指をやや強引に重ね合わせた夜来は、長い前髪で表情を隠して言った。


「―――味方でいてやるって約束しただろうが。二度も言わせんなアホ」


 不機嫌そうな声で文句を言うように呟いた夜来は、ぎゅっと雪白の小指を自分の小指で握り締める。

 雪白千蘭は、呆然とした。

 そして、涙を落としそうになった。

 男というものに対して悪いイメージしか残っていなかった雪白千蘭にとって、夜来初三の今までの行動、言動は全て感激するものだったのだ。

 約束どおり自分の味方でいてくれて、約束どおりずっと悩まされていた『呪い』を命がけで解いてくれて、約束どおり助けてくれたのだから。

 感動しても、泣きそうになっても仕方がないだろう。

 雪白は、今まで夜来初三にすら見せたことのないであろう満面の笑顔を咲かせ、日差しにかかったことで輝きを一層増した膝まで伸びたストレートの白髪を揺らしながら、涙を浮かべてしまった。

 結局、彼の優しさ……いや。

 彼なりの、本当の『悪』に感激してしまい、瞳をうるませてしまったのだ。

 悪人は、言う。

「俺がやったのは、『悪』だ」

 悪人は、どこか悲しげに教える。

「俺がやったのは『悪』だ。何かを守るために何かを壊す。俺はお前を守るために悪魔を壊してやった。これは―――」

 悪人は、うっすらと口の端を吊り上げた。

 自虐的に笑って、告げる。

「紛れもねぇ、ただの『悪』だ」

 確かに、悪だ。

 雪白千蘭を救うために、たった一人の少女を助け出すためだけに、悪魔という存在を壊した―――つまり殺したのだ。

 奪った。

 夜来初三は、今回、悪魔を殺したことで、その悪魔の人生を、これからの時間を、経験を、楽しみを、悲しみを、出来事を、笑顔を、全てのものを跡形もなく奪い取ったのだ。

 雪白千蘭という存在を守り。

 悪魔という存在を壊した。

 こんな方法、間違っているのかもしれない。

 いや、きっと間違っている。

 何かを守る代わりに、何かをぶち壊す。

 ―――やはり、悪だ。

 そんな方法でしか大切なものを守れないというのなら、それは『善』なんて大層なものではなく、絶対的な『悪』だ。

 つまり。

 夜来初三は絶対的な『悪人』なのである。

 ―――だが。

「……違う」

 雪白千蘭は、否定した。

 彼の『悪』をきっぱりと否定した。

「確かにお前は善人ではない。正義の味方でも、どこかのヒーローでもないだろう。だがなぁ夜来、それでも、それでも―――」

 夜来初三の悲しげな顔を自分の胸に抱き寄せて、彼の全てを包み込み、受け入れて、理解してしまうような優しい抱擁を行う雪白。

 一滴の涙を、ルビーのような赤い瞳から溢した雪白は、震える声で夜来の耳元に囁いた。

「それでも、お前がどれだけ『悪人』と周囲から認識されようと、『私にとって』お前は善人で正義の味方なんだ。私だけの、『ヒーロー』なんだ」

 雪白千蘭には関係がなかった。

 彼女にとっては、夜来初三が悪人だろうと、悪党だろうと、大魔王だろうと関係がなかったのだ。『雪白千蘭にとって』の夜来初三とは。


 自分を救ってくれた『ヒーロー』でしかないのである。


 つまり。

 夜来初三という悪人は、雪白千蘭にとっては正義の味方であるということ。

 夜来初三という悪党は、雪白千蘭にとっては優しい少年であるということ。

