絶望へ突き落とす、最悪の悪魔
そういう願いから。
アルスは今回の戦争を巻き起こした。たとえ今ここで人類の半分を殺そうとも、それでその先から平和が続くなら安い犠牲だ。平和を目指すあまり、その過程の中で悲劇を起こすアルスの姿は、もはや平和を作る王とは呼べなかった。
しかし。
誰よりも平和を望んだ故に、悪へと化してしまった王といえば分かるはずだ。
アルスに善意はあった。ただただ、善意が悪意へ変わってしまうほどの夢だったのだ。
平和な世界が。
どうしても、欲しかっただけなのだ。
「これが、理由だ」
ポツリと言った。
アルスはそう言って笑うと、夜来初三を真っ直ぐに見る。
同じ悪だが。
自分よりも上に立つ、最悪の悪党を見つめる。
「どうだ、悪人。『本物の悪』を背負う貴様から見て、俺の悪は、どうだった……?」
しばし沈黙する。
だが、夜来初三はきちんと評価した。
「クソだな。テメェの悪はクソすぎる」
続けて、一流の悪人は言う。
平和のために悪へと染まった王に、クソと評価した理由を告げる。
「平和なんてものがあるわけねぇだろ。誰も傷つかない世界? 馬鹿かテメェ。いや、馬鹿だな。誰も傷つかない世界なんてできたら、『平和になったら大事なものがなくなる』だろうが」
「……? 大事な、もの?」
「信頼だよ」
ピクリ、とアルスの眉が動く。
意味が伝わっていないことに気づき、面倒くさいが懇切丁寧に説明してやる。
「確かに世界は残酷だ。テメェが生まれた時代もそうだが、現代だって残酷な悲劇は生まれる。今だって殺人だの戦争だのは起きている。日常生活の中でもそうだ。俺だって過去に絶望した。親に、周りに、色々な奴らから悪意を向けられた」
だがな、と付けたした。
夜来初三は薄く笑いながら、こう言った。
「おかげで好きな人ができた。信頼できる相手を見つけられた」
裏切られ。
傷つけられて。
そういう絶望があってこそ、あの少女と出会えた価値は大きいのだ。信頼という絆が生まれて、夜来初三という闇も幸福を手に入れられた。
故に、教えてやる。
一流を知る悪だからこそ、三流の悪を持つ馬鹿に教えてやる。
「だから平和じゃなくていい。誰も傷つかない世界ができたら、この最悪の世界を乗り越えたからこその、大事なものが無くなっちまう。そう、だから頑張るんだよ」
似合わないことは自覚している。
こういう言葉は、隣に立っている善人が告げるべき言葉だ。
それでも、彼は宣言した。
「このクソッたれな世界を生き残って、何度も何度も絶望して、ようやく信頼できるものを見つける。そうやって戦うんだよ。だからこそ、平和なんて生温い世界は誰もいらねぇ」
思わず、鉈内翔縁が絶句して夜来の横顔を見る。
その顔は晴れていた。いつもの悪意だけで構成された表情ではない。数々の地獄をくぐり抜けて、ようやく手に入れた光を知った者の顔だった。
それに彼は気づかない。
だけど、鉈内はもう満足だった。
悪しか知らない夜来初三も、こんな顔になれるんだと分かっただけで、もう彼は十分だった。
「はは」
笑った。
いや、笑ってしまった。
「は、ははははは!! いや、いやいやいや!! はははははははははははは!!」
「……なに笑ってんだ、チャラ男」
「いや、いやいやいや、似合わねえー!! って思っちゃってさ。はははは!! んな悪人面で言うことじゃないでしょ、ギャップってスゲーよマジ!! はははははっ!!」
「チッ」
反論できない言葉に、とりあえず舌打ちを吐く夜来初三。
彼はアルスの襟首を掴んで、ズルズルと引きずって歩き出した。
「なんの、真似だ……?」
「ここから逃がしてやる。黙ってろ」
アルスが目を見開く。
その驚愕は、きっと誰もが理解できることだ。あの夜来初三が逃がすと言った。アルスを殺すのではなく、なんと助けるつもりなのだ。
意味がわからない。
ああ、きっとアルスのような三流小悪党にはわからない。
ここで夜来初三が敵を見逃す理由は、ただ一つ。
「今ここで殺したらつまらねぇ。足掻けよ。俺様のために『平和じゃない世界』を見て、生きて、そんで勝手に死ねよ。それがテメェにとって、一番の絶望だ。俺が今ここでテメェを殺すより、『平和じゃない世界』にテメェを生かすほうが苦しみが強い」
邪悪に笑っていた。
この男は、どこまでも敵を追い詰める残酷な悪魔だった。
「……好きにしろ」
かすかに笑い返して、王は抵抗しない。
夜来初三は吹き飛んだ城壁の先から下を覗く。そこには雲海が広がっていた。このまま地上に投げ落とせば、きっと、既にある程度は回復しているアルスは生きてしまうだろう。
そう。
この最悪の世界に、誰よりも苦痛を感じるアルスが、生きてしまうのだ。
故に、
「さあ絶望しろ。俺だけの為に生きて死ね」
アルスを放り投げた。
無造作に王を地上へ投げ落とし、彼にとっては地獄そのものである世界に逃がしてやる。
落ちていくアルスは、小さく小さく笑っていた。
あれが本当の悪なのか、と呟いて絶望の渦に飲み込まれていった。




