戻った日常?
バサリ、と豹栄真介は暑苦しい布の塊を無造作に脱ぎ捨てる。場所は人気のない路地裏の一つだ。薄暗く、彼のような闇の人間にはお似合いな雰囲気が空間を支配している。
そして。
もう一匹の闇の生き物。
上岡真がニコニコとした表情を浮かべながら近づいてきた。
「豹栄さん、僕が慌てて撤退命令出したとき、舌打ちしましたよねー? ちょっと僕ショックでおしっこ漏らしちゃいましたよー?」
「なんで漏らした!?」
いきなりのボケに対して反射的に突っ込んでしまった豹栄は、咳払いを一つしてから頭を下げて、
「も、申し訳ありませんでした。ただ、やはり今回ばかりは雪花が命を落としかけてたので、どうしても見逃せなくて……」
「うーん、でも豹栄さんの任務は、仕事は、やるべきことは、夜来さんたちの『監視』ですよね?」
「っ……はい」
その通りだ。
あくまで豹栄真介のするべきことは『上』からの指示である夜来初三及びその仲間の監視だ。影から彼らを見張ることこそ、豹栄が行うべき行動なのだ。それを彼はあろうことか『ターゲットの前に現れて』しまった。これは重大な任務違反とも拾い上げられる事実。
何らかのペナルティは受け止めねばなるまい。
「んー、まぁ多分、雪花さんは気づいてないかもですが、夜来さんにはバレちゃってたでしょう。夜来さんって観察力と洞察力がすごいですからね。実際、豹栄さんだって彼に『妹を守っている』って事実バレちゃったんでしょう? 確か表情一つで。だったらそんなに鋭い夜来さんがいきなり現れた謎の男に気づかないわけないですし……任務失敗ですかねぇ」
「……耳を落とせばいいですか? それとも爪を剥がせばいいですか? 今回は命令違反と言える行為を犯しました。何なりとおっしゃってください」
彼の言葉を聞き入れた上岡は腹を抱えて笑い出した。
爆笑、という表現が一番適切であるぐらいに。
「あははは!! 男らしいですねぇ豹栄さん。ますます見直しましたよ。でもまぁ、安心してください。『上』には黙っておいてあげましょう」
「!? で、ですが、いいんですか? それじゃ俺は―――」
「だって、よく考えてみてくださいよ。夜来さんが豹栄さんだって気づいた証拠なんてないですし、何より命令の内容は『監視』です。だったら近くで監視しても遠くから監視してもオッケーじゃないですか」
「……感謝します」
改めて深々と、腰の位置よりも低く頭を下げた豹栄真介に、上岡はニコニコと笑いながら踵を返した。
「それじゃ行きましょっか。一旦、『上』に報告しに」
その後ろ姿を眺めていた豹栄真介は、もう一度頭を大きく下げて、
(本当……なんであなたみたいな人が俺と同じ腐った世界にいるんですかね)
そう。
上岡真は豹栄の失敗を笑顔で許してしまうほど―――甘い。
優しい、とは言い切れないだろう。彼らが住んでいるのは弱肉強食の闇の世界。些細なミスや失敗が後々危険やリスクを呼び込んでくるものだ。
故に失敗などしたら指の一本でも弾くのが正解。
そうして二度と同じ過ちを繰り返させない『しつけ』が必要なのだ。
しかし上岡はそれを行わない。
故に彼は優しいのではなく―――甘い。
だが。
豹栄はその甘さを心から感謝して受け入れる。だから何度も彼の背中に頭を下げたのだ。
上岡の横に歩き並んだ豹栄は、
「……本当にありがとうございます」
「あははっ。気にしないでください、ただ単に僕に感謝して頭下げてくる豹栄さんが見たかっただけですから」
「タチ悪っ!!」
そうして二人は暗い暗い路地裏の道を歩いていく。しかし彼らこそが真っ暗で真っ黒な人間なのも事実。闇と化している路地裏と大して変わらない闇の人間だ。
さらに彼らは『上』という路地裏程度の闇よりも深く、黒い、暗黒の地へ向かって歩いている。
もしかしたら。
豹栄真介も上岡真も、そんな闇に浸っている時点で。
