いつになったら壊れるのだろう
自分自身の手で。
今まさに、大切だった弟の姿をした存在を血まみれにしていた。まるで喉の中で何かが転がっているような呻き声を上げながら、少女は起き上がることも出来ずに赤く染まって倒れていた。
腕はどちらも折れ曲がっている。
全身のあちこちの肉が裂かれていて、とてもまともな神経の人間では行えない残虐な蹂躙だった。まるで悪魔が手を下したような、そんな酷い傷跡をあちこちに残して意識を失いかけている。
「ぎゃは、ぎゃはははははははッッ!! ぎゃひゃはははははははははははははははははッッ!! ぎャアっはははははははははははははははははははははははははッッッ!!」
それは全て自分がやったことだった。
現実逃避を行いかけていた夜来初三は、ようやく確信を持って全ての事実を受け止めた。自分は仮にも弟と同じ存在をこの手でねじ伏せた。それは大切な少女のため、というまっとうに見える意思の中に潜む『依存』からだったのだ。結局のところ、あの大切な少女も目の前でひき肉にした少女も、本物の弟さえも、全ての価値ある人々を夜来初三は自分のために利用していたのだ。
訳がわからなくなった。
依存していた事に気づかないからこその依存なのだろうが、そんな問題を飛び越えて夜来初三は自分が分からなくなった。
雪白千蘭を守り、弟の形をした少女は潰してやった。
別に悔やむ部分は無い。
むしろ、それが一番正しい選択のはずだ。所詮は弟の偽物に過ぎない敵なのだから、雪白を選んだ選択に間違いは一切ない。
しかし。
自分は雪白千蘭を利用し、弟をも利用していたという事実が頭から離れない。しかも、その恐怖の事実を突きつけてきたのは弟そっくりの少女だ。明らかに、『夜来初三』の支えとなっている心の主柱が砕け散るには十分な爆薬が揃っていた。
分からないのだ。
自分が本当の意味で分からない。
まるで寄生虫じゃないか。誰かを利用することで自分を保ち、そうして生きてきた根っからのクソ野郎。まさしく虫以下の価値さえ求めるにはおこがましいクズのはずだ。自分は結局、何がしたかったのだろう。雪白千蘭を守りたかった? いいや、それは彼女に依存していたに過ぎない言い訳だと論破されている。では、結局のところ、こうしてノルウェーをも超えて北の銀世界へやってきた『夜来初三』とは、一体なにがしたかったのだ?
夜来初三とは。
何をするために存在しているのだ。
全てを傷つけて利用するだけしか存在方法を保てなかったクズは、一体、何をするためにここに立っているのだ。
全てが。
完全完璧に理解不能。
だから。
そんな自分があまりにも可笑しくて、
「ぎゃははははははははははははははははっっ!! ぎゃは、ぎぃっはははははははははははははははははははははははははははははッッ!!」
爆笑してしまう。
今までにも狂った笑い声を上げることはあったが、今の夜来初三は過去最大の狂気に支配されていた。フラフラと後ろへ下がり、平衡器官をおかしくたのか、バランスを崩して雪の上へ膝をつく。両腕を振り回したり頭をフルフルと振ったりと、意味のない異常な行動を無意識に取りながら、この世のものとは思えない笑顔で笑い続ける。
「ぎゃははははははははッッ!! ぎゃは、ぎぃやっはははははははははははははははははははははははははははッッ!!」
どうしてだろう。
自分は何があって、こんな怪物になってしまったんだろう。
もともとは普通の子供のはずだった。友達もそれなりに作って、学校が終われば放課後に日が暮れるまで遊びまわって、宿題に追われながらも充実した日々を送っていた子供のはずだった。なのに、だというのに、一体なにがきっかけで夜来初三は変わってしまったのだろう。親、だけじゃないはずだ。確かに奴らは夜来初三に異常な生活を押し付けていた狂人ではあるが、たったそれだけの引き金で夜来初三はここまでおかしくなることはなかったはずだ。
他に挙げるとすれば、自分を悪と肯定するようになったことだろうか。
その結果。
友達は自然と消えていった。
孤独に慣れて一人になった。
だからなのか。
もしかしたら、そんな夜来初三の『人生』全てが彼をこんな化物に変えてしまった要因なのかもしれない。敵対した者は誰だろうと嬲り殺す冷たい心、肉を喰らう爽快感に爆笑する嗜虐の脳、幾度となく鮮血で染めてきた悪魔の両手、全ての化物としか言い様がないパーツの構成材料は、今までの経験全てだったのだ。
ああ、と夜来初三は納得した。
自分はもしかしたら、悪人じゃないのかもしれない。ましてや善人でもないことは明白だ。
ならば。
残された解はただ一つ。
夜来初三とは『怪物』なのだ。
悪人や善人だなんて人間の範疇に収まらない、ただの醜い凶悪物体だったのだ。
