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理も常識も理論もぶち壊す

 思わず白がギョッとする。たった今、夜来初三は自らの手で体内に毒を注入してしまったのだ。

 それも、意図的に。

「……く、はは」

 だが笑う。

 咄嗟に止めようと動いた白も、夜来初三の凶悪な笑顔の前に足を止めてしまう。あの顔は、絶望していない。夜来初三という悪だけが生み出す邪悪な笑顔から、まだまだ勝機があることは分かった。

 信じるしかない。

 白は、ゆっくりと雪白を抱きかかえて後ろへ下がる。

 その時だった。

 ゴバッッッ!! と、凄まじい勢いで漆黒の魔力は吹き出してきた。夜来初三の体から飛び出てきた黒い粒子は、その膨大な勢いを休めることなく溢れ出てくる。

「が、ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?」  

 さらに魔力の消費が激しかったようで、『サタンの皮膚』を表す紋様が顔全体へ広がっていく。髪は八割ほどが銀髪へと変色してしまい、呪いの侵食から発生する激痛に加えて毒の熱が身を燃やす。

 それでも。

 どれだけ苦しくても。

(すぐに、治すって約束したんだよ……!!)

 折れない。

 心だけは折れない。

 血管の中に毒が回ったのか、動脈に芋虫が這い回るような感覚が走る。気持ち悪いだけじゃなく、皮膚を内側から噛じられていくような痛みが細胞を傷つける。

 これだけの痛みを、雪白千蘭は味わっている。

 今まで、ずっとずっとずっと、この悪夢に傷つけられているのだ。

 改めて、吐き捨てる。

(ふざけるなよ……!! こんだけ痛い思いしてるあいつを、これ以上苦しませるわけねぇだろうが!! 戦う? 逃げる? そんな時間もねぇんだよ!! 今すぐあいつを解放してみせる。いちいち時間なんざかけねぇ!!)

 夜来初三がしていることは、単純であって恐ろしい真似だ。

 自らの体内に雪白を苦しめている毒を打ち込んだ。よって夜来初三は『自分の体に回った毒を破壊する』ことを実践している。そうすることで、毒を構成している物質を見極めて、『何が毒なのか』を理解することが出来る。

 自分の体を襲っている毒が物質Aだと分かれば、必然的に同じ毒に苦しんでいる雪白を救うためには物質Aを破壊すればいい。そういう簡単な理論だ。つまり、これは軽い人体実験。夜来初三という体で毒を破壊できれば、雪白の体に巣食う毒が『どういうものか』理解でき、毒というターゲットを完全に認識できる。

 何が毒なのか。

 それさえ分かれば、後は『絶対破壊』で雪白の体内に潜む毒だけを破壊できる。

 だから。

(これで俺が死んだら、そりゃ確かに本末転倒だろうよ!! けど、あのクソ野郎の言うとおりに動いたって最終的には俺も雪白も利用されて終わる可能性が高い。だったら!! だったら、俺の手でまったく新しい道に突き進むほうが生存率は跳ね上がる!!)

 死んでも助ける気はない。

 雪白のために命をかける気は毛頭ない。

 なぜならば、そんなカッコイイ理由を付けて死んだから何だ? それが正しいとでもいうのか? 死んでまで雪白を助けることが偉いのか? 

 違う。

 本当に正しい一流の悪人としての選択とは。



 生きて雪白千蘭を救い出す。

 そうして、彼女を笑顔にさせることなのだ。



(雪白を守って死ぬ……? ふざけるな。それじゃ、雪白が俺の死に傷つくことになるだろうが!! だから生きる。生きて助ける。命なんてかけるまでもねぇ、楽勝だ楽勝!! 全部ぶっ壊してパパっと救ってやるよォォおおおおおおおおおおおッッ!!)

