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正しいシステムに乗っ取れ

 鉈内翔縁は大型ヘリコプターの中にいた。

 もちろん逃亡しているわけではない。尻尾を巻いて逃げ帰るわけがない。彼は静かに、機内から眼下に広がる雪一色の大地を見下ろした。

「本当に続けるのね」

 街中で『エンジェル』を率いる王・アルスと戦い、それでもこうして自分と行動している鉈内に、リーゼは思わず尋ねていた。

 今向かっている場所は、『エンジェル』が管理する基地らしい。そこで何か情報収集出来ればという考えから、ヘリを飛ばして鉈内はリーゼと共に遥か遠方へ行動していた。世ノ華は疲労が凄まじい為に、リーゼの部下たちがカナダ内にある別の基地で介抱してくれるそうだ。よって、現在は二人で奴らに繋がるヒントを探しに行っている。

 まだ戦う。

 まだ関わる。

 まだ彼の心は折れていない。

 その事実に、リーゼは隣に座っている鉈内に苦笑めいた顔でもう一度尋ねた。

「まだ、続けるのね」

「当然」

「今度こそ、殺されるわよ。アルスは世界中の国が協力して核爆弾を飛ばしても敵わないでしょうね。それこそ、私たちみたいにオカルトサイドの人間が一致団結して立ち向かっても、勝算は低い。それは街で戦ったことから理解できるでしょう」

「それでも、僕は引き下がれない段階まで来た」

 その通りだ。

 鉈内にとって、気にかかっているのは『殺される』という恐怖ではない。そんなもの、こっちの世界で仕事をしていく決心を固めた際に、とうの昔に受け入れていた最悪の可能性だ。

 殺されるかもしれない、何て恐怖に彼は屈しない。

 では。

「じゃあ、あなたは何故そんな思いつめた顔をしているのよ」

「……」

 苦悩するように眉根を寄せる鉈内は、その言葉には返答をしなかった。自分が弱い、という事実に子供のように拗ねているだけなのだから、そんな恥ずかしい理由は述べられなかった。

 弱い、という言葉は酷く残酷だ。

 弱いものは何もできない。弱肉強食ではなく、もっと別の意味でということだ。強者が弱者を救えることは出来るが、弱者が強者を救うことは出来ない。強者が弱者を助けることは出来るが、弱者が強者を助けることは出来ない。強いからこそ、何かを守れる。その理論に従って考えれば分かるとおり、鉈内が弱者ということは遠回りに『お前は何もできない』という意味が浮上することなのだ。

(分かってる……)

 ぐっと拳を握った。

 しかし、拳を握っても非力なのだから意味はさしてない。

(守るためには、強くなくちゃいけない。そりゃそうだ、そんなの子供だって分かることだ。だから子供はヒーローに憧れて強くなろうとしたりする。それはきっと、その事実からきっと……)

 歯を食い縛る。

 そうして、結論を理解する。



(善人として皆を助けるには、大前提で『最強』でなくちゃならないんだ)



 強いから人を救える。

 ならば、まずは善行を行う前に力を蓄えなきゃならない。

 もちろん難しいことだとは分かっている。そう簡単に人はレベルアップ出来ないからこそ、徒党を組むような奴らが生まれたりする。自分の弱さを克服できないからこそ、人は努力して徐々に中身を成長させていくのだ。

 簡単に強くはなれない。

 そんなにも楽なシステムで、世界は回ってなどいない。

 そう思い、ふと窓の外を眺めた鉈内。そこで彼は一瞬だが眉を潜めて、直後には目を仰天したかのように見開いていた。

「リーゼさん!!」

 ほとんど絶叫するように叫んだ。

 驚いたリーゼは、若干の動揺を顔にだしながら右往左往する。

「ッ! な、なによ急に? どうし―――」

「すぐにヘリをここらで下ろしてください!! 早くッ!!」

 意味不明な要求だったが、その鉈内のあまりの迫力にリーゼは従うしかなかった。すぐ様雪原しか存在しない銀世界に高度を落として、高い操縦技術を用いて地上にゆっくりと着陸する。

 すると、ヘリが停止してプロペラを止めた瞬間に鉈内は飛び出していた。

 彼は背後から聞こえるリーゼの声に耳さえかたむけず、ひたすらに雪原を全力疾走していく。ここで寄り道なんてする暇はない。一刻も早くリーゼと共に情報収集へ向かわねばならないのに、彼はあろうことか白一色の何もない雪の世界を走っていた。