救いようがないのかもしれない。
いつもの朝がいつものようにやってきた。
太陽の光が差し込んできた寝室の窓を開け放ったのは夜来初三。寝起きで機嫌が悪いのか、いつも以上に悪人ヅラが張り付いている。実際、彼の傍にある電線に止まっていた小鳥達は美しいさえずりを鳴らしていたのだが、彼の鋭い目と目がばっちりと合った瞬間に、『ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?!?』という奇声に近い絶叫を上げながら、ものすごい勢いで羽ばたいていった。あまりにも怖かったのか、それとも驚いたのか、慌てすぎて小鳥達は電柱の一つに頭から激突する。
「……間抜けな鳥だな」
自分の目つきが原因だと気づいていない彼は、落下していった小鳥を見てそう呟いた。
窓を閉めて鍵をかける。そして寝癖を整えることはしないまま、リビングへ繋がるドアを開け放ってお気に入りの白ソファの上へ寝転がろうとすると、
「おはよ」
「……チッ。そこは俺の愛用だっつってんだろ。座ンなら別のとこ座れ」
言われた少女はおとなしく白ソファの上から立ち上がった。
スペースが空いたソファに満足したのか、夜来はゴロリと横になる。
が、しかし。
白ソファの上へ寝た夜来の腹部に少女―――唯神天奈は堂々と座り込んだ。しかも勢いをちっとも殺していないので、衝撃が容赦なく襲いかかり少年は軽く咳き込む。
「テッメェ……!」
「白ソファ以外ならどこでも座っていいと言ったのはそっち。男に二言はないはず」
「殺すぞ」
「殺す気もないくせに殺すとか言っちゃう君はおちゃめさん」
「マジぶん殴ってやりてぇわテメェ」
夜来の殺気溢れる低い声や目つきに対して、一切の怯えを見せることない唯神天奈。もしかしたら彼女は夜来にとって一番の天敵かもしれない。
と、口では勝てないと踏んだ夜来が大きな溜め息を吐いたと同時に。
「怖いお兄ちゃん! 朝ごはんまだ!? まだ!?」
亜麻色の髪をツインテールにした幼女がリビングのドアを大きく開け放って登場してきた。しかも寝起きのせいで綺麗な髪がボサボサになっている。あまりにもダラシない彼女に対して、またまた溜め息を零した夜来。彼は唯神をどかし、ソファから渋々と言った風に立ち上がった。
「ったく、ちったぁ静かにしろよクソガキ三号。俺ァ低血圧で朝は機嫌が悪ぃんだよ」
「ふぇ? ていけつあつ? なにそれカッコイイの?」
「なんで容姿観点からの意見が飛び出すんだよ……」
少女、秋羽伊那に近寄っていった夜来初三は、彼女の豪快な寝癖を手櫛で軽く直してやった。最後に寝癖ぐらいは自分で直せと意味を込めたチョップを脳天へ二回叩き込み、踵を返して台所へ向かう。
秋羽は痛む頭を押さえながら、
「うう、なんで怖いお兄ちゃんは私のこと叩くの? 前だって腕折られたりお腹パンチされたり……これっていわゆるSMプレイ?」
「何でそンな単語知ってんだ!?」
テレビをぼーっと眺めている唯神が片手をひらひらと振って、
「ああ、それ私が教えた」
「テメェガキになんてこと吹き込んでやがる!」
「大人の階段を登らせるお手伝い」
「一気に三段は飛ばしてんだろうが!!」
膝を抱え込みながら唯神はまだ眠たそうに目をこする。そこに秋羽がとてとてと近づいていき、可愛らしく小首を傾げた。
「あれ? 天奈お姉ちゃんまだ眠いの?」
「ん。ちょっと昨日は遅くまでサイト炎上させてて……」
「テメェ本当なにやってんの!? 悪趣味にもほどがあんだろ!!」
夜来初三の怒声が今日も今日とていつものように鳴り響く。夜来初三の住んでいるマンションの一室に新しく住み着いた二人の少女は、悪魔の大声を気にすることなく笑いあっていた。
……どうしてこうなったのかと言えば説明が難しい。
なので話は死神を倒したあの晩にまで遡る。