 血を吐きだした。

 己の体内に魔力を流し込み、有害物質だけを検索して破壊していく。その破壊の威力を間違えてしまい、思わず血管や内蔵を巻き込んでしまったのだ。あまりにも残酷な絵だった。雪白を抱いたまま、膨大な魔力の渦の中で毒の解明に立ち向かっている夜来を見つめる白も、血を吐き出して膝を震わせる彼の姿を直視できなかった。

「ご、っぼあ……っ!?」

 ボチャ、という生々しい音が響いた。

 足元に血の塊が転がったのだ。口から落ちたそれは、明らかに体内がズタズタになっている証拠を表してくれるものだった。

 膝をついてしまう。

 雪原の上へ崩れ落ちた夜来初三は、それでも魔力の操作だけは停止しない。絶対にここで助けてみせる。もう二度と、雪白千蘭の痛みに歪む顔だけは見ない。今ここで全てに終止符をうち、ついでに『エンジェル』を叩き潰してみせる。

 救う。

 ここで、救う。

「ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 悪人の絶叫が雪原で響いた。 

 喉が裂かれる。声帯がブチギレて二度と喋れなくなるかもしれない。だが、生きて雪白を救えるならば満足だ。声が出なくなろうと、目が失われようと、耳が聞こえなくなろうと、生きてさえいれば雪白と共にあの日々を取り戻せる。

 体のほとんどが血で染まっていた。

 皮膚がところどころ内側から裂かれてしまい、血がいたるところから飛び出てくる。

 血飛沫を全身から噴出させながら、それでも夜来初三はやめない。

 魔力の出力をさらに上げて、辺りの雪を吹き飛ばす。同時に体内へ魔力を流し込み、可能な限り的確に毒を破壊していく。

 あの日々へ帰りたい。

 雪白千蘭と過ごしていた、あの温かい仲間たちとの日々へ戻りたい。

 それが、夜来初三の夢だった。

 そんなものは。

 ただの幻想かもしれない。

 ただの空想かもしれない。

 ただの妄想かもしれない。

 あれだけの悪行を繰り返し、闇に浸らなくては生きてこれなかった極悪人が、何を今更願っているのだと誰もが思う。人を傷つけることで笑い、善という光を真っ向から否定し、自分を悪と肯定して生きてきたクソ野郎が調子に乗るなと誰もが叫ぶ。

 死ねばいい。

 夜来初三のような悪人は、死ねばいいと宣言する者もいるかもしれない。

 それだけの悪が夜来初三だ。故に、世界から拒絶されても彼は納得するだろう。

 しかし。

 今回だけは、納得できない。

 確かに自分は消えたほうがいいのかもしれない。自分のような悪党は、さっさと腐敗したほうがいいに決まっている。

 もしも、それが世の理ならば。

 悪はさっさと消えるべき、という誰もが無意識に確立させている一般的な常識が本当ならば。

 それが世界の理論ならば。

 それが悪の辿るべき末路ならば。

 それが神様が作ったシステムならば。



 そんなもの、全部まとめてぶち壊してやる。



 生きなくてはならない。

 雪白千蘭のためにも、自分は生きなくてはならない。

(ち、くしょうが……)

 どれだけ闇であろうとも。

 必ず、あの大切な少女との日常へ帰ってみせる。

(ああそうだよ!! 今更なにをビビってんだ!! あいつと生きて帰りたいんだ!! あいつの笑った顔に、今度こそ笑い返してみたいんだよ!!)

 次は。

 自分から、雪白千蘭の手を取りたい。

 だから。

 傷口を自らの手で広げようとも、どれだけの痛みに苦しもうとも、大切な少女を守るためだけに夜来初三は立ち向かう。

 絶叫が止んでいく。

 夜来初三の周囲一体に発生していた魔力の渦は、音もなく霧散してしまう。

 ギリギリのラインまで悪魔の神に染まった悪人は、血反吐を吐きながら静かに雪原へ崩れ落ちる。

 


  

 

 

 


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