 彼は、夜来初三は。

 雪白千蘭という少女の中でだけ、

 絶対的な『善人』という存在として君臨しているのだ。

「……勝手に思ってろよ、アホ」

「分かった。勝手に思うことにしよう」

 微笑んで、さらに夜来を強く抱き締めた雪白千蘭は……。

 幸せだな、と思った。

 夜来初三という、自分にとっての正義のヒーローと肌をくっつけ合っているだけで、雪白はもの凄い幸福感に包まれてしまった。

 静かになった。

 二人の少年少女の間には会話がない。

 だが、その沈黙自体が心地よいと思っているのが抱き締めあっている二人なので、特に喋らないことが息苦しいわけじゃなかった。

 そんな二人の様子を遠くから静かに見つめる者たちがいる。

 浴衣姿の七色夕那は微笑ましそうに眺めており、鉈内翔縁は嫉妬で暴れまわりそうになっている、自称、義妹キャラである世ノ華雪花を羽交い絞めにして押さえ込んでいた。

 不満なんて一つも存在しない結果だった。

 誰もが笑って幕を閉じる結果だった。

「―――ッ!」

 しかし。

 現実は実に残酷だった。


「あっがッアアああアアああアああああアアアアアアアアアああアアアあアアアアアあアああアアアあアアああああああアアアアああアアあアアアあああああああああああアアアアアあアあああアアあああアアアアアアアああアああアあアアアああアアアッッ!!」

  

 突如、夜来を突き飛ばし、声帯がブチ切れそうになるほどの絶叫を上げた雪白は、その場でうずくまってしまった。

 その奇行とも言えるだろう意味不明な行動に動揺した夜来初三であったが、すぐに異変に気づくことが出来た。

その異変の正体とは。

雪白千蘭そのものである。

「な……なんじゃこれは……!?」

 七色達も目の前で起こっている異常な現象に仰天しているようで、指先一つ動く気配がなかった。

 夜来は現状を正確に、簡単に、簡潔に、必要な部分だけを頭へ叩き込む。

 突如、雪白千蘭の体中に鱗が現れ、下半身が一体化していくように巨大な尻尾へと変化し、爬虫類のように鋭い瞳を自分に突き刺してくる。

 夜来初三という少年に、突き刺しているのだ。

 つまり、雪白千蘭という少女は。

 一瞬の間に。


 巨大な白蛇へと半一体化してしまったのである。


「……男ね」

 低い声で呟いた雪白千蘭―――いや、そもそも雪白千蘭なのか雪白千蘭ではないのか、区別すら出来なくなってしまった白蛇の下半身を持つ人魚のような雪白千蘭は、

「……失せろ!」

 叫び、目の前の『男』を自身の下半身―――白蛇の尻尾で薙ぎ払った。

「―――がッ!?」

 横から迫ってくる、壁のように大きな尻尾に回避という対応が完全にできなかった夜来初三は、『絶対破壊』を使用する間もなく、弾丸のような速度で真横に叩き飛ばされてしまう。

 血を吐き、片腕が明後日の方向へ折り曲げられ、無様に転がっていく夜来を確認したその他の者達―――『悪人祓い』二人と『悪人』一人は、即座に白蛇の化物のもとへ突っ込んでいった。

「兄様になにしてンだァァアアアアアアアアアアアアア!!」

『悪人』の少女、弱体化している羅刹鬼の残りカス程度の呪いにかかっている角を生やした世ノ華雪花。絶叫を上げた彼女は『羅刹鬼の呪い』を悩む間もなく使用し、鬼の圧倒的な力を手に入れた上で、白蛇を叩き潰しにかかった。

(こいつ、一体何なのよ!?)

