それぞれの存在価値
廊下を歩く夜来初三と大悪魔サタン。
人を助けることを『善』だと思っていなければ、きっと彼女は『良い悪人』になれただろう。救うことに邪心がない彼女は、今まで歩いてきた道をどこかで曲がっていれば、夜来初三のような『本物の悪』になれたかもしれない。
「まぁ、善を信じる時点であれは悪にゃなれっこねぇか。あーあ、逸材だと俺ァ思うんだがな」
軽い調子で言って、彼は頭をガシガシと掻く。
そこで、隣を歩く黒のゴスロリ服を着た大悪魔サタンがふと尋ねてきた。
「小僧、どこへ行くんだ? 聞きたいことを知るアテというのがあるのか?」
「さぁな。確実とは言えねぇ」
だが可能性はある、と彼は付け足した。
そして、雪白の寝ている一階の病室からかなり離れた、三階も上にある病室の群れの一つにたどり着く。だが、すぐには入らない。一度だけ病室内へと繋がるドアを見上げてから、隣に立っているサタンへ振り向くことはせずに言う。
「テメェはここで待ってろ」
「嫌だ。小僧と離れたら死んじゃうアレルギーを持ってるから嫌だ」
ぎゅっと腰に抱きついてきた悪魔。
夜来はポンポンと彼女の頭を優しくなでるように叩いて、
「……分かってんだろ。あいつとは、二人だけで話しをさせろ」
しばらくは、やはり離れてはくれなかった。
だが彼女は分かってくれた。名残惜しそうに腰から手を離して、ウルウルと銀色の瞳を涙で潤ませながら背を向ける。その本当に幼い子供に見える反応に苦笑した夜来は、すぐさま病室のドアを開けて入出していった。
ベッドには、一人の少女が腰掛けていた。
退屈そうに足をプラプラと動かしている、一人の女の子がそこにはいた。
名前のない少女だ。
存在価値も消失してしまった、白い髪に赤い瞳を持つ色素のない容姿が特徴の少女がいた。白を基調とした囚人服のようなダボダボの長袖長ズボンを着用している、その十四歳くらいの女の子を夜来初三はポツリと呼んだ。
「おい、名前のねぇクソガキ」
ピクリ、と少女は振り返ってくる。
睨んでいるようで、侮蔑しているようで、見下しているような赤い瞳を、容赦なく突き刺してくる。夜来初三の弟の容姿を含んだ彼女は、体中のいたるところに包帯やガーゼを巻きつけていた。骨折していたはずの両腕は『化物』故にある程度の自然治癒が出来たのか、包帯を巻いているだけで痛みはなさそうだった。
「名前のないクソガキ、ねぇ。何だか失礼にも程があるんじゃない、お兄ちゃん?」
「その呼び方はやめろ。シスコン不死身キャラは既に一人いるだろうが」
「へー、じゃあなんて呼ぼうか?」
「知るか」
「うわ。すっごい残酷な返しきたよ」
『エンジェル』の実験から産物された、夜来終三をオリジナルとして作られたメスの化物。名前のない怪物は、ニヤニヤと危険が漂う笑顔と共にようやく立ち上がった。
こいつがここにいる理由も、恐らくはあの善人が関わっているのだろうか。
夜来は少女の片足の太もも―――自分が食いちぎったことで真っ赤に変色している皮膚を見て、
「傷は痛むのか」
そんなことを尋ねた。
夜来初三らしくない、人を気遣うような発言が飛び出た。
そのことには少女も疑問を持ったようで、嘲笑を浮かべながら肩をすくめる。
「なーんで、そんな優しい優しいお言葉をかけてくるのかな? 私をボコボコにした張本人のアンタが言うことじゃないよね。ましてやアンタだ。『エンジェル』に在籍している私が知ってないとでも? 今までのアンタの戦闘データも、攻撃パターンも、全部全部こっちは握ってるんだよ。だからこそ聞くけど、何でそんな気持ち悪いこと聞いてくるの?」
「……」
「雪白千蘭と彼女が幸せを感じている光の世界を悪として守る為なら、本当に誰だって爆笑しながらぶっ殺すあなたが、何を今更、私一人の怪我の心配なんてしてくるの?」
当然の疑問だ。
あれだけの悪として存在していた夜来初三が、なぜ彼女に対してだけは怪我の心配をするのか理解できなかった。誰もが思うはずだ。夜来初三らしくないと、彼を知っている者ならば老若男女問わず誰もが思うはずだ。
「もしかして」
少女はニタリと笑みを濃くした。
まるで夜来初三のような、邪悪性だけで構成された笑顔だ。
「私が、弟くんに似てるからかな?」
「違う」
「じゃあ何で、私の心配なんてするんだよ。マジで気持ち悪いから、こっちは吐き気すごいんだけど」
夜来初三は一度だけ黙る。
だが、ゆっくりとした動きで自分の右手に視線を落とした。
ポツリと、小さな声で懺悔するように言った。
「あれは、俺らしくなかった」
今までの自分は本当に壊れていた。アルスという男に蹂躙された後、雪白を抱きしめながら北の地へやってきて、あのいけ好かない善人と激突するまでの自分は、振り返ってみれば泣きたくなるほど壊れていた。
いや、壊れていたのではない。
ましてや、狂っていたわけでもない。
単純に。
ただ単純に、どうしようもなく情けなかったのだ。
「あれは、『本物』じゃねぇんだよ。テメェをグチャグチャの挽肉に変えてやった時も、その前もその後も、全部全部いつの間にか俺は『本物』じゃなくなった。俺が思う悪じゃなくなってた」
それはアルスに絶対的な敗北をしたことが引き金だ。悪としての自分が通じないことで、ついに精神的な部分から崩壊してしまったのだ。
だが。
今さらながら、何て自分は馬鹿なのだろうと思う。
悪として通じないならば、
何度でも立ち上がり、悪として戦えばよかったじゃないか。
悪人が血反吐まみれになってでも、再び悪として立ち上がることはおかしいか? 悪は一度負けただけで、絶対に折れなくちゃならない道理があるのか?