 そして。

 ようやく止まった。

 後ろからはリーゼが何事かと追いついてきたようだが、今の鉈内には彼女の存在は見えていない。ただただ、百メートルほど先にいる『それ』に目を奪われていた。

 そこで。

 リーゼも『それ』に気づいたのか、思わず怯えて一歩後ろへ下がってしまう。

「……なに、よ……あれ」

 同様に、鉈内も呆然とした顔で『それ』を眺めていた。最初は動物かと思ったのだ。自然界で本能のままに生きる肉食動物が、食事を取っているだけだと思ってヘリの中から見下ろしていたのだ。

 しかし。

 現実は鉈内の想像をはるかに凌駕していた。

「な……に、やって……んだ……?」

 問いかける。

 ムシャムシャと、見知らぬ少女の足に噛じりついて肉を食べている男がいた。口周りを真っ赤に染め上げて、歯の一本一本をベタベタとした鮮血で満たした、真っ赤な口を引き裂いて笑っている男がいた。彼を鉈内は知っている。共に同じ親に育てられて、同じ生活を送ってきたというのに、それでも自分とは真逆の道を歩く悪人だと知っている。

 何であいつが、ここにいる。

 あいつは、こんな北の世界にいるはずがない。

 そして。

 何より。

 


『最弱』の自分とは違って『最強』であるが彼が、自分とは違って人をその気になれば救える彼が、なぜその力を人間を食すという狂った行為のために使っているのだ。



 おかしいだろう。

 今になって、鉈内は腹の底から怒りが湧き出てきた。あの男は自分とは違って強い。それこそ、最強と呼べるほどに膨大な力を持った存在なのだ。

 なのに。

 だというのに。

 彼はその力を、『悪』にしか使わない。

 いや、『悪人』として確立するためにしか使わない。

「……なに、やってんだよ」

 最強の悪人に、最弱の善人は激怒していた。

 いや違う。

 鉈内が許せないのは、今の悪人は根っからの悪と化していたからだ。今までも彼のやり方は悪を含んだものが多い非情なものだったが、それでも、彼は結果的に少なからず身内を救って見せていた。

 自分とは違い、彼は確かに悪だった。

 でも。

 それでも。



 綺麗で、美しい、格好いい、そんな『本物の悪』だったはずだ。

  


 だが、今の彼は違う。

 少女をグチャグチャの血だるまにして、あまつさえ息があるかどうか怪しい状態の少女を食っている。その姿は悪でしかなかった。過去の彼は悪だったが、一流の悪のカリスマのような悪人だったはずだ。しかし現在の彼は人を傷つけ、そんな自分に満足し、命を刈り取っている現状に笑顔を咲かせているだけだったのだ。

 今までのように、誰かのために悪になったのではない。

 誰のためでもなく、ただ自分を満たす為に悪へ染まりきっている怪物だ。

 だから。

 だからこそ。

「なに、やってんだよって言ってんだ」

 不思議と恐怖はなかった。

 あの化物へと変貌した悪人と対峙している善人は怯えていなかった。

 むしろ。

 殴り飛ばさないと気が済まない、猛烈な怒りに我を忘れていた。

「何やってんだっつってンだろうが、クソ野郎!!」

 ついに、その怒声は悪人に届いたようだった。ピクピクと痙攣している血まみれの少女から手を離し、唇からボタボタと肉と生臭い血を垂らしながら、ゆらりと立ち上がって善人を見る。

「ギゃは」

 笑った。

 もはや表現の使用がない、悪でしかない笑顔を咲かせた。

「ぎゃっはははははははははははははははははははははははははははッッ!! アヒャ、あっひゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははァァァァ―――――――ッッ!!!!」

 ゴバッッッ!! と、辺り一帯の雪原が滅茶苦茶に吹き飛んだ。悪人の体から真っ白な力が吹き出してきて、白い世界を異質な白で飲み込むように広がっていったのだ。地中そのものが沈んだような、鈍い音と共に地響きが炸裂する。亀裂が見渡す限りの雪原に入っていき、空気が怯え縮まるように震えて重くのしかかってくる。