 歯噛みした世ノ華。鬼に染まった彼女は三メートル近くの巨大な金棒を握り締めて飛び上がり、白蛇の正体が雪白千蘭ということをしっかりと理解しているので気絶する程度の攻撃を与えることにした。

 雪白千蘭という少女の体を残している白蛇の上半身。そこにある雪白の頭部に狙いを定めて、世ノ華は撲殺用武器である金棒を真上から振り下ろす。

 しかし、

「女には特に恨みはないわ」

 無表情で、無情な瞳で、無感情な声音で、そう口にした白蛇の雪白は、自身に降りかかってくる金棒を片手であっさりと受け止めて、掴んだ。がっちりと掴んだ。

「……ッな!」

 驚愕という感情によって声を漏らした世ノ華雪花。

 しかし、彼女はすぐに判断を切り替えて、ニ撃目の攻撃の準備へと移っていた。

 掴まれたままの金棒の柄をぎゅっと握りなおし、自分に憑依している羅刹鬼の少なくなってしまった腕力を最大まで利用して、

「うッオオオオあああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 腹に力を込めて絶叫し、そのまま金棒を横にぶん投げた。

 結果、金棒を掴んだままの雪白も必然的にセットで吹っ飛んでいってしまい、壁に猛烈な速度で激突する。

「はぁ、はぁ、……やった、かしら?」

 だが、残念なことに。

 コンクリートでできている壁が壊れ、咳き込むような濃い煙を作り上げ、大きな瓦礫が落ちてくるほどの威力で壁にぶち当たったはずの雪白は、無傷。

 傷一つ、思わず苦笑するほどに付いていなかった。

「乱暴な鬼ね、あなた」

 うねうねと動く、蛇の尻尾で歩行している下半身。長い白髪を手で整え、美少女のままでいる上半身。

 まるで。

 雪白千蘭であって、雪白千蘭ではないような存在である。

「やめなさい。女に恨みはないのよ」

「ならば、わしにも手は上げないでくれるかのう?」

 白蛇の姿である雪白に向かって、挑戦的な笑顔でそう口にした七色夕那は浴衣の袖の中から札束のように重なった何十枚もの白いお札を取り出し、それを周囲にばら撒いた。

 すると散らばったお札は赤く発光し始め、何かの魔術の儀式のように怪しい輝きを増していく。

「僕も忘れてもらっちゃ困るんだよねー、マジで」

 七色の背後から鉈内翔縁が姿を現し、一際大きい真っ黒なお札を宙に投げた。

 ひらひらと落ちていく黒いお札だったが、それは一時停止してしまったように空中でピタリと止まり、他のお札と同様に発光する。

「「『絶対拘束―――神縄』」」

 二人の『悪人祓い』は合唱するように手を合わせ、まぶたを静かにゆっくりと閉じ、一定の声量、変化のない声音、淡々とした口調で呟く。

 すると、一向に発光を弱まらせないでいた無数のお札は、突如、爆発するように閃光を放出した。さらに、そこから赤く光る不思議な縄が出現し、それは白蛇の体に勢いよく巻きついていった。

 これは、『対怪物用戦闘術』という『悪人祓い』の人間達が扱う陰陽術に近い一つの特殊術だ。エクソシストが悪魔を祓うのに詠唱を行うのと同じようなもので、『怪物』と戦闘を行う際に使用されるものである。

「……軽い拘束ね」

 落胆するように肩を落とした、雪白千蘭と白蛇の体を持つ大蛇。

 そいつは自分の体に巻きついている赤い縄を見て、鼻で笑った。

「ふん」

 すると、雪白千蘭は、美しい形をした口を開き、そこからファンタジー世界にいるドラゴンのように火を吹いた。

 その火で全ての縄を焼ききってしまった白蛇の化物は、自由になったことで勝利の笑みをうっすらと浮かべた。そして、鉈内のもとまで蛇の下半身を使ってスケートをするように接近していき、夜来と同様に尻尾で叩き飛ばしてやった。

「あガァッッ!!」

 バキィ! と、体を叩かれた痛々しい音が鳴り、鉈内翔縁は宙を舞う。

「男ね、あなた。なら死ね」

 さらに追い討ちをかけようとして、口から火を吹こうと頬を膨らませる雪白。このままでは鉈内は無残に焼き殺されてしまう。

「翔縁!!」

 空中では身動きをすることが不可能だと知っている鉈内は、自分の名前を大声で呼んだ大切な母親―――七色夕那の、必死に自分を助けようと手を伸ばしてくる姿を見て、静かに息を吐いた。

