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そいつは、来た

 世ノ華雪花は走っていた。服はびしょびしょで髪も肌に張り付いている姿でも、彼女は基地内を全力で駆け回っていた。

 数分前の出来事だ。

 いきなり視界がブラックアウトしたかと思ったら、基地内が川のように水浸しになっていた。話によれば津波。それもかなりの大被害を生んだのか、まだ見つかっていない者もいる。水で濡れた廊下を走って、生存者の確認をしていた世ノ華は空き部屋を蹴り破った。

 タンスの下敷きになっている男を見つける。

 急いで駆け寄り、意識を失っている男の救出活動に移った。

「く、そ……!! 何でいきなりこんな目に……!!」

 世ノ華雪花は羅刹鬼という怪物を身に宿している。故に、片手でゴミを捨てるような調子でタンスを後方へ投げ捨ててしまった。あっさりと男を担ぎ上げた彼女は、生存者が集まっている広間へと戻っていく。

(こういうときは、素直に自分の馬鹿力に感謝だわ)

 広間へ戻り、すぐに『悪人祓い』の医療班の元へ駆け寄って、男を手渡す。傷はそこまで深くないようだ。命に別状はないと言われた世ノ華は、息を吐いて広間を見渡す。

 数々の怪我人が出ている。

 今のところは死亡者の発見はないので、結果的に考えれば安堵の息を吐いてもいいのかもしれない。

 しかし、世ノ華は休んでいる暇はないと己に言い聞かせて、怪我人の手当をしている二人の男女のもとへ近寄った。

「手伝いますよ。何をすればいいですか?」

「よ、世ノ華さん。あなたは十分、行方不明者の発見に勤めてくれたんですから、少し休憩してはいかがですか? かなり私たちは助かってますよ、これ以上は大丈夫です」

「ですけど、やっぱり何もしないというのは……」

 その時だった。

「っ!」

 世ノ華が危険を察知して、思わず振り向いた時だった。 



 ゴバッッ!! と、広間の壁が盛大に砕け散った。



 当然のように、悲鳴や甲高い絶叫が上がる。だがしかし、世ノ華はそれよりも襲撃をしかけてきた相手に意識を集中させていた。

 全身を黒い防具で包んだ、銃火器を所持した部隊が乗り込んできたのだ。

 一瞬で辺りを囲まれたと同時に、銃声や悲鳴が連続して起爆する。

「―――ッ」

 恐らくは、リーゼが話していた『エンジェル』とかいう組織に違いない。いや、相手が誰であろうと、向こうから喧嘩を売ってきたのならば買えばいいだけの話なので、世ノ華は目の色を変えた。

 角が生える。

 右手には、いつの間にか金棒が握られている。

 直後に、

「散れ」

 金棒をただ振った。

 右から左へ水平に、ただひと振りした。

 それだけで莫大な風圧が走り抜け、二十人ほどの敵兵を外へ吹き飛ばす。雪原へ世ノ華も足をつけて、動きにくい室内から外へ出た。一面は銀世界。その真っ白な世界には、虫の大群のように黒い特殊服を身につけた者達がうじゃうじゃと群がっている。

 さらに、空には壁があった。

「っ」

 いや、壁と見間違えるほどのサイズを誇る城が浮かんでいた。次から次へと発生する厄介な展開に、無意識に大きな舌打ちを吐いた。

 敵兵をロックオンする。

 勝てるかどうかは、分からない。

 連中にも強力な『悪人祓い』などがいた場合、世ノ華といえど勝機は薄くなるはずだ。

 そして。

 最悪の運命が、決定された。



「何だ。奇遇じゃないか、世ノ華雪花よ」



 終わった。

 本当の意味で、終わってしまった。

 世ノ華の攻撃的な瞳の色が、徐々に薄くなっていく。

 見覚えはあった。自分一人では到底敵わない領域に君臨する、金色に輝く髪と神秘的なオッドアイを持つ王がいた。アルスだ。鉈内翔縁を瞬殺し、怪物最強の筋力を振るう世ノ華を片手でねじ伏せるほどの力を持つ、正真正銘の化物がいた。

 勝率はゼロだ。

 逃亡成功確率もゼロだ。

 つまり、全てが終わったのだ。 

「おい。会っていきなり戦意喪失とは失礼にも程があるだろう」

 アルスは首の関節をコキコキと鳴らして、静かに歩いてくる。 

 雪を踏む規則的な足音だけが響く。

 それはまさしく、世ノ華に降り注ぐ死の到来を示してくれていた。 

 殺される。

 その絶対的な運命が決定したことで、あの世ノ華は震えていた。膝がガクガクと揺れて、体重を保っていられない。喉の奥が乾燥地帯となっていき、水分をよこせと騒いでくる。

 冷や汗が頬を伝う。

 心臓が、今にも爆発する勢いで胸の内側を叩いてくる。

(う、そ。やば、これ……!!)

 王の持つ、神々しい金眼と銀眼が近づいてくる。

 助かる道はない。

 心臓がえぐり取られることは、嫌でも察せる。

 故に、

(に……兄、様……)

 信頼している相手を、胸の内で呼んでいた。

 もちろん。

 現実はそう甘くない。兄様など、この状況下で現れはしない。

(たす……け……)

 アルスは右手を開いた。

 指を付け合わせて手刀を作り、世ノ華を一刀両断に切り裂く準備を整えたのだ。

「忠告はしたな。だというのに、お前は俺の前に現れた」

「……ぁ」

 かすれた声を鳴らし、呆然とする世ノ華を無視する。

 アルスは腕を伸ばせば届く距離にまで近寄ると、その刀代わりの右手を軽く後ろへ引いて、

「骸になれ。即死させてやる」

 その瞬間。

 世ノ華の胸を王の手が貫く瞬間。

 ゴバァァァァァァァァァ!! という、鼓膜を破いて脳を叩いてくるような爆発音が炸裂した。世ノ華が気づいた時には、目の前に立っていたアルスが三十メートルほど先の雪原まで吹き飛んでいた。

 あのアルスが、雪の上を転がって服を汚したのだ。

 それだけの一撃が、たった今炸裂したのだ。

「貴様、誰だ」

 ゆらりと立ち上がったアルスは、反射的に警戒心を込めた声で尋ねていた。

 対して。

 世ノ華を土壇場で救い上げた『そいつ』は、汚れ一つ無い白いスーツを着用していた。特徴的なのは燃えるような赤い髪と、たった今、慣れた動作で口元に加えた一本のタバコだった。

 タバコの先にライターの火を付けた『そいつ』は、吸い込んだ煙を味わって吐く。

「誰だ? ああ、悪い悪い自己紹介しなくちゃな」

 つまり。

 その正体は単純で、

 


「ただのシスコンだよ。スーパーシスターコンプレックスだ」



 今度こそ唖然としてしまった世ノ華は、目の前に立つ兄の大きな背中をただ見つめる。

 兄様は来なかったが、『兄』は来た。

 タバコを加えたその男は、嗜虐的な笑顔と共に王と対峙する。

 



 

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