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善人VS悪人1

 どこまでもどこまでも、その白い力は膨れ上がっていた。暴風が自然と発生していて、地盤には再び亀裂が走っていく。雪原の白い大地が怯えるように震えているため、時折大きな揺れが地上そのものを襲ってくる。

 だが、それだけでは終わらなかった。

 体から溢れる真っ白な粒子を爆発的に広げた夜来初三の姿は見えなくなる。それだけの力が彼を渦を描くように囲んでしまっていたのだ。

 だから。

 ボバッッ!! と、その白い竜巻の中から小さな影が転がっていったことは鉈内もよく見えた。咄嗟に駆け寄ってみる。世界が崩壊しているような重圧に耐えながら、それでも鉈内はその倒れている銀色の影に近寄った。

「っ」

 正体は大悪魔サタンだった。全身から夥しい量の汗を流した彼女は、ぜえはあと荒い呼吸をしながら必死に意識を保っているようだった。

 すぐさま彼女を抱き起こす鉈内。

 その時点で、大まかな見当は既についていた。仮にも『悪人祓い』だなんて仕事をしている鉈内なのだから、こんな初歩的な問題はすぐに紐解けた。

 夜来初三と大悪魔サタン。

 共に『本物の悪』を抱いていた二人だったが、悪人の方がそれを『崩壊』してしまったのだ。

 確かに、今の夜来初三は『本物の悪』ではないはずだ。本物もクソもない、根っからの極悪物体として活動しているに過ぎない。

 だから。

 だからこそ、サタンと夜来初三はついに『離れ離れ』になってしまったのだ。

(お前に、何があったんだよ……)

 哀れむような目で、鉈内は破壊の渦の中心に立つ夜来初三を見る。

 あの一流の悪人が、己のしんねんを曲げてしまうほどの何かがあったのだろう。それは絶望を超えた苦しみのはずだ。そうでなければ、ありえない。一流の悪人を自負する夜来初三が、サタンと共にいられなくなるレベルまで歪み切ることは相当な痛みを体験したのだろう。

(どうする)

 このままでは、殺されて終わる。

 そんな呆気ない死に様だけは、絶対に御免だった。

 しかし。

 そこで、ふと鉈内の腕の中にいる怪物が言った。

「……れ」

 聞き取れなかった。

 咄嗟に耳を澄まして、鉈内は彼女の顔を見下ろす。サタンは泣いていた。これでもかという程に号泣しながら、必死になってすがりつくように鉈内の胸へ抱きついていた。まるで泣き顔を見られないようにして、彼のジャケットに顔を埋めて涙声を震わせていた。

 涙で歪む銀色の瞳は、ただの少女にしか見えなかった。

「助けて、くれ……!!」

 懇願する。

 自分じゃどうしようも出来ないから、サタンは鉈内にすがりつく。

「あんな小僧は、見たくない……!! あんなのは、小僧じゃないんだ……ッ!! 我輩の小僧は、あんな、もう全部全部おかしくなった化物なんかじゃ、ないんだよ……!!」

 怪物が怯えるほどの怪物。

 まさしく夜来初三とは、そういう次元が違う形になっていたのだ。

 だから。

 だからこそ、尚更サタンには耐えられなかったはずだ。壊れていく夜来初三を一番傍で見ていて、しかし彼を傷つけることなんて不可能な故に後ろをただついて行く。血を浴びて、悲しんで、壊れていきながら茨の道を突き進む夜来初三の背中を追っていく。

 それしか出来なかった。

 夜来初三が大好きだから、サタンは結局彼を助けられなかった。

「助けて、くれ」

 頼むしかない。

 自分では彼の眼中にさえ入らない。今の夜来初三に見えるのは鉈内翔縁だけだ。自分とは正反対の生き方をする善人だけに興味は限定されている。だから、この世界で唯一あの夜来初三バケモノに対抗出来るのは鉈内翔縁しか存在しない。

 泣いてやる。

 プライドなんて捨ててやる。

 グシャグシャの顔になって、泣いて喚いてやる。土下座だっていくらでもする。頭だって何万回と下げてやる。片腕だって切り落としてやるし、それこそ目玉だって心臓だってえぐって差し出してやる。 

 だから。

 どんなことでもするから。



「小僧を、助けてやってくれ……!!」



 鉈内は何も言わなかった。

 ただ、サタンをここまでズタボロにした夜来初三にだけは、明確な怒りを自覚した。ここまで彼女を苦しめておいて尚、あの男は白い力を纏って辺りを粉々に破壊して笑っている。

 大悪魔サタンが泣いて苦しんでいるのに。

 離れた場所では雪白千蘭が意識を朦朧としているのに。

 夜来初三は笑っている。

 あのクソ野郎は、大切な彼女達の痛みにさえ目も向けずに自分の悪に爆笑している。

「……舐めてやがるな」

 ぎゅっと、サタンを鉈内は抱きしめた。

 嗚咽を繰り返しながら、壊れたように助けてくれ助けてくれと頼み続けるサタンの姿に、もはや限界が来てしまった。

 ぶっ飛ばしてやる。

 あのクソ野郎だけは、絶対に自分が叩き潰す。

 だから。

 だから、鉈内は最悪の方法を取ることにした。

「サタンさん」

 下手をすれば死ぬ。

 それを重々承知の上で尚、あの悪人に打ち勝つ為に戦う。

「僕一人じゃ、やっぱりアイツには届かない。これは誰もが分かりきっていることだ。だから、ハッキリと言う。僕じゃあいつを助けられない」 

 でも、と付け足して。

 力強い声で、彼は伝えた。



「力を貸してよ。あなたが力を貸してくれれば、アイツは僕がぶっ飛ばす」



 怪物が悪人に憑依する理由。その具体的な内容を振り返ってみよう。怪物は自分と同じ接点を持つ悪人に憑く。それは同じような人生、同じような意思、同じような感情、同じような過去、同じような存在であるからこそ、彼らは理解者を求めて悪人に宿る。