 回避も防御も実行不可能。

 助けをこうことさえも不可能。

 遺言を残すことさえも不可能である。

 全てが不可能という酷すぎるこの状況に、鉈内はただ笑うことしか出来なかった。

「……はは、ヤバいね、こりゃ」

 と、全てを諦めた瞬間。


「クソがッ!! 手間かけさせんじゃねぇよ!!」


 どこからか聞こえた面倒くさそうな声と共に、

 焼き殺される寸前だった鉈内の体は、地面に向かって蹴り飛ばされた。

 痛みに耐えながら転がっていった鉈内は、咄嗟に自分がついさっきまでいた場所を見上げてみる。

 そこには。

 空中で業火を吹く準備が整っている白蛇と半一体化した雪白千蘭と。

 怪我が完璧には治っていないままの少年、夜来初三が数秒だけ対峙していた。

 もちろん。

 今の夜来はサタンの魔力を全身に展開させるという『絶対破壊』を使用できない。

 いや、使用していない。

 なぜなら、夜来は鉈内を蹴って雪白の攻撃範囲内から逃がしてやったばかりの状態だからだ。もしも夜来が『絶対破壊』を体に展開している状態で鉈内を蹴ったのなら、鉈内の体は文字通り『絶対破壊』によって壊されてしまう。

 しかし鉈内は床にぶつかった衝撃に呻いただけで大怪我の一つもしていない。無事に逃げられたという証拠だ。

 つまり、夜来初三は鉈内翔縁を無事に逃がすために『絶対破壊』を使用しなかったということだ。

 ゆえに鉈内を逃がしたばかりの夜来は『絶対破壊』という最強の盾を構えていない状態なのである。さらに、治りきっていない怪我の痛みによって『サタンの呪い』を使おうと意識することさえ難しい彼の結末は、誰もが予想できてしまうものだった。