 この世の終わりが来た。

 そう認識してもおかしくはない、そんな現象を悪人は巻き起こしていた。

「そうだそうだァァああああああああああッッ!! ぎゃは、ぎゃっははははははははははははっ!! テメェは『善人』なんだよなぁ!? 俺とは違って色んな奴らを救ってやれる眩しい『善人』だったよなぁあああああッ!? ぎゃははははッ!! カッコイー!! すげーカッコイーじゃん!! やべぇよ、うっかり惚れちゃいそうだぜェ善人ィィィィィィィィィィン!!」

 夜来初三。

 彼は自分とは真逆の存在である鉈内が目の前に現れたことで、新たな答えを導き出していたのだ。

 悪人の自分では、雪白千蘭を救えない。何も守ることなんて、絶対に出来ない。全てを鮮血で満たして壊して闇を振りまくことしか出来ない。

 だが、

「テメェは光なんだろォォおおおおおおッ!? 俺とは違って、テメェは善人なんだろうがよぉおおおおッ!! だったら今ここで決めようぜ!? RPGだよぉRPGィィィィッッ!! 勇者が魔王を倒せばハッピーエンドなアレダよアレェ!! アレに乗っ取ってぇ今ここで決めちまおうぜオイ!!」

 悪人は善人に提案する。

 もっとも重要な事実を確立させるための、単純で簡単で安易な方法。

悪人オレ善人テメェ、どっちが強ェのか!! どっちが正しくてどっちが間違ってるのか、今ここでハッキリさせてくれよ!! ぎゃはは!! ぎゃっはははははははははははははははッッ!! 悪は善に負けるってのが世の常識だ!! それを本当かどうか証明しようぜ!! オレテメェ、どっちが間違ってるのかを決めちまおうぜ!! 勇者は魔王を倒せるんだよなぁ? ぎゃはははッ!! だったら今ここで魔王オレ勇者テメェがぶっ倒して全部全部ハッピーエンドにしてみせろよ!! してくれよッ!! そうして雪白千蘭アイツも助けてくれよ!! なぁ、そうだろうがよ!! 悪を滅ぼせば全てが救われるのがマジだってんなら、テメェが俺をぶっ殺すことで雪白も救ってやってくれよォォォおおおおおおおおおおッッ!!」

 正義は必ず勝つ。

 そんなフレーズは、きっと誰もが一度は聞いた言葉だろう。良い人は正しくて悪い人は間違っている。その理論を一言で表したかのような台詞こそが、正義は必ず悪を倒すという一種のルールだ。

 だから。

 本当に、善が悪を倒してハッピーエンドになる展開が本当ならば。

 今ここで。

 悪人やらい善人なたうちが倒してくれれば、きっと、苦しんでいる雪白千蘭だって助かるはずだ。

 だが。

 もしも。

 善が悪に勝てない場合は。

 夜来初三のような狂った最悪の怪物を、鉈内翔縁という温かい善が倒せないならば。悪人が善人を倒してしまったのならば。人を傷つけて存在する悪人が、人を助けようとする善人を『倒してしまった』のならば。

 もう。

 この世は。



 本質的で根本的な部分が、とっくに腐りきっている。

 

 

 爆音を上げて白い力を放出する悪人。

 彼は悪らしく凶悪に口を引き裂いて笑い、容赦なく善人に殺意と嗜虐の瞳を向けた。

「ぎゃっははははははははははははははははははははッ!! 殺してみせろよ、さっさとオレを殺してみせろよ善人ィィィィィィィィィィィィィンッッ!! 倒せるはずだよなぁ!? だってお前は俺と違って人を救える本物の善人なんだもんなぁぁぁああああああああああッッ!!」

 夜来初三は泣いていた。

 ボロボロと泣きながら、それでも『悪』として邪悪な笑顔を作り上げて。

「だったら、だったらオレをぶっ殺して雪白も救って見せろォォおおおおおおおおおおおおおッッ!! それが正しいシステムなんだろうが!! 善が悪を滅ぼして全部笑顔に出来るんだったら、テメェが俺をぶっ殺せば雪白だって笑ってくれるはずなんだよォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

 壊れた悪人は。

 それでも、大切な少女の命を諦めることは出来なかった。

 



 善人と悪人。

 真逆の道を歩んできた二人が、ついに容赦なく激突する。



 

 

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