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強者と狂者

 起き上がれるはずがなかった。完璧に意識を刈り取られた夜来初三は、アルスの思い通りに料理されて敗北するはずだった。呪いの侵食とは激痛を伴う。それは呪いを使う量に比例して痛みを増すのだ。紋様が広がれば焼けるような不快が走り、その苦しみと同時進行で精神的なダメージをもらう。

 怪物に染まることで怪物の力を使える。

 サタンになることでサタンの魔力を振るえる。

 あくまで、そういう代償を伴う力が呪いなのだ。

 だから、それを知っているアルスの顔が困惑するのも無理はない。驚いたというよりは怪訝そうな表情になっていた。

 それもそのはず。

 なぜなら、



 グググ、と。

 壁に右手をついて、折れそうになる両足を使って、無理やり夜来は立ち上がったのだから。



 痛々しい姿だ。

 瞳は不規則に震えていて、目玉が上や下に動いている。焦点が合ってないだけでなく、小刻みに揺れる膝は今にも崩れそうだった。唇を血で真っ赤に汚している彼は、自分の体重に負けそうになっている状態だということだ。

 勝てるわけがない。

 己の重心を保つことも出来ないガキが、アルスという王に届くはずもない。

 だからこそ、

「……なにをしている」

 アルスは眉根を寄せて尋ねていた。

 驚異は感じられない。危険なんてない。今の夜来ならば、その辺の不良だって殴り倒せるレベルだ。

(いや、待て。こいつの意識は完全に落としたはずだ。俺の一撃をくらって、こうも短時間で回復できるはずがないだろう)

 疑問点を見つけたアルス。

 だが、彼はフラフラと壁によりかかっている夜来の全身をまじまじと眺めて、

「っ」

 それに気づいた。

 夜来初三の左手にある小指。それが折れ曲がっていたのだ。関節に逆らうようにねじ曲がっている指は、誰が見ても骨折していることを示している。

 そこから答えを見つけたアルスは、思わず笑い声を上げていた。

「ははッ!! はははははははははははははははははははッッ!! 俺の一撃が当たるタイミングと同時に、『指を折る激痛で意識を失うことを回避した』のか!? 器用なやつだ。気を失うタイミングと同時に指を折れなかったら、意識をつなぎ止めることは出来なかったろうに」

 一通り大笑いしたアルスは、気を取り直して拳を握った。

 殺すわけにはいかない。

 夜来初三は世界を変えるための、替えのきかない道具なのだから。

「まァいい。次はどの指を折る気なんだぁ弱者がァァァあああああああああッ!!」

 体重を乗せた拳を、思い切り夜来の額へ飛ばす。こいつは既に魔力を使う判断能力も失っている。ただ必死になって立っているだけの的に過ぎないのだから、多少は大振りになっても問題ないと思ったのだろう。

 結果、夜来はサッカーボールのように吹っ飛び、今度こそ激痛に耐え切れず起き上がることは出来なくなるはずだ。指を折った際にも魔力を使ったのだろうから、呪いの侵食から発生するダメージで自滅する。

「っ!?」

 はずだった。

 アルスが勝って、弱者を踏み潰して、結果的に笑い声を上げるはずだったのに。

 ゴガン!! と轟音が炸裂した。

 夜来初三は顔面に叩き込まれた拳に、何も反応することがなかったのだ。おかしい。夜来の額に埋まっている拳は、明らかに気を失って当然の爆弾だった。

 だが。

 ガシ、と腕を掴まれる。

 額に叩き込んだままの腕を、夜来初三の右手に鷲掴みされた。

「チッ!!」

 予想外の事態に舌打ちしたアルスは、空いている左手を握りしめて腹部を殴りつけた。あばら骨の数本が折れた音が室内に反響し、その激痛が夜来初三を襲う。

 そう確信していたのに、夜来初三は表情一つ変えない。

 ガッチリと、アルスの腕を掴んだまま、耳まで裂けたような笑顔を浮かべた。さらにダラリと下げていた左手をアルスの鎖骨に這わせていく。次第に喉元へ向かっていく手が―――王の首元を凄まじい握力で握り締めた。

「―――ごはッ!?」

 あまりの力に、声帯が潰されそうになる。

 呼吸を詰まらせたアルスは、我を取り戻して反応する。

(ッ!! まさか!?)

 咄嗟に夜来を蹴り飛ばす。

 ゴロゴロと転がっていく奴は、それでもニヤニヤと笑って壁に寄りかかるように立ち上がった。

 痛みを感じていない。

 まるで衝撃を感覚として受け取っていない様子だった。

 思わず、アルスの表情に明確な恐怖が浮かび上がった。



(こいつ、魔力を使って自分の神経を破壊したのか!?)


 

 痛みを感じるから立ち上がれない。

 ならば痛みを伝えてくる厄介な神経を破壊すればいい。

 そういう考えだけで、夜来初三は『痛み』を捨てたのだ。神経を完全に壊すということは、反射などの身を危険から守る反応も行われないはずだ。最悪の決断だったのだろう。体を動かすための神経だけを頼りに、夜来初三はこうして立ち上がれている。

 あまりにも。

 頭のネジがぶっ飛んでいた。

「は、はは」

 しかし面白い。

 こうでなくては、つまらない。予想外の戦い方に、思わずアルスは笑顔になっていた。

「はは!! くっはははははははははははははははッ!! アっははははははははははははははは―――――――ッッッ!! 弱者卒業おめでとう! 王の俺から直々にパーティーを開いてやろう!! 貴様は強い、ああ強い!! 現に俺の首を絞められたんだ。俺に恐怖を植え付けた貴様は、もう立派な『狂者』だよッ!!」

 楽しそうだ。

 強すぎる自分に、ようやく『怖い』と思わせてくれる強い敵が現れたことで、強者の王は気分が高ぶっている。

「いいぞ、本気を出してやる!! だが死ぬなよ? 貴様に死なれては計画は破綻するからな」

 瞳の色が変わっていく。

 金色の瞳を持つ右目が、ルビーのような赤に変色する。ジワジワと絵の具が水に溶けていくように、その瞳は美しい赤へ染まりきった。

 ついに、王の力を発揮する。

 もうただの殴り合いじゃない。かつて、夜来初三を瞬殺したような絶対的な力が、暴雨となって降り注ぐ。

「さあ狂者!! 王の俺を恐怖させてくれた狂者よ!! もっと返り血を浴びて見せろ!!」

 


 



 

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