「やっくんッ!!」

 犬猿の仲である相手の名を全力で叫ぶ鉈内。

 しかし、夜来初三は自虐的に笑い、口を開いたのだが。

「クソった―――」

 白蛇の大蛇になった雪白千蘭の口から放出された豪炎によって、体全体を炎で包まれてしまった。

 さらに。

 巨大な尻尾が追撃を行ったので、夜来初三は地面に容赦なく叩き落されてしまう。

 ドガァン!! 床が破壊され、夜来の体も壊されてしまったことが分かる破壊音が鳴り響く。

「……」

 蛇の下半身を持つ雪白千蘭は、音を立てることなく床に着地し、しばし無言でコンクリートの粉塵と汚い煙が漂っている、夜来の落下地点を見つめる。

「……死ね。男は死ね」

 死刑宣告を行い、雪白は暗くてドス黒い瞳を細め、

 無慈悲にも、その凶器同然の尻尾を槍のように構えて、煙の壁の先へ放った。

 夜来初三に、少年に、男に、放った。

「「「―――ッ!!」」」

 七色達の息を呑む音が聞こえた。

 しかし、全てはもう無意味である。

 なぜならもう。

 夜来初三の体に向かって、尻尾という名の刺殺用武器が、すでに突っ込んでいったから。


 ―――グサリ。


 嫌な音が聞こえた。

 聞きたくない音が聞こえた。

 聞いてはいけない音が聞こえてしまった。

「う、嘘、よね」

 聞き間違いだ。

 ありえない。

 冗談だ。

 などの、現実逃避に使える言葉で自分の精神を守ろうとする世ノ華雪花。

「……ぁつ、あ」

 彼女は、言葉にならない声を漏らしているだけで、何も出来なかった。

 いや、出来ないというより、出来るはずがなかった。

 煙の中で、大切な彼の体を貫通している化物の尻尾―――想像してしまったら、きっと盛大に嘔吐してしまうだろう。

「や、やらい……」

 目を見開いて呆然としている鉈内の隣で、七色夕那も信じられないと言わんばかりの声で呟いた。

 理解したくない。

 納得したくない。

 煙の先は見たくない。

 誰もがそんなことを思っていた。

 しかし、

「ほーう」

 事態は、圧倒的に誰もが予想外だった結果で終わる。

「なるほどなるほど、我輩が出てきて実に正解だったようではないか。くはははっ!! まったくもって世話のかかる我輩の夫だな」

 煙が支配している、誰もが注目中の場所から、

 聞いたことのない声がした。

 正気を失い、蛇の化物へと変化してしまっている雪白千蘭でさえ、怪訝そうな視線を煙の内部へ送っている。

「しかしまぁ、小僧。貴様は我輩のものだ。ならば、我輩が守ってやらねばならない……という使命を必然的に我輩は今回も受け取らねばならんようだな」

 煙が晴れていく。

 あらわになっていく。

 最悪、彼の体には蛇の尻尾がやきとりの串のように刺さっているかもしれなかった。

 そんな可能性を抱いている七色や鉈内、世ノ華の三人は、一度だけ目を反らしてしまう。

 少しの間を置き、

 意を決して夜来初三が生きているか死んでいるかを確認してみると。

 そこには夜来初三がいた。

 身体には致命傷などはなく、多少の傷は残っているが死体に変化していないまま、生きていた。

 しかし。

 彼の右目には『サタンの皮膚』を表す紋様がなかった。

 つまり、ただの人間へ戻っていたのだ。

 そしてもう一つ、仰天する事実がある。

 それは、

「まぁいい。小僧、我輩が貴様を守ってやろう。もとよりこれは決定事項だったがな、今回はさらに強調しているぞ」

 床に付いてしまうほどに長いストレートの銀髪に、ダイヤにも劣らないだろう輝きを放つ銀色の瞳。顔の右半分には禍々しいタトゥーのような紋様があり、漆黒のゴスロリ服を着た精々小学生か中学生ぐらいの幼い少女が、可愛らしい靴を履いて降臨していた。

「おい蛇女、喜べ。素直に従順に下僕のように馬鹿らしく喜べ。ただ歓喜しろ。這いつくばって額を地にこすりつけて見せろ」

 銀髪の幼女はニヤリと唇を吊り上げて、握り止めていた蛇の尻尾を雪白千蘭本人に突き返すように振り放した。


「我輩という悪魔の神・サタン様が直々に相手をしてやるのだからなァ」

 


