日陰者と王
生きていた。
いや、やはり生きてしまった。どうせなら死にたかった。この世界に絶望した王だからこそ、彼にとって敗北した後に生きる行動は地獄だった。傷つく民を見て。苦しむ人を感じて。『ゼウスの呪い』のおかげで生命力は跳ね上がり、何世紀という時代を生きてきた王様だから嫌だった。
いくつもの絶望を知っている。
救いなどないことを分かっている。
それでも。
「……滑稽な、話だな」
生きているなら、どうしようもない。
王・アルスは雪の上に転がっていた。内蔵はまだ回復していない。無様に青空を見上げて倒れていた。その空には既に『天界の城』はない。雄叫びを上げて全てを燃やすフェニックスの姿もない。これで完全敗北だ。
言い訳などない。
あの悪人は、死を持ってアルスの全てを握り潰した。
奴が強者だ。
弱者は弱者らしく、強者の下だと認めよう。
「……」
動けない。
いや、正確に言えばどこに動けばいいか分からない。歩くことは出来る。しかし、その二本足で一体どこへ向かえというのだ。『エンジェル』は潰された。今回の大がかりな計画が失敗したことで、下手をすれば、計画失敗に怒りを燃やす『エンジェル』の生き残りに命を狙われるかもしれない。
今のアルスでは、さすがに危険がある。
とにかく歩こう。あの悪人が残した、残酷な世界を生きて苦しもう。
それが罪を背負うということだ。
無様だな、と思う。
世界を平和にするため、天空を支配する城を構築し、最強の不死鳥を味方にし、神々の頂点に立つ『ゼウス』の力を振るって、結局は敗北した。
そして。
今から敗走するのだ。王として君臨していた男が、これから汚い泥沼を歩いていくのだ。
これ以上に笑える話はない。
しかし、だから何だ。
あいつは本物だった。アルスよりも深い部分で悪を理解し、本物を貫くために生きてきた。ならばアルスにだって可能性はある。あの本物を見習って、これからは多くの善悪を知って、あの男のような一流を目指すのも悪くはない。
決意を胸にしまった。
そうして、アルスは新たな道を知るために歩き出した。
それが悪なのか。
それが善なのか。
分からない。新しく得る『それ』が善か悪かは分からない。
本物の悪人。
本物の善人。
その二人と激突したアルスだからこそ、何か、その善と悪の両方を合わせて『平和』を作れるような気がする。正しい善と正しい悪。その二つと戦い、見たからこそ、アルスは何か手にしていた。
世界は。
善も悪も、どちらもあって、いいのではないか。
その二つが上手く拮抗することで、世界とは上手く回っているのではないか。
そんなことを思った。
らしくない自分に鼻を鳴らしたアルスは、フラフラと歩き続けていく。
その時。
ゴシャッ!! と、アルスの顔から血飛沫が上がった。
金色の右目が潰れて、片目を失明したことを表す残酷な現象だった。
絶叫が上がる。
ゼウスの力を使いすぎると変色する瞳。その二つある内の片方を、完全に失ってしまったのだ。内側から吹き飛ぶような感覚だった。グチャグチャに潰れた右目を手で押さえつけて、勢いよく雪の上に転がっていくアルス。
ドクドクと血が漏れてくる。
あまりの激痛に、声にならない声で呻き崩れていた。
しかし、
「無様だな。王とは思えない弱々しさだ」
聞き覚えのある声を聞いた。
無くした目を手で抑えながら、それでもアルスは振り返った。
不気味な男がいた。
右顔には大きな傷跡があった。まるで過去に深く切られたような赤い線が走っている。黒髪と色が抜けた白髪が混じっている、虎縞のようなショートヘアーをしていた。背が高い。同じく高身長なアルスだが、身長で生まれるものじゃない特別な威圧感を感じる。
その男を知っている。
日陰者、その内の一人だと知っている。
「……黒神アルフェレン」
「その名は好きではない。黒神、という苗字そのものが俺は嫌いだ。しかし血には逆えない。クソ忌々しいことに変わりはないが、俺は俺で仕事を遂行するぞ」
「俺の殺害、か」
「当たり前だ。どこの誰がフェニックスを生み出す術式を組んだと思っている。今回のお前の計画、あれだけの魔術知識を貸してやったことで莫大な金がかかった。だからこそ、大悪魔サタンと夜来初三に負けたお前は腹をくくれ。失敗には死を、だ」
「一族の落ちこぼれが偉そうだな。弱者がいきがる姿は滑稽で笑えるぞ」
「黙れ。その落ちこぼれに片目を窃盗されたお前はどうなる」
アルスとアルフェレンは視線を交差させたままだ。話し合いで和解をする様子は毛頭ない。そもそも片目を奪う奇襲をかけてきたのだから、アルスだって平和的解決はありえないと確信している。
黒神一族。
奴らをアルスは知っている。最悪の血を流す化物の一人、黒神アルフェレンとも面識はある。今回の世界平和計画のサポートを頼んだ相手でもある。しかし利害の一致から手を取り合ったようなものだ。アルスの計画が成功すれば、それは黒神一族全体の利益となるから手を貸してくれたのだろう。