 だから。

 ありえない話だが。

 怪物の方が妥協するのならば、別に怪物は自由に好きな人間へ憑くことは出来る。

 もちろん、彼らは同じ存在の相手に好意を持って宿るのだから、好きでもない見知らぬ人間へ憑依はしない。そんな事態はそうそうないことだ。誰だって嫌いな相手と一心同体であろうとはしないはずだ。

 だが。

 この現状からして。

 もはや打つ手は、それしかない。

「僕が『サタンの呪い』にかかる」

 どうなるかは、知らない。

 最悪、拒絶反応が出て鉈内の体が吹き飛ぶこともあるかもしれない。何せ初めての経験だ。どのような未来が待っているかは、誰にも予想がつくはずがない。

 ましてや、悪魔の神として君臨する大悪魔サタンに憑依されるのだ。

 何が起きるかは分からない。

 けど、

「だから力を貸して欲しい。あの馬鹿を止めるには、現実問題それしかない」 

 勇気がいる。

 勇者が魔王を倒すのにも、必ず勇気と心が必要だ。

 だから。

 命をかけて、善人は悪人へ挑む決意を固めた。

  












 夜来初三は期待していた。自分とは百八十度違ったあの男に、自分では出来ないことを成し遂げてくれる期待をしていたのだ。だから全力で叩き潰す。そうして、あっさりと奴が絶命したのならばそれまでだという話だ。

 自覚はある。

 自分のしている行いは、もはや理論なんてものが破滅した奇行だと理解している。

 だが。

 もしもだ。全ての人を笑顔にさせて、全ての人を幸せに出来て、全ての人々を温めてやれるような人間が、鉈内翔縁という善人が。自分のような極悪人の引き起こしたクソッたれな悲劇に巻き込まれただけで、ただそれだけの壁にぶち当たっただけで死んでしまうのならば。

 悪が勝って、善が敗れるのならば。

 きっと。

 間違いなく。




 この世界に。

 善なんてものは存在しない、決定的な証拠になってしまうのだろう。




「ぎゃはッ! ぎィあっははははははははははははははははははははははははははははッッ!!」  

 全身から白い粒子が勢いよく吹き出した。津波のように広がって、辺り一帯の雪原を飲み込みながら鉈内翔縁もろとも飲み込んでいく。轟音なんてものじゃない、脳みそをかき回してくるような破壊音が炸裂した。

 だが、その圧倒的な一撃は標的の少年を絶命に追い込むことはなかった。

 ゴバッッッ!! と、放出した真っ白な波が木っ端微塵になって『破壊』されてしまった。あれだけの規模を誇る一撃を、まるで打ち上げ花火に変えるようにして『破壊』してしまったのだ。

 その犯人とは。

 右顔に広がる禍々しい紋様、染めているのか綺麗な茶色の髪が特徴的な、一人の少年だった。呪いを扱いきれていないのか、ダラダラと異常な発汗をしながら息を整える茶髪の少年だったのだ。

 善人が、そこにはいた。

 あの容赦ない破壊攻撃を前にして、それでも生き残っている善人がそこにはいた。

「は、はは」

 笑ってしまう。

 善人の体からはドス黒い魔力が溢れていた。ジワジワと粉雪のようになって湧き出てくるその力は、悪の頂点に立つ悪魔の力のはずだった。

 自分が、今まで悪行を繰り返す為に使ってきた悪の力だった。

 なのに。

 それなのに。



 あの少年が使うと、何故だか悪魔の力という『悪』までも『善』に見えてしまう。悪人の自分が使えば即座に人を壊してしまうのに、あの善人は未だに誰一人として傷つけていない。



「ぎゃはッッ!! ぎゃっははははははははははははははははははははははははっっ!!」

 何だ、それは。

 あれは悪魔の力だ。全てを破壊する『悪』の力のはずだ。だというのに、あの男は誰も傷つけることなく生き残っている。それではまるで、悪魔の力は別に悪いものではないことを示しているようだった。 

 ただ。

 ただ単に。

 サタンの力を振るっていたのが夜来初三だったから、サタンの力は悪い力だったに過ぎないように。扱う者が善人ならば、それは誰も傷つけずに人々を守れる輝いたもののように。

 見えてしまった。

 尚更、自分はどれだけ悪だったのかを再確認してしまう。

「ぎゃは、ぎゃっはははははははははははははッッ!! ぎぃやっははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!」

 もういい。

 全部全部どうでもいい。

 ぶっ壊してやる。

 その破壊をあの善人が止められるかどうか、それだけが重要なことなのだ。

 全て殺戮する。

 まるで絶対悪の白い怪物のように、もはや悪でしかなくなった夜来初三の暴力がついに研ぎ澄まされた。

 


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