 その笑顔は実に嗜虐的で。『怪物』らしくて。

 悪魔の王様。

 悪魔の神様。

 と、断言できるほどに悪魔らしい少女だった。

 まさしく、最強最悪で最凶最悪な最狂最悪の絶対的な『怪物』だ。

 悪魔という怪物達のリーダー、神として君臨している、怪物を超えた怪物―――サタンだった。

「お、お前……何で」

 目の前にいる少女―――サタンの背中に向けて人差し指を突き刺し、夜来初三は驚きによってうまく動かない口を精一杯使って呟いていた。

「ん?」

 サタンは長い銀髪を揺らして振り向くと、座り込んだままの夜来初三にカツカツと足音を立てて歩き、近寄って行く。

 そして、彼を見下ろすように見つめ、腰を折って顔と顔をぎりぎりまで近づける。

「小僧、貴様と会うのは久しぶりだったな」

「……」

 ゴクリ、と夜来は生唾を飲み込んだ。

「まぁ我輩は、あの事件のあとも貴様の中にいたから貴様の全てを知っているのだが、貴様は我輩を知らぬようだ。いやいや、実に不公平な話だ。裁判を起こしたくなる」

「……絶対ぇお前が負けんだろうが。つーか昔と何も変わってねぇなお前」

「む? 人間界ではそうなのか? 悪魔の世界では、我輩がトップだから何でもかんでも我輩が絶対に勝てたのだが」

「それ裁判の意味ねぇだろ!」

 サタンは妖しく微笑み、ぎりぎりの距離だった夜来との顔の距離を。

「小僧、やはり貴様は……良いな」

 距離を、ゼロにした。

 つまり、接吻した。

「―――っむ!?」

 気づけば。

 夜来初三は、あっという間に己の唇を奪われていたのだ。

 乱暴に、荒々しく、サタンは夜来の唇を我が物にしてしまった。

「美味だな、実に美味だ」

 満足したように口を離して舌をぺロリと出したサタンは、すっと立ち上がって踵を返し、歩いていく。

 巨大な白蛇の化物になっている雪白千蘭のもとへ、歩いていく。

 その後姿を見つめていることしか出来なかった夜来と、唖然としている七色達。この場にいる全員の視線を集めている大悪魔サタンは、雪白を見上げて口を開いた。

「おい蛇女。貴様は我輩の小僧に手を出した。それが意味するものは死という事実程度のこと、理解しているのだろうな?」

「……女ね。なら争う理由がないわ。消えて」

 吐き捨てるように言った雪白の返答で、ようやく気づいた。

ベテランの『悪人祓い』七色夕那は、やっと今までの事態を理解することが出来たのだ。

「そうか、男を狙うのはそういうことじゃったか……」

 放心するように呟いた。

「な、なにが? 夕那さん、何がそういうことなの?」

「一体……何がどうなってるのよ……」

 鉈内翔縁と世ノ華雪花に説明を要求されている七色は、静かに語り始めた。

 雪白千蘭が人魚のように下半身が蛇化してしまったことから、鉈内と夜来―――『男』だけを襲うようになったことまでを。

「まず第一にじゃ、雪白が蛇の化物へと変わってしまったことじゃが」

「そ、そうよ。何であいつは『淫魔の呪い』が解けたっていうのに―――」

「そこじゃ、すでにそこから間違っているのじゃよ」 

 世ノ華の言葉を遮るように言い放った七色は、鉈内と世ノ華、二人の顔を順番に見つめて、当たり前のことを教えてやった。

「誰が雪白には『淫魔の呪い』しか、かかっていないと言ったんじゃ?」

 ハッと息を呑む二人。

 確かに、その通りだった。

 実に、単純な話だったのだ。



 雪白千蘭には『二つの呪い』がかかっていただけの事だったのだ。



 七色は説明を続行する。

「今、雪白千蘭の身体を支配している『怪物』は『清姫』じゃ」

「清姫っていうと……延長六年、九百二十八年の夏の頃に、奥州白河から熊野に来た一人の僧に恋したけど、その僧に裏切られたから、火を吹く大蛇になって僧を焼き殺して復讐したっていう女。つまり男を殺した怪物……だよね?」

「そうじゃ、勉強しておるではないか翔縁。……そして、その清姫という怪物と、雪白千蘭には一つの絶対的な共通点が存在する。それが―――」

 サタンと対峙している最中の、清姫という雪白千蘭を乗っ取った怪物。

 その変わり果てた下半身、蛇の身体を哀れむように見つめて、七色は言った。

「清姫と雪白の共通点とは、『男を憎む』という男嫌いな部分じゃ」

 惚れた男に騙されて、裏切られた結果、大蛇の怪物へと変わり、その男を憎んで復讐を行った清姫。

『淫魔の呪い』にかかる前から、整った容姿のせいで男にいやらしい事をされそうになり、実際に痴漢という犯罪にも両手の指の数じゃ足りないぐらい被害に遭っている雪白千蘭。

