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自分なりの進み方だったというのに

 アルスと対峙する鉈内の額には、莫大な量の冷や汗が流れていた。気を抜けば殺される。一瞬の隙が即死へ直結する戦場の雰囲気に、彼は生唾を飲み込んだ。

 しかし、相手は鉈内の力を観察したいのか、なかなか手を出しては来ない。まるで待ってやっているような、どこか馬鹿にした様子にも見えた。

 故に。

 鉈内は、ゆっくりとした動作で懐から御札を取り出す。

「『武器変換―――銀刀』」

 直後に、それは輝く銀色の日本刀へ変化した。しっかりと武器の感触を確かめながら、それでも鉈内はアルスの目だけを注意深く凝視する。

 見て。

 見て。

 とにかく見て、奴の動きを予知しなければ殺される。

「何だ。弱者の割には意外と頭は賢いじゃないか」

 ふと、アルスが鉈内に口の端を釣り上げてそう言った。恐らくは読まれている。鉈内がどういう心境でどういう心構えをしてどういう風に戦おうとしているのか、アルスには全て手に取るように理解できてしまっている。

「俺の目を微塵も揺らぐことなく観察しているその精神力、非常に素晴らしいぞ。そうだ。よく見ろ。一瞬でも俺から目を離したその時こそが、お前の命日を今日だと決定することになる」

「……言われなくても」

「そうか。ならばいい」

 切り捨てるように言ったアルス。

 次の瞬間、アルスの体がパッと瞬きをした後に消えていた。

 そして。

 ギョッとした時には既に遅く、



「おい。言ったそばから見ていないじゃないか」



 その声は後ろから聞こえた。咄嗟に振り返ろうとする鉈内だったが、既にアルスが動いていた。

 アルスはニタリと笑って鉈内の後頭部を軽く叩いた。まるでハエを追い払うような仕草で、パシンという緊張感をぶち壊すような軽い音が炸裂した―――ように見える程度の行動だったというのに、その威力は凄まじく膨大だった。

 ゴロッ、と脳みそが転がった気がした。

 視界が万華鏡のように歪みきった鉈内は、気づけば街中まちなかの噴水広場まで吹き飛ばされていたのだ。

「が、ぉ……!?」

 声さえ出ない。

 あまりにも、自分では届かない存在すぎた。

 何をどうされて、ここまで壮絶なダメージが浸透したのか分からないが、それらの分からない事実から分かる事実は一つある。

「どうした弱者。それだけか?」

 勝てない。

 鉈内翔縁では、絶対にアルスに傷一つ付けられない。

 リーゼは世ノ華の手当てに回っているだろうし、彼女の部下たちは恐ろしくて手が出せないのか気配は無い。鉈内だけが戦える状況で、鉈内では勝てない残酷な運命が確定されてしまった。故に無駄なあがきだった。どれだけ立ち上がろうとも所詮は勝てないことを承知の上で尚、しかし、鉈内は先ほどの一撃だけでガクガクと震える膝を使って立った。

(勝て、ない……)

 自覚はしている。

 あの男はあまりにも異常な力を持っている。

(けど……ッ!)

 だが。

 だがしかし。

 勝てないから、勝てるわけがないから、何て理由だけで、そんな事実一つだけで、

(勝てないからって、戦わない理由にはならないよねぇ……!!)

 まだ刀は握っていた。

 ならば、まだ戦える。意識はある、武器はある、闘志はある、これだけの贅沢な条件が揃っているならば戦わないわけがない。

 世ノ華雪花はダウンした。

 だから尚更、彼女を傷つけた野郎は純粋に許せない。走り出す。恐怖でなのか痛みでなのか、プルプルと震える足を使って、鉈内は再び走り出した。銀の日本刀を構えて、フラリと転倒しそうになりながらも立ち向かった。

 だが。

「弱者」

 全てにおいて。

「いい加減に分かれ」

 輝かしい努力が必ず報われることは、決して絶対と約束されたものではない。必ず良い人が幸せになるわけじゃないし、必ず悪い人が不幸になるわけでもない。現実は無情なのだ。努力した人が必ず望んだ結果を得られるわけじゃないし、どれだけ頑張る人でも欲するものを手に入れられないことがある。

 そのことは。

 まさしく、今の鉈内の状況に当てはまることだった。

「俺様がどれだけ手加減してやっていると思っている。分かれ。俺は王として器がデカイから、『良心』に従ってお前を生かしてやっているんだ」

 その言葉は。

 その表情は。



 鉈内翔縁の背後から、再び聞こえてきた。



 直後に。

 ボバッッッ!! と、猛烈な速度で鉈内の体が吹っ飛んだ。アルスの右足が脇腹に突き刺さったのだ。骨が折れないことが不思議なほどの威力だったが、恐らくは宣言通り『手加減』されていたのだろう。

 噴水広場の中心付近に存在する、巨大な噴水の中に突っ込んだ。水しぶきを上げてジャケットやズボン、髪をビシャビシャに濡らして呻く鉈内に、アルスは大きなため息を吐いて告げた。

「おい弱者」

「が、っぁ……!? ぐ、ごあ……ッ!?!?」

「聞け。俺は王だ。だから器はデカイ」

 声さえ上げられずに、ただ苦痛の吐息を漏らす鉈内。

 そんな彼の有様は、あまりにも無残でアルスが絶対的すぎることを示していた。

「だからハッキリと言ってやる。ここは見逃してやる。お前がそれこそ核兵器並の力を持っていたり、凄まじい怪物に憑依された悪人であったり、エリートの『悪人祓い』だというのならば殺していた。しかしお前は未熟だ。ここで逃がしても『いつでも殺せる』から、まったくもって驚異にはならん。だから見逃してやる。もちろん今回だけだ、ここで俺が消えた後も尚、それでも俺たちに関わるというのならば、今度は葬る」

 それはきっと。

 鉈内翔縁なんて存在は、見逃してあげても問題は無いという見下した考えから生まれた良心なのだろう。

「おい弱者。わざわざ俺は『忠告』のために出向いてやったんだ。そこのところを感謝して、拾えた命を大事にしろ。俺は極悪邪悪ではないが、かといって博愛主義でもない。見逃せてやれるから見逃してやった。自分の人生を大事にしろ」

 馬鹿にされている。

 だが、実際に鉈内はアルスにとって道端の石ころでしかない。いつでも蹴り飛ばせるし、いつでも素通りしてやれる。鉈内が弱かったから、殺さないであげたというだけだった。

 爆音が炸裂した。

 煙が噴水広場に充満し、晴れていった時には既にアルスの姿はどこにもなかった。

 だんだんと人の声が戻ってきた気がしたが、鉈内はそれらに何の感情も抱けなかった。

 弱者。

 まさしくそれは、自分の存在を的確に証明する残酷な言葉だ。

(僕は……弱い)

 自分なりに家族を守って。

 自分なりに立ち上がって。

 自分なりに色々な人と出会い、それらを守り、自分なりに自分を強くしてきたはずだったのだが、どうやら全ては強くなったわけではなかったのだ。

 勘違い。

 自惚れ。

 だからこそ、鉈内は水に己から浸かりながら体を冷やして、

(……ちくしょうが)

 

 

 

 

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