暴走と返還要求
鉈内は見た。
アルスの顔から余裕が消えて、静かに床へ倒れた姿を。
「……たお、した?」
呟く。
思わず、自分の怪我のことなんて無視して、あのアルスが床に転がっている事態に意識を向ける。倒してしまった。あまりにも簡単に、夜来初三は『エンジェル』のトップ・アルスを撃破してしまったのだ。
強い、のではない。
ただただ、夜来初三は絶対的だった。
「まさ、か」
信じられない量の血を傷口から流しながら、アルスは仰向けで転がったまま呟く。
血が喉に溜まっているのか、かすれるような声だった。
「ゼウスを使う俺が、悪人一人に負ける、とはな」
自虐的な笑みを浮かべる。
自分の情けなさに、思わずアルスは口の端を釣り上げていた。
「もう、回復も無理か。あくまで俺は回復力が高いだけで、内蔵もろとも切り捨てられたら、どうしようもない。かろうじて傷口の回復は行っているが、どうせ間に合わないだろう」
ここまでか、とぼやいた。
ついに負けを認めたアルスは、自分を見下ろす夜来初三にこう言った。
「さっさと殺せ。この戦争、貴様の勝ちだ」
「……」
黙って夜来は刀を振り上げる。
その白い前髪から光ったのは、獣のような赤い眼だった。殺す気だ。それは正気の夜来初三だとしても行う行為。殺人に対する罪悪感など、殺す対象者が敵ならば悪人である以上躊躇わない。
だが。
振り上げた刀は、そこでピタリと停止する。
「待って。もういいでしょ」
ボロボロの体を使って、いつの間にか近寄って来ていた鉈内が阻止したのだ。刀を振り上げている夜来の右腕を掴む。ガッシリと、絶対に命を奪う刃を使わせないために邪魔をしたのだ。
その長すぎる白髪のせいで、特に夜来初三の表情は分からない。
しかし、鉈内は構わずに言う。
「こいつは死ぬ。それは僕が見ても分かることだ。なら、もうやめろ。これ以上やったら、僕は君を軽蔑するぞ。明らかに、もう手を出す必要はないじゃんか」
何も答えない夜来初三。
しかし、返事の代わりと言うように殺意に染まった眼を覗かせてきた。
「っ」
その眼光に鉈内は射抜かれる。
膝が震える彼だったが、それでも善として引き下がるわけにはいかない。
「これ以上、こいつの体をグチャグチャにする気か!? 僕の前でそれはさせない。ここには僕っていうお人好しがいることを忘れるな。さすがに助けろとは言わないよ。そこで転がっている奴は、僕の大切な人達を深く傷つけている。だから許す気はない。こいつを助ける気は僕にだってないさ」
「……」
「だから、僕が助けるのは君の方だ!! これ以上その刀を汚す気か!? 返り血を浴びる気か!? それはもう、本当に人間じゃできない所業だ。君は悪人である以前に、正真正銘の化物になる。その血で汚れた手で、あの雪白ちゃんに触るのか?」
「……」
「そんなのは許さない。考えろよ。お前はもう、悪い奴になる必要はないんだ。ここには雪白ちゃんはいない。だから、これ以上自分を悪い奴にする価値はないはずだ」
「……」
「分かったら、さっさと刀を下ろせ。もう、君はじ―――」
そこで鉈内の言葉は途切れた。
理由は単純。うるさい説教に飽きたのか、夜来初三が鉈内の首を片手で締め上げたのだ。足が床から浮く。思わぬ事態に反応できなかった鉈内は、激しい呼吸困難に陥った。
「が、ぁ……!?」
ここまで正気を失っているとは思わなかった。
敵味方の区別も出来ない。ただただ邪魔になったものを排除する殺人兵器と化していた。それが今の夜来初三。この場に雪白千蘭という少女がいれば、もしかしたら夜来初三も我を取り戻すかもしれない。しかし彼女の助けなどなく、ただただ鉈内の意識が落ちていく。
何があった。
本当に、夜来初三の身体に何があったのだ。
薄れていく視界の中で、鉈内は静かに夜来初三を変えた元凶を憎んでいた。
(ちく、しょう……がッ……!!)
限界が来た。
苦しみも消えて、深い闇に落ちていくように鉈内は死ぬ。
その寸前、
「貴様。なにをしている」
声が聞こえた。
鉈内にとって聞き覚えのある、邪悪で禍々しい魔王の声。それは夜来初三の背後から響いた。銀色の髪が揺れ、小さな拳を振り上げている悪魔がいたのだ。
黒い魔力を纏った彼女は、怒りのあまり焦点が合っていない目を見開く。そして、殺意でその両目を血走らせている悪魔の神は、声は出さずに口を動かした。
言葉は聞き取れない。しかし、鉈内には悪魔の口の動きだけで意味はわかった。
彼女は、こう告げたのだ。
「我輩の小僧だ。さっさと返せよ」
大悪魔サタン。
彼女はただ、本気で獲物の頭を殴り飛ばした。
その結果。
ゴガガガガガガガガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!! と、激しい轟音を響かせて夜来初三は豪快に飛ばされた。弱っているサタンとはいえ、その不意打ちは強力だった。何度も地面をバウンドして吹き飛んだ夜来初三は、完全に倒れて動かなくなる。
脳を揺らす一撃。
倒せないことは分かっていたから、サタンは気絶させることに特化した打撃を行ったのだ。
「がはっ!! ごほッ!!」
解放されて尻餅をついた鉈内は、すぐに呼吸を整える。
そして、目の前に立つ銀髪の悪魔を見上げた。
「い、生きてたんですか、サタンさん」
「気絶させられただけだからな。アルスとかいう小虫にとって、我輩は貴重な道具だ。殺されることはまずない。まあ、というか」
チラリ、とサタンは離れた場所で転がっているアルスに目を向ける。
そして溜め息を吐くと、
「その敵の親玉は、とうに倒されているようだな」
「は、はい。一応、その……」
「言わんでいい。この状況から想像はつく」
化物へ染まった夜来初三。
意識を落として転がっている彼のもとへ、サタンはゆっくりと歩いていく。
「小童」
振り向くことはしないまま、サタンは鉈内に言った。
「今から小僧を正気に戻す。貴様はそこで待っていろ」
「ど、どうやって……」
「ふん。そんなもの、決まっている」
夜来初三の内側で何かあるのならば。
唯一、夜来初三の内側に入れるサタンがその問題を解決すればいい。
「我輩の小僧だ。他のカスにくれてやるつもりは毛頭ない」