 この事実から簡単に、安易に、想像できるだろう事実が一つ。

 それは。

 雪白千蘭が清姫と同様に男を『憎む』に決まっているだろう事実だ。

 男という生き物に数々のトラウマを植え付けられた雪白千蘭が、男を憎まないはずがなかったのだ。

 だからこそ。

 彼女と怪物は一つになった。

 雪白千蘭は清姫と同じで、男を憎んでいるからこそ。

 清姫という怪物に憑依されて呪いにかかってしまった。

 似ていたから。

 清姫と雪白は似ていたから、雪白千蘭は『清姫の呪い』にかかってしまったのだ。

 そして。

 もう一つの呪い、『淫魔の呪い』にも『清姫の呪い』は関係しているのだ。

 そもそも、なぜ雪白千蘭という『男嫌い』の少女に、『男好き』の淫魔が憑依したのだろうか。

 その理由こそが、『清姫の呪い』である。

「おそらく、『清姫の呪い』という『男嫌い』を増す呪いにかかっていることで、雪白はある『理想』を抱いたのじゃろう」

「理想……ですって?」

 首を捻る世ノ華に、七色は大仰な首肯をする。

「うむ。痴漢などを決してしてこない、嫌いの対象に入らない、『自分に普通に接してくれる男』という特別な男がいるかもしれない……というような理想をじゃ。つまり、嫌いなものの中に自分好みの理想を作った。白馬に乗った王子様が自分を迎えに来る、という幼い少女の理想と同じような理想を、雪白は抱いていたのじゃろうな。それも男嫌いだったから、尚更反動が深くかかった理想を」

 すると、

「その通りよ」

 突如、七色達の話に割り込んできた雪白千蘭……ではなく、清姫という『怪物』。

 彼女はうつむいて、語りだした。

「雪白千蘭の身体に最初に宿ったのは私なの。共に男を嫌っている雪白千蘭に、私は憑依した。だけど、雪白千蘭は少しずつあなたが言った『理想』を強く抱いてしまったのよ」

「その結果、想像で理想な頭の中の『理想の男』に『強い好意』を持つようになり、『男好き』の淫魔と一部分の感情が似てしまった。よって『淫魔の呪い』にかかってしまい、男を寄せ付ける体質になってしまった……ということだけじゃあるまい」

 清姫に七色の視線が突き刺さる。

「もともと、わしは疑問が二つあったのじゃ。一つが、なぜ男嫌いの雪白千蘭に、男好きの淫魔がとりついたのかという疑問。これはもう、雪白が『理想の男』に強い好意を抱いたという理由があったから解決したのじゃが……もう一つ疑問がある」

「なによ?」

 七色に顔を向けた大蛇の怪物、清姫。

 彼女のナイフのように鋭い黄色の瞳から目を離さずに、『悪人祓い』はこう言った。



「『淫魔の呪い』のせいで、雪白千蘭には男が欲情して襲い掛かってくるはずじゃ。なのになぜ、女である雪白は一度も犯されていないのじゃ?」



 確かに、おかしかった。

 女が男に襲い掛かれたのなら、それはもう汚されてしまう以外に道はない。男と女の力の差は歴然としているからだ。

 だが。

 雪白は今まで。

 ―――性的暴行を『受けそうになった』

 ―――男に『襲われそうになった』

 という、未遂の被害にしか遭っていないことを意味する発言しかしていないのである。

 つまり実際に犯された経験は一度もないということ。

 それはおかしい。

 女である雪白千蘭が、屈強な男達に襲われても助かるなんてことはおかしい。なぜなら雪白は、ただの女―――貧弱で男よりも力が弱い少女なのだから。

「じゃから、わしはこう考えた。もう一つの呪いである『男嫌い』のお主が、『淫魔の呪い』のせいで犯されそうになった雪白千蘭の窮地を、毎度毎度助けているのではないか、と」