それならば納得せざるを得ない。自分は人間の皮を被った怪物なのだから、人間としての心や考えやパーツがなくて当然だ。そういう考えならば、夜来初三は夜来初三を嬉々として受けいれられる。
もう分かった。
分かってしまった。
自分は何もできない。自分は何も救えない。自分は何も全うできない。自分は何も助けられない。
なぜなら人間じゃないから。
鏡を見なくても、分かってしまう。今の自分の顔はぶっ壊れている。口は本当に耳まで裂けていて、肉を食べたがっている犬歯が異様に目立つのではないのだろうか。
「アはッ」
ふと、笑って『肉』を見つけた。
モゾモゾと、四つん這いになって獣のように『肉』へ近づく。それは弟の姿をした柔らかい『肉』だった。少女特有の美しい肌は、まさしく肉食動物にとって極上のエサ。
もう、捨てた。人間は捨てた。
だから、もう壊れ果ててやる。
開き直って、怪物は怪物らしく生きて人生を終えてやろう。
故に。
夜来初三は少女の右足を無造作に握り上げた。白のズボン。そんな邪魔でしかない衣服を乱暴に破いて、柔らかそうな太ももを丸出しにしてやる。
夜来初三はその女の子特有の太ももに、ゆっくりとした動作なんて抜いて―――勢いよくかじりついた。
「っ」
ビクン!! と、ようやく痛みで意識を取り戻したのか少女は顔を歪めた。
感じる。太い犬歯が肉を貫いた、そのえぐられるような強烈な熱を。さらに気づけば―――歯ごたえの良いソーセージを噛じりきった時の音が鳴った。
「……………………………え?」
クチャクチャクチャ、と。
ステーキを食べているような生々しい音が聞こえた。痛みなんて感じなかった。それ以上に、今はその気持ち悪い音源へ顔を向けた。
口を動かしている怪物がいた。
一心不乱に肉を味わっている、夜来初三が笑顔でそこにいた。
「あ」
思わず。
少女は、その異様な人肉を食す光景に恐怖を爆発させた。
「あああああああああああああああああああああああああああああっっ!?!? い、いや、いやだッ!! いやだァァあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!?!?」
咄嗟に這いながら逃げ出した。それだけ、あの男は狂っていて全てを恐怖に沈める笑顔を咲かせていたのだ。もうダメだった。自分が彼の心を完全に破壊したとはいえ、その結果がここまでぶっ飛んだものになるとは予想もしなかった。
だが。
壊れた怪物は少女を逃がさない。
もう止まれないのだ。全部全部バカバカしい。誰かを救おうとする考えも、この狂った世界そのものも、自分をこんな狂気に変えたこの世自体に興味は既に失せている。もう世界はダメだ。ただの子供だった一人の少年を、人肉を食べ始める怪物にしてしまうほどに狂わせてしまったのだから、もはやこの世は終わっている。
ただの子供だったのに。
ただの少年だったのに。
ただの人間だったのに。
世は。
世界は。
ただの子供一人を。
ここまで異質で狂い果てた怪物にしてしまったのだから、遥か昔に腐りきっている。
「ぎゃは、ぎゃはははははははははははははははははははははははッッ!!」
少女の白髪を強引に鷲掴み、夜来は乱暴に振り回した。立ち上がって、靴底を脇腹に叩き込んでやる。骨が何本か砕けた音が響き、抵抗さえ不可能になった少女はドサリと泣きながら雪原へ崩壊した。
再び、夜来は彼女を蹴り潰し始める。
その可愛らしい顔も、細い腕も、小柄な体全ても、とにかくひたすらに叩き潰してやる。血がビシャビシャと雪原に撒き散らされた。それだけの暴虐を尽くしている夜来だったが、もう彼は止まることなんてできない。
「あっひゃははははははははははははははははははははははッッ!! もう無理だ!! もう止まんねぇよォ!! もう脳みそなんざトンじまったよォォおおおおおおおッ!! ぎゃっははははははははははははははははははははははははははッッ!! チクショウが、もう抑えられねぇ!! もう雪白千蘭の顔だけじゃストップできねぇ!! ぎゃっはははははははははははははははっ!! 俺ァ何なんだぁ!? 俺ァどんだけぶっ壊れれば本当に全部全部壊れて廃人になんだぁオイ!? アッひゃははははははははははははははッッ!!」
ようやく飛び出た言葉は、そんな悲しい自問自答だった。
どこまで壊れれば、壊れ果ててくれるのだろう。どこまで傷つけば、修復不可能な段階に陥ってくれるのだろう。そうすれば、本当に精神の死を迎えれば、もう自分はこんな苦悩に悩むことも面倒くさい世界で生きることもないのに。
だが。
ここまでボロボロになって壊れないということは。
既に。
初めから、夜来初三は壊れていた狂気だったのかもしれない。




