その欠片は、彼だけが得たもの
「ふざ、けるな」
ソプラノの声が震える。
恐怖と激怒によって構成された呟きは、直後に凄まじい勢いで怒声へ変わる。
「フェニックス……!? どうやってあんなものを手駒にしたんじゃ!! あれがどれだけの被害をもたらす怪物かは貴様も知っているだろうッ!! 時雨!!」
七色夕那がザクロに激昂する。
冷静な判断能力と完全な実力を兼ね備えた、最強の『悪人祓い』でさえ声を荒げるほどの驚異が、今まさに天空を支配していたのだ。そして気づけば、あちこちで起こっていた『夜明けの月光』と『エンジェル』の部隊員たちの戦争は幕が下りていた。全ての者が空を盛大に燃やす炎の鳥に目を奪われてしまい、闘争心だの敵対心だのは全て投げ捨てられていた。
直後のことだ。
七色夕那やフラン・シャルエル達を見下ろしていたフェニックスが動いた。
口を開けた。
ただそれだけだった。
それだけの動作で、口から莫大な炎が放出された。
ただし。
それは炎というよりは灼熱地獄。
ユーラシア大陸の四割は飲み込む量の豪炎は、全てを焼き尽くすこと間違いない。
それは七色たちの地上を襲うことはなかった。
フェニックス自身が滞空していたおかげなのか、その爆炎は本当の意味で空を丸ごと飲み込んだ。一瞬で雲は消えて、爆発的に天空が赤く染まり上がる。あれが地上を襲ったならば、七色達だけじゃなくザクロ達やこの大陸ごと消滅させられることだろう。
だからこそ。
七色夕那という温かい人間は、この戦いに関係のない人間まで殺戮するだろう不死鳥の野放しをどうしても許せることはできなかった。
「時雨、いい加減にしろ!! これが貴様の言う『平和な世界』を作り上げる為の代償なのか!? あまりにも釣り合っていないじゃろうが!! あんな怪物に罪の無い子供や大人が殺されて出来上がる平和なんぞ、もはや平和じゃない!! さっさとあれを止めろ!!」
「……やっぱり。あなたは分かっていない」
ザクロは大きな溜め息を吐いた。
呆れるように目を細めて、無情な言葉を投げ飛ばす。
「私はあなた『だけ』を救えればそれでいい。あなた『だけ』が平和になるならそれでいい。その為ならば女子供など海に沈めて、男はグチャグチャに虐殺してやる。私はそういう思考回路なんですよ。お人好しなあなたとは考え方が決定的に違う」
「お主はそこまで歪んだのか!! 傷ついている人を見たら助けようと考えることも出来ないほど壊れたのか!! ふざけるなッ!! 関係のない人間まで巻き込んで、自分のために他者を蹂躙するような貴様らは人間じゃない!!」
「だからウチの伊吹が言ったでしょう。これはあなた達のような光の人間が関わってはいけない戦争だと。根本的に悪に染まったクズだけしか生き残れない世界なんですよ。悪人よりも極悪人が生き残る。そういう弱肉強食なクソッたれなルールなんだ」
そこで口は閉じなかった。
ザクロは続けて、力強く言い放つ。
「あなたの育てている子供にも、一人、そういう悪に染まったガキがいるでしょう」
「っ」
「はは、まったく笑える話だ。私を除いたあなたの子供、そのうちの一人がまさしくいい例だ。片方は慈愛に満ちたあなたそっくりの善人。だが夜来初三はどうですか? 私たちと同類だ。いや、あいつはそれ以上の怪物ですよ。よくもまぁ、あんな悪魔のような狂犬を飼い慣らせましたね。私でさえ身震いするほど、あいつは人間の心を捨てている」
「……黙れ」
「鉈内翔縁に関しては驚愕しています。七色さんの本当の子供なんじゃないかと疑うほど、あいつはあなたにそっくりだ。優しく、正しく、光であろうとする。対して、夜来初三はあまりにも歪みすぎている。さあ、思い出してください。夜来初三という悪魔を一番傍で見てきて、一番深く関わってきて、育ててきたあなたならば分かるはずだ」
「……黙れと、言っているじゃろうが」
「あいつと私は、あなたとは思考回路が違いすぎる。七色さんとは分かり合えない。私や夜来初三には化物なりの生き方があり、あなたや鉈内翔縁には人間らしい生き方がある。それをあなたは分かってい―――」
「うるさい」
それ以上は言わせなかった。
七色夕那の金色の瞳から、ついに情けという色が消失した。
「それ以上、儂の可愛い息子を愚弄するなよ」
右手に握る伝説の剣。
その莫大な力を宿した神剣を、水平にひと振りしてやった。ゴバッッッッ!! という轟音と共に、衝撃波が空間や地面を削り取る。全ての障害物を木っ端微塵に破壊して、その衝撃という一撃はザクロの身体を思い切り吹き飛ばした。
だが。
そのはずだったのだが。
直撃の寸前で、ザクロの前に男が割り込んできた。伊吹連。その身に九尾の狐を宿した、ザクロの忠実な部下の一人だった。当然のことだが、身代わりになった彼の身体は血を撒き散らした。バケツから大量の水をこぼした時のように、ビシャビシャと血を吐き出して数メートルは吹っ飛んだ。
「……い、ぶき……?」
呆然とするザクロ。
七色夕那もまさかの事態に、思わず口を半開きにしていた。あの一撃はかなり本気だった。大事な息子を傷つけられたことに対する怒りや、冷酷な人間になってしまったザクロに対する怒りもあったからだ。殺すほどの威力はないが、骨の一本や二本は粉々になる攻撃だったのだ。
そこで。
ようやく、ザクロはフラフラと歩き出した。血まみれになって倒れている伊吹のもとへ、彼はダメージを負った身体を引きずるように足を動かす。
「何を、している……?」
ザクロも重傷だった。
七色に瞬殺された時の傷は、あまりにも深いため戦闘続行は不可能。だが初めから自分の歩む道を決めていた彼は、最後まで七色と敵対してでも自分は自分らしく行動すると決心していたのだ。
故に、あのような挑発的な発言をして七色を怒らせた。
しかし、
「なぜ、貴様が……私の代わりに、血まみれになっているんだ……?」
自分をあの場面で助けた部下の姿に、ザクロは純粋な疑問を覚えていた。なぜ助ける。戦争の中で誰かが死ぬのは当たり前で、それが上司であっても仕方ないはずだ。
わざわざ。
ドロドロとした血を吐き出して、真っ赤に汚れて無様に倒れて、死にかける怪我を負ってまで助ける道理はないはずだ。
「なぜ助けた」
ポツリと言った。
足元で転がっている伊吹連は、薄く薄く笑っていた。
満足そうに、ただ笑っていた。
「おれ、は……あなたに、救われ……ました……」
呼吸もうまく出来ていない。
血が喉の中に詰まって、息を吐くことも吸うことも難しいのだ。
「あなたが、死ぬより……おれが、死にたかった。それだけ、ですよ……」
「意味が分からん。私は貴様を手駒として見たことはないと言ったはずだ。なのに、貴様は俺に従順すぎる。おかしいだろう、一方的に貴様が俺を気にかける理由がまったく分からん」
ザクロは心配する様子はない。
まるで馬鹿を見るような、呆れた顔をして尋ねていた。
だが、
「時雨」
七色は教えてやった。
光を忘れた哀れな息子に、光の欠片がそこに落ちていることを伝えてやった。