 清姫を指差し、自身の考えを伝えた七色。

 すると、清姫は「くくくっ」と声を押し殺して笑い、感心するような瞳を七色に向けた。

「その通りよ。まったくもってその通り。あのクソ悪魔のせいで、私と雪白千蘭は随分と苦労させられたものよ。私も、雪白千蘭も、心の底から男を憎み、嫌っているというのに、あの淫魔のスキルのせいでクズ男共から犯されそうになったりしたものよ。だけど、それを私が『雪白千蘭の身体を一時的に乗っ取って襲いかかってくる男を半殺し』にしてやってきたから、今まで雪白千蘭も、それに憑依している私も助かってきた。……今思い返せば、本当につらい日々だったなぁ」

 忌々しい過去を思い出したせいなのか、清姫は歯を食いしばっていた。

 しかし。

 突如、清姫は両手を大きく広げて、狂ったような笑顔を咲かせた。

「だけど、それももう終わりなのよ! もうこの雪白千蘭っていう体には私しか存在しない!! 清姫っていう私だけが存在しているのよ!! アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ああもう最高ねっ! これでもう、男から襲われる心配もないし、男に好意を向けていた淫魔もこの体からいなくなったんだから、何より―――」

 雪白千蘭の顔の一部である美しい唇を吊り上げた怪物は、

『男』である鉈内と夜来に向けて殺意が籠められた視線を送る。

「何より、男という生き物に復讐をすることが出来るようになった!!」

 叫び、傷が完全に塞ぎきっていない夜来を狙って、清姫はレーザーのように直進していく炎を口から吹き出した。

「―――ッ!? クソがっ!」

 ヒュン! という、空間そのものを貫いているような高い音が鳴った。豪炎のレーザーが飛び出し、怪我によって動くことが困難な少年に襲い掛かっていく。殺しに向かっていく。

 だが。

「蛇女、もう構わないのだろうな?」

 清姫に向けられた言葉が響くと同時に、豪炎のレーザーは……。あっさりと、彼女の手に触れただけで壊れた。

 一瞬で火の粉を巻き上げて散っていしまい、消失してしまった。

「ッな! あ、あなた、一体何を―――」

「もう、話は終わったのだろう? ならば構わないのだろうなァ?」

 動揺している清姫に発せられた声は、

 ゾッとする声だ。

 背筋が凍る冷たい声だ。

「もう、貴様の内臓をシャッフルして、皮膚を丁寧に一枚ずつ剥いでやって、鼻をすり潰してやっても……構わないのだろォなァ?」

 ターゲットであった夜来初三の前に現れた恐怖を覚えさせる存在。

 悪の神そのものである、完全で完璧な悪。

「もォ、貴様を削って、裂イて、潰しテ、ぶっ壊して、生ゴミに変えてやッてモ、構わなイのだろォなァ」

 悪魔の神・サタンだ。

 彼女は口を引き裂くようにニッコりと笑う。すると同時に、美しかった銀色の両目は白目の部分が墨のような黒色に染まってしまい、銀の瞳が血のような赤い色に変わった。

 さらに、背中からは直径五メートルはある巨大な黒翼がバサッ!! と、勢いよく生える。右目の周りにあった紋様は額から足の爪先まで、体全体にゾゾゾッとサタンそのものを喰うように広がっていった。

 つまり。

 これが、大悪魔サタン本来の姿である。

「小僧、よく見ていろ」

 自分の背後で呆然としている夜来に声をかけたサタンは、黒いゴスロリ服をひらひらと揺らして、清姫のもとへ近寄っていく。

「夜来初三という存在―――つまり貴様と似ている、貴様ともっとも近い存在である、我輩の力をよくその目に焼き付けておけ」

 サタンは、その誰もが恐怖するであろう両目をギラつかせて、

 ありえないほどに、笑った。

 笑顔とは認識不可能なぐらいの、おぞましい笑顔を浮かべたのだ。

 そして、その視線の先にいるサウンドバックは、

「噛み付く相手ぐらい選ぶべきだったなァ、小虫風情が。ミンチにしてハンバーグにしてやろう、ハハ!!」

 清姫という、小さな小さな敵―――つまり雑魚一匹だけである。

 


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