いいや、ない。
善だけが何度でも立ち上がることを許されているわけではない。
悪は悪だ。
闇は闇らしく、鮮血のシャワーを浴びながら邪悪に笑って走り続ければいい。
「だから、あの時テメェをぶっ殺してた俺は『俺が許せない』んだよ。だから土下座だってする。なんだったら、今すぐ俺の腕を折ろうと焼こうと構わねぇぞ」
夜来初三は頭を下げた。
小さくだが、確かに後悔の色を浮かび上がらせている丁寧な謝罪だった。
「本当に、すまなかった」
瞬間。
白い少女は一瞬だけ呆然とした顔を見せた。ポカーン、という場違いな効果音が適切なほどの、我を失った表情だ。
「く、ははっ」
だが。
すぐに、その小さな口は弧を描く。そして次第に引き裂かれていき、すぐさま笑い声が起爆した。
「ぎゃは、ぎゃっははははははははははははははははははははははッッ!! な、なんだそれ!? あひゃははははは!! あ、あれだけ私の体グッチャグッチャに潰して叩いて裂いて蹂躙した悪党が、今更謝罪とかありないわぁああああああッッ!! あひゃはははははははは!! け、傑作だこりゃ! しかも無駄に礼儀正しくてギャップ萌えっつーかギャップ笑いじゃん! あっははははははははははははははははははッ!!」
よほどツボに入ったらしく、彼女は幼さが残る体をベッドに放り投げてジタバタと暴れながら爆笑する。その姿から目をそらした夜来は、今までの自分が行ってきた『間違った悪行』を振り返って、改めて吐き捨てた。
「……好きなだけ笑え。俺にそれを止める資格はねぇ」
「うわぁカッコイー! 何だよお兄ちゃんチョーかっこいいじゃん! 惚れちゃいそうだよ兄貴ぃ、いっそ近親相姦いっちゃおっかー!? ここにベッドあるし丁度いいよねー、ぎゃははは!!」
夜来初三は息を一つ吐く。
話を切り替えるため、一歩一歩ベッドに座っている少女のもとまで歩いていき、
「そこだ。テメェとわざわざ言葉のキャッチボールをする価値はそこだ」
「はい? なにをいきなり吠えてんの?」
夜来初三は少女の目の前にまで立って、見下ろすような格好から告げた。
いや、命令した。
「手を組め」
「は? 誰と? あんたと? なんでなんで?」
「テメェ、このままじゃ骸になることは分かってんだろ。俺の中身ぶっ壊せなかったんだから、奴らからしたらテメェは『用済み』だろうが。あいつらと敵対するクソ組織に入ってたから俺ァよく知ってるが、別に『エンジェル』は仲間を大事に友情を死守するようなドラマチックな団体でもねぇ。使えねぇ奴は捨てる。それがやつらだ」
「だから?」
「これから先、生きて光を浴びたいなら俺と来い」
あまりにも似合わない言葉だ。それは夜来初三自身が一番自覚しているし、正直言って今の自分に歯がゆい感情だって抱いている。こんな温かいセリフは、自分ではなくあの善人が放つことで完成する光の作品だ。
だが。
似合わなくても、再び本物を貫く決心をしたのならば、言い放つしか道はない。
「俺と来い。必ず生かしてやる」
「……いや、何言ってんのあなた。私の存在価値は既に消失してるでしょうが。あなたの中身を壊せなかった時点で、私が生きる理由は特にない。何か、アルスのやつに上手く利用されて、過去の私とかも記憶を壊されたから覚えてないし、もう何か生きる理由もないんだよ。だから、別にあなたについていく理由はない。適当に死ぬから、放っておいてよ」
その通りだ。
存在価値も存在理由も砕け散った今、少女が生きる理由は特にない。死への恐怖だって沸くことがないし、このまま心臓が止まったって文句はない。
なぜなら。
生きる意味が、分からないから。
自分の存在価値が、完膚なきまでに消えてしまったから。
だが。
「なら、俺と来い」
ここにきても尚。
夜来初三は同じセリフを吐いてみせた。
「テメェは存在価値をなくした。だから生きたいとも思わねぇ。別に今ここで死のうと、朽ちようと、墓なんて選ばないまま骨になろうと構わねぇ。そう思ってるんだろ」
だったら、と夜来初三は付け足した。
そして、改めて命令する。
「俺がテメェの存在価値を探し出してやる」
ピクリと眉を潜めた少女は、黙って耳を傾けていた。
彼は続ける。
「俺と手を組め。そうして生きろ。そして、必ず俺がテメェの存在価値を見つけ出してやる。過去のテメェは死んだ。なら、今ここで呼吸してるテメェの存在価値を俺が見つけ出してやる」
「……確証は?」
「んなモン知るか。俺が見つけるって宣言したんだから、必ずテメェの価値を見つけ出す」
再び、彼には似合わない感情論だった。
しかし、似合わなくても続ける。
「生きる意味なんざ、俺が見つけるから指を咥えて待ってろ。生きて見せろ。俺と歩く過程の中で、存在価値の断片だって見つかるかもしれねぇ。それが何色をしているのかは知らねぇよ。だが、ここで死んだらテメェは本当に無意味な末路を辿る」
「だから、手を組めと?」
「そうだ。テメェの存在価値をプレゼントしてやる。だから、俺と手を組め」
少女は視線を下げた。
真っ白な自分の両手を見つめて、思案しているのだ。目の前の悪人と歩む道の中で得られる、自分という存在の価値を示してくれるパーツが、彼と共闘することの割に合うかどうかを考えている。
そして。
彼女はニタリと笑みを作り上げて、
「その約束、破ったらぶっ殺していい?」
「かかってこい。だが死ぬ気はねぇぞ。俺が死んだら、あの白髪女がワンワン泣き喚く」
「なら、絶対に約束を守るんだね」
少女はゆっくりと立ち上がった。
夜来初三の顔を見上げながら、すっと右手の小指を突き出した。
「約束、してよ。私もこのまま腐るより、可能性を信じるから」
「……ああ」
夜来初三も、少女の小指に自分の小指を重ねる。
指きりげんまんだ。嘘をつくことは許されない、絶対に約束を守る誓いの儀式。
真っ白な少女は、意地の悪い笑みを作りながら尋ねた。
「私もあなたも、こんな感じで誰かと約束するようなことは人生の中で一度もなかったんじゃない? あなたの約束童貞、私が奪っちゃったね」
「……、いや」
夜来初三は苦笑した。
懐かしい思い出の『指きりげんまん』を振り返り、思わず口の端を邪悪に釣り上げた。
「テメェ以上に真っ白な女と、遥か昔に『約束』してるっつーの」
少女は軽く笑い声を上げた。
あまりにも、夜来初三の態度が緩んできた展開に口が自然と弧を描いてしまうのだ。
だが。
「あ、そうだ」
少女は思い出したかのような調子で、こんなことを提案してきた。
「名前、つけてよ」
「なに?」
「私の名前、ないからつけてよ。今の私が存在する意味、早速一つ教えてよ。『名前』って、存在することを示してくれる大事なものでしょ?」
「……そうだな」
夜来初三は口を閉じる。
そして、静かに少女の小指から手を離し、ゆっくりと綺麗な白髪が目立つ彼女の小さな頭にポンと乗せた。グシャグシャと頭をやや乱暴に撫でてやりながら、夜来初三は『存在価値』の一つを早速プレゼントしてやる。
「『白』でいいんじゃねぇか?」
「……ペット感覚かよ」
「くくっ、そう言うな。きちんと意味ならあるんだぞ。価値を教える約束だろうが」
「どんな意味?」
十四歳程度の容姿もあってか、夜来初三に見下ろされている彼女は子供そのものだ。
夜来は童顔な彼女に―――名の意味を教えてやる。
「白ってのは原点だ。キャンパスだってノートだって、何も書かなければ全部白いまま。汚れがつくことはない。白っていうのはそういうことだよ。……汚れるな。汚れずに生きろ。万が一、黒い色がついたなら、しっかりと洗い落として白で在ろうとしろ。そういう意味だ」
「じゃあ」
白は夜来初三を見上げたまま、確認するまでもない事実を尋ねていた。
「あなたは、何で黒い色を落とさないの?」
「……」
「どうして、黒い色に白い部分を染めていくの?」
「……、しょうがねぇんだよ」
夜来初三とは白になれない。
どれだけ足掻こうと、二度と白い心は取り戻せない。
なぜなら、
「俺は悪人だ。黒く汚れることで存在できる、汚れることこそが存在価値なんだ。これが俺の道だ。悪として苦しい道を這い進むことが俺の生き方なんだよ」
その通り。
だが、今回ばかりは『それだけ』では終わらない。
「そうして、俺はあの真っ白な女を笑顔にさせるんだ。俺の存在価値はそういうことなんだよ」




